第149話「脱出路」
夜が来る。
陽が落ちたイ号舎の中は、明かりがないために闇に閉ざされていた。
採光のための窓から月明りが差し込んでいる。青ざめた光のおかげで、まったく見えないというほどではないが、細かい表情などは読み取れないだろう。
俺の目は冴えていた。途中無理矢理仮眠のために眠ったおかげで、思考はすっきりとしている。
ベルランテやティゼッタと比べるとあまり冷え込まないのも助かった。寒さで行動できないという事態はないだろう。
途中見回りらしい誰かが来たが、眠ったふりでやりすごした。
小部屋の中を見渡すと紙袋に包まれたパンが置かれていた。どうやら食事らしい。俺は紙袋を開けるとパンを取り出した。口をあけてかぶりつこうとしたところで動きを止める。
まさか毒入りということはないよな?
俺はパンを少しちぎると近寄ってきていたオオトカゲの小部屋へと投げ込んだ。鉄格子の隙間から出てきた食べ物に、オオトカゲはすぐに食いつく。しばらく様子を見ていたが、変わった様子はない。
安心してパンにかぶりつく。これからどれくらいの時間行動するかわからないが、空腹では動けまい。
おかずも何もなくパンだけを咀嚼する。ティゼッタでの美味しいごはんが懐かしい。ミトナ達はどうしてるだろうか。
こう考えていてもしょうがないな。まずは、動くことだ!
俺は自分自身に気合いを入れる。
静かにしていたミオセルタをひっつかんだ。
「ミオセルタ、やるぞ。起きろ」
声をかけてもしばらく全く反応がなかった。打ち上げられた魚のごとく、ぐにゃりとその身が垂れ下がる。
まさか死んだんじゃないかという心配が浮上するころ、俺の声が聞こえたのか、ミオセルタがその身を少し動かした。
「おお。もう夜か……。休眠状態は外部の情報に対して鈍くなるのが欠点よの」
今までの無反応はスリープモードか。そこまでするとなると、けっこう残りのマナは少ないのか?
とりあえずミオセルタは起きた。準備するほどのものはない。惜しいのは装備品だ。ミトナの作ってくれた革防具や霊樹の棒など、奪われた装備類はどこかに保管されているのかもしれない。
ただ、それを探すほどの余裕はない。今は脱出することを優先しよう。
俺は鉄格子を掴むと四足の大鷲の奥にいるだろうフィクツに声をかける。
「フィクツ……!」
眠っているとすれば困る。
目を閉じた大鷲は、大きな羽根で全身を包むようにして休息体勢を取っている。その奥は夜の暗さも相まって何も見えない。
もう一度呼びかけるか迷ったあたりで、向こうから声が返ってきた。
「ニイさん、ちょうどええで。そろそろええ頃合いやな。こっちは準備できとるで……!」
辺りを気にしてか潜められた声。
俺も準備できている。行動開始だ。
「ミオセルタ、この鉄格子を破れるような魔術はあるか?」
「ふむ……」
俺はミオセルタを両手に掴むと、鉄格子の方へと突き出した。
とたん、魚の口先に魔法陣が出現する。夜の闇を圧して光が散る。魔法陣が割れると同時、淡い青色の光が照射される。
すぐに効果は出た。不思議な色の光が命中した部分から、鉄格子がザラザラと粉状になって落ちる。
何の魔術だよ、これ。
俺は堆積した鉄粉の山を見る。<分解>とかだろうか。
古代の魔術は<剥離>とか<分解>とかすごく作業的な魔術が多いな。それとも、ミオセルタが研究者だからか?
それにしても、音も無く鉄格子が開けられたのは助かる。
俺は通路に出ると、鉄格子のなかを確認しながら、フィクツの小部屋に向かった。
「お、ニイさん。さすが魔術やな。こっちもあけてんか」
「わかった」
ミオセルタを突き出すと、再び魔法陣が出現。同じようにフィクツの前の鉄格子を粉へと変える。
ほの青く輝く小狐が顔を出した。フィクツに憑いている狐だ。俺を見ると怯えたようにフィクツの後ろに隠れてしまう。
小動物的な動きにクーちゃんを思い出す。そういえば、クーちゃんもここにはいないんだよな。
おそるおそると言った様子でフィクツは小部屋の外に出て来た。その耳がぴくぴくと動く。
フィクツは懐から魔鉱石と俺が食べたものと同じパンを取り出した。パンの中に魔鉱石を埋め込む。
「普通は砕いて水に混ぜたりしてかなり薄めて使うもんやけどな。今はそれもできん。こうやってパンに埋め込んで食わせる予定や」
ぎゅっぎゅっとパンに埋め込むフィクツの動作を見ているうちに、俺はふと思いついた。
ミオセルタの<分解>魔術なら粉にできるんじゃないか?
「フィクツ、ちょっとそれ貸して」
「……?」
不思議な表情をするフィクツから魔鉱石入りのパンを受け取る。
「ミオセルタ、これも頼む」
「粉にしかならんぞ?」
ミオセルタの魔術の光が、パンごと魔鉱石を粉に変える。両手に小山ができるほどの量の粉末状魔鉱石。それを俺は両手でひっつかんだ。
「よし、やるぞ」
「ちょっ!? ニイさん――――!?」
おもいっきりぶちまけた。
ぶわっと広がる魔鉱石の粉。
空気が変わった。粉を吸い込んだ魔物の様子がいきなり変わる。
はじめは落ち着きなく小部屋の中をうろつきだした魔物たちだったが、やがて鉄格子にその体躯をぶつけはじめる。
ガシャン、ガシャアンとかなりの音が響く。様々に吼える声。いきなりの大音量に耳が少し痛くなる。
「これでいいんだな」
「まあ、全部の魔物を凶暴化させなくてもよかったんやけどな。まあええ。あとはこの隙に逃げるだけや」
俺とフィクツは素早くイ号舎の外へと出る。
しっとりと濡れたような夜気が肌に触れた。自由の身。解放感が心をくすぐるが、まだ逃げ切れたわけではない。激しくなりそうな鼓動をなんとか落ち着かせる。
「行きますで、ニイさん」
「場所はわかるのか?」
「とりあえず外にさえ出ればなんとかなるんや。ええと……」
「こっち」
俺は辺りに気を配りながら、フィクツに手で方向を指し示す。フィクツはどうかわからないが、歩いてここまで来た分様子はわかる。とりあえず訓練場から門へと向かう。壁沿いに門に向かえばもしかすると途中どこかで出られる脱出路もあるかもしれない。
エリザベータやアドルの様子を見る限り、ここは軍の施設であって監獄ではない。外へ逃がさないような造りにはなっていないはずだ。
「魔物が暴れているぞ! イ号舎の方だ!」
周りに伝えるような大声。大勢の人間の足音。
俺とフィクツはぎくりとして足を止めた。顔を見合わせると慌てて近くの倉庫のような小屋の影に隠れる。
「門を封鎖しろ! 魔物用の武装を持て! 相手は危険人物だ、気を引き締めろ! 包囲!!」
あの声はアドルか!
あの野郎……!
「ニイさん、ここはあかん! 見つかる!」
フィクツが俺の腕を掴んで引っ張る。元来た方へと戻り始める。
施設内が慌ただしい雰囲気になっていた。甲高い音で警笛が鳴り、鎧や武具が触れ合うガチャガチャという音が響く。そこかしこから音が聞こえてくる。
俺は思わず歯噛みした。
対応が早すぎる。夜中にもかかわらず、武装も人員も揃っている。一瞬罠かとも思ったが、焦るフィクツの様子は演技には見えない。
何かわからないが、計画が漏れていた、ということだ。
「あかん、囲まれとる……。穴があらへん……! クソぉ……!」
フィクツの狐顔が歪む。見つからないように逃げるうちに、元のイ号舎まで戻ってきてしまう。
アドルの部下たちは徐々に包囲の輪を狭めているようだ。そこかしこに松明の灯りが点いている。その灯りの位置を見るかぎり、ここに来るのは時間の問題だ。
俺はイ号舎の入り口から外を窺う。その後ろで、頭を抱えたフィクツが小狐を頭に乗せたままぶつぶつと呟くのが聞こえた。
「鉄格子も壊れとるし、今更戻ってもあかんやろな……。他に手はあらへんか……。手は……!」
「ミオセルタ、突破できないか?」
「ワシ、研究者じゃからの。さすがにこの数を相手に突破できるほどの魔術はないよの」
「さっきの粉々にするやつは?」
「怖いこと言うのう。とはいえ、あの魔術は生物には効果が出んのじゃ」
「……クソっ!」
脱出路が、無い。
ここまで周到に待ち伏せていたアドルは俺を殺す気だろう。
いつの間にかフィクツが静かになっていた。俺のことを凝視している。
「ニイさん……。まさかニイさんがワイを罠に嵌めたとか、そんなことはあらへんよな?」
「どっちかというと、巻き込んだのは俺の方な気がするよ。悪い」
「…………」
フィクツは一度自分の胸元に抱きなおした小狐と目線をかわす。何かのやり取りがあったのか、やがて上げた顔はなにかを決断した顔だった。
「ニイさんを信じますわ。せやから、ワイのこと信じてくれへんか?」
「どういうことだ?」
フィクツは鉄格子の中で暴れている四足の大鷲を指さした。
まさか。
「もう、脱出路は空しかあらへん。ワイのとっておきを使うさかい、ニイさんに手伝ってもらえばできる!」
フィクツの目は真剣だった。本気で言っている。
四足の大鷲の背に乗って、空からの脱出をすると。
「やるしかないで、ニイさん」
フィクツが決断を迫る。
選択肢はない。このままでは殺されるのを待つだけだ。
――――足掻く。
俺はフィクツに向かって頷いた。




