第146話「現状把握」
俺は目の前に立つアドルを睨んだ。
殴られた頭が微妙に痛む。何か後遺症でも出たらどうしてくれる。
アドルは涼しい顔をしていたが、やがて俺の言葉を受けて口を開いた。
「君の仲間は無事だ。ちょうど囮となって逃がした後は特に手を出していない」
「それを証明することは?」
「さあ、それはできない。我々にとっては重要な目標ではなかったのでね」
アドルの言葉を信用していいものか。こいつらから与えられる情報はどこまで本当だかわからない部分がある。
とりあえずはどこかでミオセルタと情報交換をしたいところだ。俺は右手に持つミオセルタを意識した。
俺は空いている方の手で、スライサーの方を示した。
「さっきアイツに殴られたところが痛む。ちょっと休みたいんだが?」
「そうだな……」
アドルはちらりとエリザベータの方を見る。エリザベータは先ほどのお嬢様と何かを話しているようだった。アドルに視線を返すと、何事かハンドサインを送った。
暗号……?
「よし。ピック、彼をイ号舎の六号室まで案内してくれ」
「……わかった」
アドルに言われ壁際に居た女性が立ち上がった。エリザベータとお嬢様を除くと隊員の中で唯一の女性のようだ。褐色の肌に切れ長の目。凛々しい顔立ち。なんとなくド―ベルマンのような獰猛な雰囲気がする。
ニットキャップから出ているのは珍しい銀髪だった。
ピックは無言で歩き始めた。一瞬目線だけ俺に送ってくる。どうやらついてこいということらしい。
去り際にアドルの声が聞こえた。
「謝っておこう。君が魔術を使えないのなら、もう少し休みやすいところも案内できたのだがね」
意味はわからない、だが、その声に込められた嘲笑の気配だけはわかった。
ここはアウェイだ。何も自分からドツボに嵌ることはない。俺は何も言わずピックの後を追った。
アドルの言葉の意味がわかったのは、そこに案内された時だった。
俺は呆れた。殴られたのとは別の頭の痛みが発生してもおかしくない。
確かに個人の空間はある。ただ、四方が鉄格子に囲われていなければだ。そこは大きめの建物で、中には鉄格子に囲まれた小部屋が大量に用意されているところだった。俺には牢屋か何かにしか見えない。
しかも、この牢屋には、様々な先客がいた。
ボルゾイのような大きな狼が入っている部屋もあれば、ぬめぬめした大きなカエルのタマゴのようなものが跳ねている部屋もある。四足の大鷲、オオトカゲ、角の生えたワニといったものまで、いままでに見たことのない魔物がそれぞれが押し込められるように部屋に入れられていた。
入ってきた俺達に気を悪くしたのか、鋭い鳴き声が上がった。あれは四足の大鷲の鳴き声だろうか。
俺はげんなりした顔で隣に立つピックに声をかける。
「なあ、ここ、何なんだ?」
「イ号舎。捕獲した魔物を入れておくところ」
「……答えてくれてありがとう」
俺は呻くように言った。
部屋の一つに、とりあえず設置しました、というレベルで簡易ベッドが用意されている部屋があった。たぶんあれが六号室。居心地がいいとは軽く言えないだろう。目覚めた昨日とはものすごく扱いが違うな。
ただ、他のメンバーと同じ宿舎で生活というのは耐えられそうにない。むしろ魔物たちと過ごしたほうが気分が休まるというものだ。それに、ここならミオセルタと会話していても誰に見られる心配もないということだ。
文句も言わず部屋に入った俺を、ピックが意外そうな目で見てきた。
「食事は持ってくる。何かあればまた呼ぶ」
「ああ、悪いけど俺も自分の気持ちに整理をつける時間がほしい。くれぐれも一人にさせてくれよ?」
ピックが無表情で頷く。鉄格子の扉をガチャリと閉めた。鍵もかける。まあ、俺を逃がさないつもりなら、当然か。
ピックはしばらく俺の様子を見ていたが、やがてイ号舎から出て行った。
俺はベッドに座り込んでしばらく待つ。どれくらい経っただろうか。ピックがいなくなっただろう頃合いを見計らって、ミオセルタに小声で話しかけた。
「ミオセルタ、無事か?」
「…………ぼちぼちじゃな」
「よかった……! ほんとよかった……!」
「うっとうしいやつじゃのう。魚ボディに抱き着くでない」
俺の心がじわっと温かくなる。
知っている人が居るというのは、ここまで心強いものなのか。ミオセルタを人と言っていいのかは疑問だが。
俺は一度あたりを見渡す。人間の姿はない。気が付くとオオトカゲが俺の部屋の鉄格子際ギリギリまで寄ってきていた。たぶん、鉄格子は破壊されないと思う。されないといいなあ。
「それで、何があったんだ? ミトナ達は無事なのか?」
「さあのう。ワシにもいまいちじゃ。とりあえず熊娘とお嬢ちゃん、イタチの獣人は馬車で脱出したところまでは見たのう」
「そのあとは?」
「そのすぐあとにおぬしが捕まってワシも捕まったからわからん。話を聞く分によるとどうやら追撃は出てないようだがの」
まずはそれを聞ければ安心だ。ミトナ達は無事。アドルの言うことは合っていたということだ。
俺は深く息を吐いた。精神的な疲れがどっと両肩を重くする。
「ミトナ達は助けに来ると思うか?」
「無理じゃなあ。まずワシらがどこに連れてこられたかわからぬ以上、追いかけてくることもできんじゃろ?」
「俺が魔術さえ使えればこっから逃げるんだけどな」
俺は手首に巻き付いている封印のリストバンドを目の前に掲げた。とりあえずコレがどうにかならないと魔術が封印されたままだ。
「フン。ちゃちい術式じゃのう。ホレ」
俺の右手でつかまれたまま、ミオセルタが呟いた。小さな魔法陣が閃いて割れると同時、嘘のように封印のリストバンドが手首から取れた。ぱさりと軽い音を立てて床に落ちる。
俺の目が点になった。
「…………は?」
「術式刻印で吸着させておったからの。<剥離>で一発じゃ。あの術式分離器と同じものじゃな」
なんにせよ外れたのはありがたい。今ならいけるかと思って俺は魔術を展開しようとした。だが、やはり何も起きない。何も感じない。
「……くそ、だめか」
ミオセルタがガラス玉の目で俺をじっと見つめる。
「おぬし、魔術が使えなくなったのか」
「わかるのか?」
「マナの繋がりを感じないからのう。今はワシもおぬしからのマナ供給がない状態じゃ。ワシの核に残ったマナだけで動いとるからの、復活してくれんと死活問題じゃ」
さっきからミオセルタが空中を泳がないのはそのせいか。バッテリーみたいなもので、使い切るとミオセルタ自身を保つことができないってことか。こうやって考えるとミオセルタは幽霊みたいなもんだな。
さっきスライサーを倒した魔術も、よく使ってくれたもんだ。
「そうだ! ミオセルタが泳いで、マナがなくなるまえに助けを呼びに行くのはどうだ?」
「迷子になって干からびるのがオチじゃの」
「だよなぁ……」
「外部からマナを吸収定着できる機能付きの素体でもあれば別じゃがの」
俺とミオセルタは同時にため息をついた。
「なんにせよ、おぬしの魔術が戻ってからじゃの」
「戻ると、思うか?」
そもそも棚ボタのような力だ。手に入れたのもいきなりなら、失うのもいきなりということは十分ありえるんじゃないか。
――――二度と、戻ってこないのでは?
「戻るじゃろ」
俺の心配をよそに、ミオセルタはあっさりと言い切った。
ミオセルタのガラス玉の瞳が、紫色に輝いている。サーチのような光が俺の身体をまさぐる。
「マナの経路が切れておる。これが繋がるまでは魔術は使えんじゃろな。日々マナが体内で作られれば自然と修復されるはずじゃ」
「なら、それまでは逃げるための情報集めだな」
失ってはいなかった。
目を閉じる。
こみ上げるものを感じて、俺は拳を握ると額にぎゅっと押し当てた。




