第144話「奉剣部隊」
エリザベータについていく。
どうやら最初に俺が寝かされていた屋敷は無人だったようだ。エリザベータとリリアの他に姿はない。
どうやって屋敷を維持しているのだろうと思ったが、エリザベータがいないときにでも管理する人が出入りしているのだろう。
いつでも使えるようにされた調度品がそう思わせる。
「ほら、これ、もっておいてよ」
どこに持っていたのか、エリザベータがリンゴを放り投げてきた。思わずキャッチする。
磨かれたようにつやつやした赤色。ただ、今は食欲がわかない。あいまいに笑むとポケットに突っ込んでおく。膨らみが大きくちょっと目立つが気にしないでおこう。あとでお腹が空いたら食べることにする。
エリザベータは乗馬服のようないでたちをしていた。腰のあたりに革があてられているズボン。上は襟付きブラウスにベストを着込んでいる。腰には当たり前のように剣を提げていた。柄に宝石がはめ込まれた長剣と、それに重なるようにして無骨な幅広の短剣。二つの鞘がセットになっている。
エリザベータは何も言わずどんどん先へ進んでいく。リリアと呼ばれているお嬢様が、時折俺の方をちらりと見てくるくらいだ。
俺はうまく力が入らない身体を何とか動かす。
周りの風景を見ても、やはりベルランテとは違うことがまざまざと感じられた。森がないのだ。木々が少ないと言える。景観のための緑樹はあるが、ベルランテの森を知っている今では、その程度では逆に寂しさを感じる。だが、この景観を気にして緑を配置するセンスなどは、都会ならではものだろう。
どこなんだここ……。
きちんと石畳で整備された通路を通っていくと、グラウンドのような開けた場所が見えてくる。その中央を通り過ぎ、やがて倉庫のような建物に辿り着いた。どうやら目的地はここだったようだ。
エリザベータは躊躇なく扉を開く。予想通り中は広い倉庫のような場所だった。
机や椅子もいくつかあるが、壁際にかけられた武具や置かれている鎧や装備品などを見るに、ここは訓練のための準備をするところらしい。
中では何人かが思い思いに武器や防具の手入れをしているところだった。
エリザベータが入ってくるのを見ると、全員が手を止めてそちらを向いた。細長い顔をした男が立ち上がると、こちらに寄ってくる。
「エリザベータ隊長、めずらしいですね」
「うん。アドルは?」
「ここです」
声は後ろからかかった。振り返るといつの間に来たのか髭の男が立っていた。確かあの襲撃の時に居た男だ。年のころは三十代半ばあたりだろうか。
アドルと呼ばれた髭の男は、俺を見るとかすかに微笑んだ。
「起きたのか。もう少し寝ているものと思ったのだが」
「……」
エリザベータの時には欠片も出てこなかった警戒心が顔をのぞかせた。ここにいるやつら、だいたい見覚えがある。やっぱり、あの時の襲撃者たちだ。
俺はアドルから距離を取る。俺が魔術を使えないことを、コイツは知っているのか?
「まあ、いいだろう。――――ケイン」
「あいよ」
アドルに呼ばれ、ひょろりと背の高い若者が前に進み出た。このケインとかいう奴、あの時<火槍>を撃った魔術師だ。
ケインはにやにやと笑顔のまま、素早く俺の右手首に何かを巻き付けた。
とたんに右手首にぴりっとした痛みが走る。慌てて手を振り払った。
ケインはにやにやしたまま飛び退く。
俺の右手首には、薄い革で出来たリストバンドのようなものが巻かれていた。どういう原理か肌に吸い付くようにくっついていて、慌てて剥せば皮膚ごと無理矢理剥がれる結果になるだろう。
「それはスイソーンという魔物の皮で作られた魔道具でね。魔術を使えなくする。ベルランテで見せてもらったけど、アンタかなり魔術を使うからね」
ケインがにやにやとしたまま言う。その言葉を聞いてアドルが頷いた。 そういえば、最後の場面だと<魔獣化>も解放して全力で戦っていた気がする。確かにあれをみたなら対策くらいはしてくるというものか。
まあ、今の俺は何故か魔術が使えなくなっていたが、何かの拍子で戻ることがあったかもしれない。魔術を封印されてしまったのは大きな痛手だ。
目的を果たしたのかケインが下がった。アドルが代わりに進み出た。警戒している俺に向かって口を開いた。
「さて、エリザベータ隊長から聞いていると思うのだが、君にはこれからここで過ごしてもらうことになる」
「そんなことまったく聞いてない!」
俺は叫んだ。
何もかもご存じというアドルの態度に、カチンとくる。思わず自分の中の思いが爆発した。
「そもそもここはどこなんだよ!? 何で俺が攫われる! それに、ミトナ達は無事なのか!?」
アドルに詰め寄る。
アドルは意外そうな顔をしたあと、エリザベータの方を向いた。
「隊長。説明していませんね?」
「してないよ。ぼくよりきみたちのほうがせつめいするのがうまいからね」
エリザベータはあっけらかんとしたものだった。アドルがまったく、というようにかぶりをふった。
「ここは王都グラスバウル。我々の部隊の拠点だ」
アドルの様子を見て、周りにいた奴が興味深そうな顔をして近くによってきた。アドルがその動きに気付き、集まったやつらを指し示す。
「まずは我々のことを話したほうがいいね。我々は特務部隊〝奉剣”だ。日々王国の治安を守るために活動している」
「誘拐も治安活動かよ」
「そもそも誤解がある。危険なのは君だ」
アドルの眼光が鋭くなる。それ以上皮肉を言えなくなって俺は口を閉じた。心の奥まで見透かされるような視線に、俺は背筋が寒くなる。
「竜人にも匹敵する魔術。個人が持つにしては異常に強すぎる力だ。野放しにしては危険を及ぼす。よって君には〝奉剣”で働いてもらう。その力を我々王国で管理させてもらいたい」
大した役者だ、コイツは。
全部が嘘ではない。だが、本当のことを全て話してはいない。
壁際にさがっているエリザベータがにこにこしたままこちらを見ている。
「いやだ、と言ったら?」
「それは困るな。我々の判断で君の命を絶ってしまっても構わんのだがね。まあ、戦力になりそうな優秀な人材はできるだけ確保したいのだよ」
どういう状況だ、これ。
死にたくなければ協力しろ、ということか?
狙いはなんなんだ?
強い人材が欲しいなら、それこそハイロンに話を持って行くべきだろう。正直俺を誘拐するというリスクを背負ってまで部隊に入れようとする意図がつかめない。
しかも強さの根拠と言える魔術を封印するなんて、それこそ意味が不明だ。
アドルの顔を見るが、飄々とした表情からは何も読み取れそうにない。
想像が膨らんで動けなくなくなる。
――――まさか、気付いているのか?
俺の思考を断ち切ったのは、耳に聞こえてきた不機嫌な声だった。
「オレ、認めませんよ。何でコイツが部隊に入隊できるんです!?」
「スライサー。決めるのはお前じゃないからだ」
気に入らないと、全身で表現した青年が進み出た。
俺も乗り気だとか一切言ってないんだけどな。むしろベルランテに帰してほしい。
俺のことが気に入らないのか、なおもスライサーはアドルに詰め寄る。
「――――!」
俺はスライサーの手に精巧にできた魚の玩具が握られてるのに気が付いた。
あれ、ミオセルタだよな!
あいつはついてきたのか!?
スライサーの雰囲気からすると出来のいい玩具程度にしか思ってないように見える。
どうしてスライサーが持っているのかわからんが、今のこの状況だとミオセルタの存在は心強い。
魔術が使えなくなったことに原因があるのか、ミオセルタに思念は届かない。ミオセルタと相談するにしても、とりあず取り返さないことには話にならない。
研究者なのだから賢いはずだ。今の状況を打破するアイデアを思いつくかもしれない。
ミオセルタはスライサーにされるがままになっている。ぐったりしているというか、まったく動きがない。
これ、死んだふりだよな?
思念が繋がらないということは、マナの繋がりが切れているということだ。俺からの供給マナ切れで動くことすらできなくなっているという可能性は、今は考えないようにしておこう。
とりあえずやることを見つけた俺は、声がひっくり返らないように気を付けながら、スライサーに向かって手を突き出した。
「その手に持ってる魚、俺のだ。返してくれ」
「お前、こんな玩具を――――」
スライサーが言葉を切った。
にやり、と意地の悪い笑みを浮かべる。
「オレと勝負して、勝ったら返してやるよ」
スライサーはテーブルにミオセルタを放りなげると、壁際に立てかけられていた二本の木剣を手に取ると、一本を俺に放り投げてよこす。
そういう展開かよ。
俺はエリザベータを見たが、止めるつもりはないようだ。むしろ、面白そうな顔でなりゆきを見ている。
アドルを見たが、こちらは肩をすくめただけだった。
「血気盛んなんだ、相手してやってくれ。そうすれば、君の仲間のことも答えよう」
「俺の身体はかなりガタガタなんだけどな。それは卑怯じゃないのか?」
「ケインが君に掛けた魔術は<睡眠>と<困惑>だ。もうしばらくすれば完全に効果が抜けるはずだ。そうすれば君も実力が出せるだろう」
アドルが落ち着き払って言う。
ちくしょう。まずい状況な気がする。
何がまずいというと、俺自身に正面切って状況を打破する力がないということだ。いつも以上に流されている気がする。といって、ここで全員をぶち倒して逃げるのは無理だ。
俺は深呼吸をすると、やる気に満ちたスライサーを見やった。
とりあえずミオセルタを取り返す。目の前のことからだ。




