第143話「喪失」
意識が浮上する。
カラダが問題なく機能している時には、寝てばかりいられないものだ。自然な目覚めで、俺は目が覚めた。
目を開けて最初に見えたのは、見たことのない景色。高い天井に、天井一面に描かれた模様。つりさげられた照明は精緻なもので、おそらく値段もかなりするだろう。
カラダは目覚めたが、意識がいまいちぼんやりしている。
何か。何か、大きな出来事が起こった気がする。
森。馬車。農夫。剣。エリザベータ。刃。いくつかの場面が写真のスライドのようにフラッシュバックする。
「――――――ッ!?」
俺はがばっと上半身を起こした。いきなり思い出した記憶の奔流に、運動もしていないのに動悸がする。
そうだ。確か俺、後ろから刺されて……!
最後に見たのがその刃だ。完全に後ろからカラダを貫いていた。しかもそのあと脇の方へと振り抜かれた。完全に心臓から肺を断ち割るコース。即死だ。
何が起こって、どうなって、ここがどこなのか、さっぱりわからない。俺が叫んだり暴れたりしないのは落ち着いてるからじゃない。状況を掴みきれなくて、考える力がフリーズしてるからだ。
とりあえず俺に怪我は無く。ベッドがあるここは危険な場所ではないらしい。命の危険がないことがわかると、俺はようやく強張っていた身体の力を抜いた。それでも〝自分の居場所ではない”違和感は去らなかったが。
俺は思わず断ち割られたはずの身体に手をふれた。そこでようやく俺は何も着てないことに気付いた。
この世界に来た時と同じく、再び素っ裸。
二度目ともなると驚きも少ないな。
鼻で笑いながら、目線を上げた。
見たこともないほど引きつった表情の少女がいた。
「おおおおおおおおおおおおおっ!?」
ちょっ!? え!? 誰!? この部屋の人!?
シーツをひっつかみ、とりあえず前は隠すようにしてみるが、心細いことに変わりはない。広い部屋の中央に位置するベッドでは逃げ場がない。
少女は大きく目を見開いたまま、彫像のように固まっている。仕立ての良い高価そうなドレス。よく手入れされた肌と髪。数は少ないが、センスのいい装飾品。しかも口元に握りこぶしをあてて固まっているとか、お嬢様の見本のような存在だ。
これ、誰かに見られたら社会的に死ぬんじゃないか?
心中は脂汗まみれだ。寒いのか暑いのかわからない状態が長続きするかのように思えた。
いきなり部屋のドアが開かれる。
ドアが開く音に、俺もお嬢様もびくっと肩をすくませた。
開いたドアのところに立っているのはエリザベータだった。俺を見て、お嬢様を見て、もう一度俺を見る。うんうん、と頷き二回。
「リリア、ごゆっくり!」
にっこりといい笑顔になると、エリザベータはゆっくりをドアを閉めようとした。
「エ、エリザベータ!? ちょっとお待ちなさい!」
叫んだのはリリアと呼ばれたお嬢様だった。裏返った声で叫ぶと、慌てたようにエリザベータを引き留める。ようやく何かの線がつながったのか、俺から目を逸らすように背中を向けると、エリザベータのもとへと走り去っていく。
とりあえず離れてくれたことに、俺はほっとした。
「こ、この殿方は一体何者なのです!?」
いや、それは俺が聞きたい。ここはどこで、あんたたちは何者なんだ。
俺の心の声には誰も答えてくれなかった。
代わりというように、エリザベータは薄桃色の髪を揺らしながらリリアに向かって言い放つ。
「……ペット?」
ふらり、とお嬢様がよろめいた気がした。がっしとリリアがエリザベータの両肩を掴む。
「奴隷を買うのなら、もっと血統や毛並に気を付けなければ! 権威ある立場なのよ? ふさわしい奴隷を選ばなくてはだめよ!」
俺はめまいがした。あけた口がふさがらない。お嬢様はやはり俺らと住む世界が違うらしいな。
いや、そこじゃない。エリザベータの発言も問題だ。
俺はエリザベータに詰め寄るべく、シーツをかかえながらベッドから降りようとした。
「人を拉致しておいて、何を――――!?」
言葉は最後まで口にできなかった。床に足を着けたとたん膝がくだけ、俺は前のめりに倒れたからだ。
足に力が入らない。力をこめているはずなのだが、立ち上がれない。
もがく。だが、うまくいなかない。
愕然とした。身体が、弱っている。
「ここにはこんでくるまで、ずっとまじゅつでねむらせてたからね。からだがよわってるよ」
エリザベータの声が頭上から聞こえた。
ばさりと頭から布が被せられる。
視界の端に垂れ下がる青色の袖や裾が見えた。布じゃない。エリザベータがよこした服だ。
何とか顔を上げる。
薄く微笑むエリザベータと、その裾を掴んだまま宇宙人を見るかのような表情のリリアが見える。
エリザベータが俺に手を差し伸べる。
「ようこそ。ぼくのにわへ」
俺は、その手を掴まなかった。
とりあえず全裸では何もできない。服はありがたくもらうことにした。服を着替える間、エリザベータとリリアは外に出ていた。
着てみるとかなり上質な服だということがわかる。肌触りがいい。
簡素に見えるが質のいいズボンに、白い襟付きカッターシャツ。上着は青色のジャケット。ポケットのデザインがなんだか軍服のようにも見える。これだけそろって靴がないのがおかしい。探してみるとベッドの下に揃えてあるのを見つけた。革のショートブーツのように見えるが、靴底はゴムに似ている素材で出来ていてかなり動きやすい。
「ふぅ……」
服を着ると一息ついた。体力が落ちているのか、これだけでかなり疲れた。
これだけ動けないとなると、あの時からどれくらい経ったんだ?
ミトナは? フェイ、マカゲは? アルドラやミオセルタもどうなったのか。さっぱりだ。
疑問に思うが、エリザベータに聞かないとわからないだろう。
「まずは情報収集の必要がある、か」
俺は呟くと精神を集中させた。まずは<空間把握>でこのあたりの地形情報から把握するとしようか。
「……あれ?」
マナが集まらない、というかマナを感じられない。
何度となく行ってきた術式の構築ができない。
「え、うそだろ!?」
――――魔術が出ない。
<空間把握>どころか、単純な<光源>や<火弾>も起動できない。
まさかと思って<まぼろしのたて>や<やみのかいな>などの魔法も起動しようとするが、それも同じくうまくいかない。
落ち着け。
俺は焦って爆発しそうになる気持ちを無理矢理抑え込んだ。今、調子が悪いだけだ。まずは体調が回復してから、それからだ。きっと。
俺は血の気がひくほど拳を握りこんだ。そうしないと精神が保てない気がしたからだ。
がちゃりと音がして再びエリザベータが顔を出した。何故かリリアも一緒だ。
「まあまあじゃないかな?」
服のことか?
俺は胡乱げな視線をエリザベータに向けた。まったく気にしないようだったが。
「それじゃ、いこうか」
「どこにだよ」
「ぼくのぶかたちのところだよ?」
エリザベータはそう言うと踵を返した。
俺は今度は倒れないように意識しながら立ち上がる。さっきよりは動けるようになっている気がする。今度はこけずにすんだ。
エリザベータの言うままになるしかない状況は癪に障るが、今の身体では下手に逆らうほうが危ない。今は傷もない刺された痕に触れる。
先に進むエリザベータ達の後を追って、俺は踏み出した。




