第141話「離別」
ミトナ、フェイ、マカゲをのせた荷馬車は、かなりの速度で進んでいた。御者のおじさんはかなりの集中力を発揮して進ませている。馬が怯えたように荷馬車を牽く。実際怯えているのだろう。剣聖という存在は、まさに人の皮を被ったバケモノだ。
荷台の上でフェイがぐったりと座り込んでいた。傍目に見ても調子が悪そうに見える。
揺れる荷台の上をバランスよく移動して、マカゲがフェイの額に手を当てた。触っただけで、かなりの熱があるのがわかる。
マカゲは首を振った。
「ここ数日確かに調子が悪かった。そこにこの騒動ではな……」
「マコトは……?」
フェイは荷台のふちになんとか掴まりながら、かすれたような声を出した。フェイは自分たちが脱出できたのはわかった。そもそも、狙いがマコトだったのだ。自分たちは放っておかれているのかもしれない。
「マコト殿なら、逃げおおせる。マコト殿の天地を気にしない動き、知っているだろう?」
マカゲは立ち上がりかけたフェイの肩をそっと押さえ、再び荷台に座らせた。
フェイは納得した様子ではなかった。しかし、限界だったのか沈み込むように座り、その目を閉じた。
マカゲは声には出さずため息を吐いた。
聖王国の者ではないマカゲにとって、剣聖というものはまさに死の象徴だ。歯向かって命があっただけ奇跡というものだろう。南国のとある一個師団が剣聖部隊ひとつに壊滅させられた噂程度なら、有名すぎて耳にタコができるほど聞かされた。
それに、雇われているのだから、フェイの命が危険にならないように気にしておくのはマカゲの仕事だ。
おかしいのだ。
調子が悪いからといって、魔術自体が出ないことなど、あるのだろうか。
ミトナは荷台の端を掴んでいた。みしり、と小さく音が鳴って、あわてて力を少し抜いた。
目線は後ろから外さない。マコトがいつ飛び出してくるかわからないからだ。
荷台の少し後ろをアルドラが並走しているのが見える。アルドラも残してきた主人が気になるのか、時折後方を確認しながら走っていた。
そのアルドラの動きが、不審なものになった。戸惑うように速度を緩めると、すんすんと何回もあたりを嗅ぐ。何かを探すような仕草をした。
「アルドラ、どうしたの?」
嫌な予感がする。ミトナはアルドラに問いかけた。ミトナの感覚なら、なんとなくアルドラの言いたい事がわかる。
アルドラはミトナの瞳を見つめた。理知的な瞳だ。何かに迷っていたようだが、アルドラは決心した。回答すると来た道を引き返そうとする。
――――心臓を、ぞぶりと刃が突き刺した。
これは、殺気だ。
あまりにも鮮明なイメージが、脳みそに擦り付けられるように浮き出てきた。
ミトナの胸が詰まり、息ができなくなる。アルドラなど、真正面からそれを受けて、耳や尻尾はぺたりと伏せられた。
気持ちが折れたのが、ミトナにはわかった。
アルドラはよろよろと森の木立の奥へと消えていく。
「アルドラ!」
振り返りもしなかった。
飛び降りる。追いかける。いくつもの選択肢がミトナの脳内に閃いた。だが、そのどれをもつかみ取ることができない。
「マコト君……」
嫌な予感だけを抱えて、 荷馬車はどんどん離れていく。
意識を失ったマコトの身体が、ぴくりともせず倒れていた。
道はひどい有様になっていた。爆裂した魔術、大勢が動いた形跡。そういったものでひっかきまわされ、荒れた状態になっていた。きわめつけは影大猿の死骸だ。一撃で肩から胸に袈裟がけにに斬られている。赤蟲竜の時と同じく、美しく真っ二つになっている。
エリザベータは微笑んだままマコトを見下ろす。そのマコトの襟首をひっつかむと、ずるずると引きずり始めた。一瞬前に倒した影大猿は一顧だにしない。
マコトの意識はないが、身体に外傷はない。服に血の跡もなく、先ほど貫通した刃など、幻だったかのようだ。
髭の男――アドルがさっと手を上げると、農民服を着た全員が注目した。
「状況終了だ。撤収するぞ」
「馬車で逃げた連中は?」
「放っておけ、こちらも正規の任務ではない」
部隊の中でも若手の青年が不機嫌な顔になる。
「コレ、またお姫様のわがままですか」
「スライサー、口を慎め」
アドルの冷たい言葉に、青年は地面に唾を吐き捨てる。いつもは刃が幅広の片手剣を得意とするため、スライサーと呼ばれている。いつもの得物がないことも、彼をイライラさせる要因の一つだった。
「……? どうしました? エリザベータ様」
動きを止めていたエリザベータを見て、不審な顔でアドルが問いかけた。右手にお気に入りのぬいぐるみでも持つように人間をひきずっていたエリザベータが、先ほどの馬車が去った方角をじっと見つめている。
エリザベータから、いきなり殺気が迸った。アドル達に向けられたものではない。だが、その場にいた部隊の者たちの肌が粟立つ。
長くエリザベータと付き合う彼らは、その強さを身を以て知っている。部隊の中の誰よりも華奢なその身体の内には、すさまじい力が秘められていることを。
「何を……?」
「わんちゃんがもどってきそうだったから、くぎをさしただけだよ」
エリザベータはそれだけ言うと、疑問の表情のアドルを置き去りに歩いていく。森に少し分け入ったところに部隊が乗ってきた馬車が隠してあるのだ。
アドルの下に部下が集まってきた。一人は手に金属製の魚らしきものを持っている。
「アドル、これが落ちてたんだけど」
「一応回収しておこう」
アドルには精巧な出来の置物に見えた。おそらくマコトの積み荷だと推測して、部下に取っておくように指示する。
アドルは苦悶の表情のマコトを見た。あの異形の姿、まともな人間の力ではない。
魔物の力か、魔剣、聖剣といった類の力か。何にせよ、エリザベータの<魂断>の一刀を受けたのだ。そのマナ経路はずたずたになって使い物にならないだろう。並の魔術師であれば、再び魔術が使えるようになるまでに優に数か月はかかる。
エリザベータは隠されていた馬車に辿り着いた。道を塞ぐのに使った馬車と同じタイプ。屋根付きの荷馬車だ。馬車には三本の剣が交差した紋章が塗られていた。荷台の形は箱型になっており、扉を閉めると外からは中は見えないようになっている。
エリザベータはそのままマコトを放り込む。手荒な扱いだが、マコトが起きる様子はない。
異様に素早い動きで、アドルを含む部隊の者達が馬車に乗り込んでいく。ゆっくりと滑り出すようにして馬車は動きだした。ごとごとと車体を揺らしながら、道へ出る。
かなりの大物だが、あえて影大猿の素材は取らない。死骸を放置しておけば、やがて肉食の魔物が食い荒らしてくれる。ついでに、ここで何が起きたのかもかき消してくれるだろう。
運がいい。ばれて困るものではないが、面倒が減る分助かる。その程度のことだ。
馬車はベルランテから離れる方向へと進路を向ける。マコトを乗せたまま、ゆっくりと速度を上げ始めた。




