第140話「自失」
空気が張りつめたのは、ほんの一瞬だった。
俺は地面が抉れるほど蹴りつけ、爆発的な速度で距離を詰める。上から叩きつけるように黒炎の腕を振るった。
岩をも砕く一撃だが、エリザベータは紙一重で避ける。
「<雷瀑布>!」
魔法解禁一発目から大技で繰り出す。
<りゅうのいかづち>+<「雷」中級>の凶悪な出力の雷撃が起動した。狙いも何もない。ただ前方へ濁流の如き勢いで視界を埋めるほどの雷が溢れる。ここまで接近していれば避けきれない一撃だ。
エリザベータはこともなく雷を〝斬った”。
左右に断たれた雷はエリザベータのわきをすり抜けていく。後方に位置していた軍人たちが慌てて回避するのが見えた。
エリザベータの常識外れの動きに驚いている場合ではない。まだエリザベータは短剣しか手にしていない。ティゼッタの壁上で見たもう一つの剣は抜いていなかった。つまり、まだ本気でかかってはいないということ。なら、まだ何とかなるはずだ。
赤蟲竜を一撃で真っ二つにしたあの長剣を抜かれると勝ち目はない。ここで畳みかける!
「ガアアアアっ!」
<たけるけもの>の咆哮を炸裂させる。近距離のエリザベータに向かって<拘束>を合成した咆哮が襲い掛かる。エリザベータは笑みを深めると咆哮の衝撃波を軽々と回避した。残像が見えるほどの速度。
俺に接近したエリザベータが短剣を振るう。動きだけを見れば軽い打ち下ろし。黒炎の腕の密度なら防げるように思えるが、あの切れ味を思い出す。
黒炎の尻尾の力も使って、後ろへと下がる。同時に突き出した腕から魔法陣を出現させる。
「<氷刃>!」
割れると同時に氷の短剣が射出された。腕と足狙いの時間差射出。
エリザベータは顔色も変えぬまま当たりそうになった一本だけを打ち払った。
「<輝点爆轟>!!」
魔法陣が砕ける。ゆっくりと放物線を描いて進む炎の球は、触れれば火柱を発生させる。
だが、エリザベータが短剣を一閃させると、炎の球は形を保てず霧散した。
当たらない……ッ!
すさまじい焦りの感情が俺の胃袋を揺さぶる。
魔術の種類はある。威力はある。だが、命中するイメージが描けない。
どの魔術を使えば勝てるのかわからない。
氷などは当然、雷、炎、そういった形無いものすら斬り捨てる相手に、どうやって勝てと。
エリザベータが一歩踏み込む。
気付けば俺は一歩下がっていた。
ここで下がってどうする!?
苦々しく自分自身を叱咤するが、苦しいのは変わらない。
視界の端で、髭の男が動いたのが見えた。小声でエリザベータに呼びかける。
「隊長、道を封鎖し続けるのにも限界があります。お遊びはそれくらいで」
「しょうがないなあ。わかった」
エリザベータはふう、と一息つくと、化けの皮をはがした。
ぞわり。
全身が総毛立つ、この威圧感。
ここから逃げ出したいという本能が全身に呼びかける感覚。
「――――――ゥ!?」
ケイブドラゴンの時よりも明確な恐れが全身を貫いた。
エリザベータの姿勢に変わりはない。ただ、こちらに向ける殺気のようなものを出しただけにすぎない。
脂汗がにじみ出る。一筋ほほを伝って滑り落ちた。
手足が重い。これは、プレッシャーだ。
――――ほんとに、人間か?
ひっくり返りそうな内臓を我慢して、目の前の小柄な少女を睨みつける。
そうでもしてないとすぐさま動けなくなってしまいそうだ。
じゃり、と地面を踏みしめながらエリザベータがゆっくりと近付いてくる。
「いったよね。だれかしぬひとがでるまえにって」
俺の動きが凍り付く。
ここまで派手な動きをしているのは、目撃者は消すからか?
「狙いは俺か?」
「うん。そうだよ」
「派手な勧誘だな」
「そうかもね」
エリザベータが微笑む。
その後ろで農民服の者たちが位置を変えるのがわかった。決着を付ける気だ。
こいつらには、勝てない。
軍人たちだけならまだしも、エリザベータには勝てない。それは認めるしかない。だが、このままだと、最悪ミトナ達は消される。これだけ暴れた俺自身もどうなるかわからない。
エリザベータのプレッシャーにやられている場合じゃない。道を塞ぐ馬車をどかして、せめて逃げる時間を稼がないと。
肚を決めると逆に落ち着いてきた。頭がすっと楽になる。
周りが見えるようになると、荷馬車の荷台でフェイが魔術の詠唱をしているのがわかった。あの感じからすると、射出速度と威力を兼ね揃えた<炎交喙>。古代の斬龍剣をも溶かした一撃なら、効果は出るかもしれない。荷馬車の残骸なら、一撃だろう。
タイミングが重要だ。
どのタイミングで仕掛けるかで、結果が変わる。
俺はマナを練る。<りゅうのいかづち>+<拘束>の<雷の鎖>をいつでも起動できるようにしておく。
ミトナとマカゲには臨機応変に動いてもらうしかない。逃げるしかないというのはマカゲも言っていたことだ。たぶん動いてくれるはず。
風が通り抜ける。ザアアアっと海鳴りのような音を立てて、木々がざわめいていく。
一瞬の間に、多くの出来事が起こった。
まず始めに動いたのはフェイ。杖を馬車の残骸に向けて突き出した。
敵の反応は速い。包囲をじりじりと狭めていた集団が動き出す。それを予測していた俺は、<雷の鎖>で拘束しようと魔術を起動しようとする。この距離からなら牽制にしかならないだろうが、それで道が開けば戦況は大きく変わる。
予想外のことが起こった。
フェイの杖先に魔法陣が光り輝き、割れて砕ける。しかし、魔術は出なかった。魔法陣が割れたのにも関わらず、不発。
ありえない事態に、フェイが呆然とする。
俺の魔術の起動も止められない。
「<雷の鎖>!!」
雷状になったもやが、獲物を求めて疾駆する。しかし距離があるため、農民服姿の軍人たちは見切って回避していく。フェイの魔術が出たならば、意味のある牽制。だが、こうなってしまえばただの単発魔術。
フェイに向かって魔術師から反撃の<火槍>が一直線に飛ぶ。
ミトナが動いた。
フェイに向けて〝獣化”をも使ったダッシュ。フェイと<火槍>との間に割り込んだ。どこに隠し持っていたのか、古代の剣を展開。<火槍>を魔術分解する。
マカゲが牽制しながら荷馬車の方へ退がりはじめた。
攻撃はしのげた。だけど駄目だ……!
完全に対応が後手になっている。このままじゃ抑え込まれる!
エリザベータが動いた。ビリビリと肌で感じるプレッシャーが増す。
俺の眼前に、いきなり巨大な影が落ちてきた。
は……!? 何だ、コレ?
ずしんと音を立てて着地したのは、片腕の巨大猿だった。
目は紅く光輝き、腕と首回りのゆらめく影は怒りを表現するように猛っていた。
――――影大猿!
あの時逃したヤツか!?
「――ッギョオオオオオオオオ!!!!」
影大猿が咆えた。牙を剥きだし、奥底から吐き出すような咆哮が空間を震わせる。
俺も驚いたが、俺以上に困惑したのがヤツらだ。
今しかない。
「ミトナ! 行けッ! 追いつける!!」
ミトナが俺の顔を見つめる。
少し開けた口は、強く引き結ばれた。迷いを振り切る。ほんと、いい子だ。
俺の腕の炎が奮い立つ。即座に起動した溜めなし<フリージングジャベリン>が馬車の残骸を吹き飛ばす。
興奮する馬を抑えて、御者のおじさんが馬車を急発進させた。マカゲが荷台に乗り込む。
(アルドラ! 頼む!)
(承知……!)
荷台に群がろうとした軍人たちをアルドラが蹴散らす。このまま馬車に張り付きながら護衛するように思念に指示してある。
影大猿が巨腕を振るう。俺とエリザベータはジャンプして避けた。
これで馬車は逃げられる。
ここで俺がこいつらを足止めすれば、だ。
「おおおおおおおおああああああああッ!!!」
俺は咆哮を放つ。咆哮にのまれた一人が、びくんと身体を震わせて行動不能に陥る。
力が、足りない。もっと、何とかできるはずだ。
頭の中に、力のイメージが迸る。バルグムの雷、赤蟲竜や影大猿、エリザベータの剣、そういった強者と感じた映像が、連続で脳内を通り過ぎてゆく。
全身が軋む。首元から滲みだした影の炎が、マフラーのように吹き上がる。両の腕はさらに歪な形状へと変わっていく。 マナ基点を増設し、両こめかみから角を生やす。
メキメキと異様な音を立てながら、背中からもう一本腕が生えた。
眼球が熱い。
吐く息が、火傷しそうなほど熱い。
マナの風とでも言おうか。俺を中心に不可視の衝撃波が空間を走った。
「――――そこまで」
「…………あ?」
何で、俺の胸から刃が生えてるんだ?
いつのまに、エリザベータは俺の背後に?
俺が変化する一瞬で、影大猿は血だまりへと沈んでいた。エリザベータの仕業だ。
そして、俺の胸を後ろから貫いた刃が、胸の中心から左下へと抜けていく。
痛みは、なかった。
急激に暗く狭まる視界。
うそ……だろ……?




