第139話「軍人」
ざわり、とあたりの空気が変わった気がした。
髭の男は目を細めた。空気を感じ取ったのかもしれない。
髭の男がすっと手をあげると、少し浮ついていた山賊たちの気が引き締まる。油断なくこちらを包囲する輪を少しずつせばめてくる。連携の取り方を見ても、やはり練度が高い。
俺はフェイの方を振り返った。
思念で伝えて、アルドラには馬車の護衛に戻ってもらっている。フェイもマカゲもアルドラもいればおいそれと手出しはできないだろう。
ミトナが俺の背後を守れる位置に近付いた。
俺は山賊たちを見渡した。
魔術だけじゃ、こいつらを撃退できない。
「――――<魔獣化>」
俺は<魔獣化>を起動させた。正確には魔法使用を抜いた<魔獣化・弱>といったところか。
幾重にもカラダを強化する魔術が掛かる。<やみのかいな>や<魔獣の腕>はないが、十分だろう。
俺は腕の調子を確かめるために、二、三度振り回した。
やはり、この感じはいい。
俺はにやりと笑った。
俺の変化を感じ取ったのか、髭の男の表情が引き締まる。だが、遅い。俺はいきなり跳躍すると枝に跳び移る。山賊たちの頭上を取った。
道の真ん中ならまだしも、ここは少し森に入った場所。足場となる枝には苦労しない。
<身体能力上昇>と<浮遊>による三次元移動。
魔術師との戦い方の基本は接近して魔術を撃たせないことだ。魔術の行使中や詠唱中は動きが止まってしまう弱点を突いて、接近戦を仕掛ける。
機動力がある騎乗魔術師はかなりの難敵になるのだ。
「<拘束>!」
「ぐっ!」
「何っ!?」
<拘束>。動きを縛る呪いのもやが一斉に駆け抜けていく。その速度がかなり速い。逃げようとする何人かの山賊の足を捕らえた。触れた瞬間に蛇のように巻き付いてその場に拘束する。
もっと捕まえられると思ったんだけどな。
予想以上に逃れた山賊の動きに、俺は舌打ちする。
後ろから投げナイフを投げようとする山賊を<空間把握>で捉えた。ナイフを当てられないように動き回る。
着地と同時に<雷撃>。山賊の男が機敏な動きで回避。魔術起動後の隙を狙って、髭の男が肉薄してきた。投げナイフ山賊の攻撃に気を取られて、接近を許してしまう。
「ツェエエエエイ!」
髭の男が剣を振るった。気合いの入った一閃が俺の腕を狙う。
命を取るつもりはないが、腕くらいは落とす一撃。容赦なく迫る剣身。
回避できたのは幸運だった。がむしゃらに動かした腕が、奇跡的に攻撃を回避する。もし身体の中心を狙った一撃だったなら、確実にやられていた。
俺は内心冷や汗をかく。
調子に乗りすぎてはいけない。機動力と魔術があれば圧倒できるはず。ただ、山賊のくせに訓練や鍛錬のレベルは向こうの方が上。体術や剣術でやりあおうとしてはいけない。
山賊が俺を標的に包囲網を狭めようとする。拘束されている人員を除き、残った人間で流動的に動いてこちらとの距離を詰めてくる。
俺が再び跳躍しようとすると、投げナイフ山賊がそれを封じる。短剣を持った女の山賊が低い姿勢で突っ込んで来た。
「くっ……! <火弾>!」
即座に魔術を起動。火球を放つ。だが女の魔術師はニヤリと笑うと急に方向転換した。
俺が目線で追いかける。再び髭の男が迫っていた。髭の男が再び攻撃体勢に入れるまでの時間稼ぎ。
再度振るわれる剣。今度は霊樹の棒で受けた。重い。棒ごと弾かれてのけぞる。
くそ! わかっていても対処できない!
髭の男はもう一歩踏み込んで攻撃する気配を見せた。だが、踏み込まず剣を構えたままさがる。
その空間をミトナのバトルハンマーの打撃部分が通り過ぎた。次いで、ミトナの高い背が俺と髭の男の間を遮る。
「ミトナ……! 助かる!」
「ん!」
ミトナはさらに踏み込むと下から跳ね上げるようにハンマーを振るう。〝獣化”せずともミトナの膂力は強力だ。髭の男の剣はあまり質が良くない。剣で受ければ折れる。
髭の男は落ち着いた顔のままバトルハンマーを避けた。打撃部分が通りすぎると、逆に踏み込んでくる。振り切った姿勢のミトナに、蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。
「<雷撃!>」
転がるミトナに駆け寄りたい気持ちを振り捨て、魔術を起動する。射出速度が速い雷撃系魔術。魔法陣が割れて雷が水平に飛ぶ。
攻撃直後が隙になるのはあんたも同じだ!
「――――<聖盾>」
金色に光る盾がいきなり出現して<雷撃>を防ぐ。髭の男は無傷。
髭の男は何もしていない。魔術師が別にいるのだ。
……じれったい。
フェイの言い分はわかる。だが、魔法を使って一掃してしまえばいいじゃないか。
何のための力なんだ。
かなりの鍛錬を積んでいる集団だが、装備はお粗末なものだ。<魔獣の腕>を発動させてしまえば圧倒することができる。
俺はまんじりとした思いを抱えながら、山賊たちを睨む。
このまあじゃ、膠着状態だ。
「じゃあ、――――ぼくがでよう」
大きな声ではなかったが、はっきりとその声は聞こえた。軽やかな鈴のような、舌ったらずな声には聞き覚えがある。
<空間把握>で辺りの様子は捉えていた。だが、いつのまにか山賊たちの間に、フード姿の人物が増えていることに気が付く。
ゆっくりとした動作で、フードを跳ね上げようとする。こぼれだす薄桃色の髪。
「疾――――――ッ!」
疾風の如き速度でマカゲが走った。フードの人物に抜き打ちで刀身が奔る。
〝獣化”を使用した、極限の速度の斬撃だ。速すぎて逆にスローモーションに感じられる。
「あぶないなあ」
反応すらできそうにない一撃は、簡単に逸らされた。いつ抜いたのかわからない、フードの人物が持つ独特な形をした短剣が、マカゲの刀身を弾いていた。のみならず、最小限の動作でマカゲの刀が、〝斬れた”。
誰も動けない中、ゆっくりと斬られた刀身が地面に落ちた。
マカゲの勢いが起こした風が、フードを完全に跳ね上げる。薄桃色のストレートヘアー。かわいらしい顔には、薄く笑みが張り付いていた。
「やはり剣聖……!」
マカゲが苦々しく呻く。
斬られて半分になった刀を振り捨て、脇差を抜き放つ。ワンステップで俺の隣に着地した。
目は剣聖から離さぬまま、マカゲは声をひそめて言う。
「マコト殿、逃げるしかない」
「は!?」
「目的はわからないが剣聖と動いているとなると、この者らは山賊などではない。正規の軍人だ。ここで歯向かえば拙者たちのほうが逆賊となるぞ」
マカゲが歯を食いしばりながら呻く。俺の背中を冷や汗が流れ落ちる。
ミトナが背中合わせになるようにこちらに寄ると、牽制するようにバトルハンマーを構えた。
「剣聖の顔が出る前ならば、と仕掛けたのだが、敵うものではないな……。逃げるしかない」
マカゲがちらりと荷馬車に目をやる。御者は青ざめた様子で馬の手綱を握っている。馬車の残骸さえなんとかすればすぐに出せるだろう。
フェイは荷台の上に立っていた。手にはいつもの短杖を持っているが、どうすればいいか迷っているようだ。
「……ここで逃げてなんとかなるのか?」
俺の心の中に、反抗心のようなものが芽生える。
そもそも、いきなり襲ってきたこと自体おかしい気がする。
本当にコイツらが正規の軍人として、襲ってきたコレは正規の任務なのか。いや、違う。そんな気がする。
ここで歯向かわなければ、それこそ自分を通せない。
俺は目の前の剣聖を見た。
やってやる。
俺は、これまで封じていた〝魔法”を解放した。
マナ防御の<まぼろしのたて>、触れればマナを吸う<しびとのて>を連続起動。
「<火炎の手甲>!」
<やみのかいな>+<「火」中級>。
異形の腕が顕現した。
砕けた魔法陣がマナの粒子を散らす。俺は燃え盛る黒炎の腕を掲げる。取り囲んでいた農民服の集団は、緊張した顔で一歩退いた。
その場から動かずに残るのは剣聖のみ。
「うん。それでいいんだよ」
剣聖エリザベータが、笑みを深めた。




