第137話「帰路」
ゆっくりと進む馬車旅は、順調に行程を消化していた。
その日のうちにソリエント村に到着することができていた。
ソリエント村の屋根が見えたあたりで、ミトナが少しもじもじしながら言った。
「ちょっとソリエント村に寄ってもいい?」
「いいけど……」
何か忘れ物でもあったっけ、と俺は首をひねる。
物資は豊富で、特に予定もなかったが、そう急ぐ旅でもないしいいかと思いなおす。
そういえばミトナはここ名産の蜂蜜麦酒がお気に入りだったな。
ソリエント周辺の森に生息する巨大蜂の巣からとれる特製蜂蜜が味の決め手らしい。
「蜂蜜か」
「ん。あたり」
ソリエント村に辿りつくと、ミトナはちょっと行ってくるね、と村の雑貨屋の方へと向かっていった。どうやら行きしなにソリエント村に寄ってなかったらしいフェイとマカゲも、物珍しそうに村を見て回りに行った。
買い込むのにそれほど時間がかかるものではないだろう。俺はアルドラの近くで待つことにした。アルドラが大きくあくびをすると、鼻先を前脚の上にのせて昼寝を始める。クーちゃんもアルドラの鞍の上で丸くなって昼寝し始めた。
俺は手頃の石に座り込むと、アルドラの毛なみを撫でる。光に反射すると銀色にも見える毛は美しい。
「白妖犬よの。ほんとに、おぬしの仲間は多岐にわたっておるのう」
優雅に宙を泳いでミオセルタがやってきた。
俺はちらりと魚を見た。宙を泳ぐ魚を見ても、ソリエント村の人々は驚く様子はない。これくらいはこの世界にとって普通なのだろうか。
人間サイズの蜂が飛んでいたりするのだから、もしかして空を泳ぐ魚の魔物がいてもおかしくはないのかもしれない。でも、魔物ってことは人間の肉とか食べたりするのか。牙とか生えてるのかもしれないな。
何故か空を泳ぐヤツメだかウツボだかわからないような深海魚みたいなのを想像して、ちょっと気持ち悪くなる。
「そんなことより、ミトナに魔術を教えるって言ってたけど、できたのか?」
「ちょっと説明した程度で出来るわけがないじゃろうが。とりあず魔術を使う感覚を身につけなければならん」
「魔術を使う感覚、ねぇ……」
そういえば、俺はどうやって魔術を使えるようになりはじめたんだっけ。
ほんのこの前のことなのに、ずいぶん昔のことのように思える。
はじめは出来損ないのファイアーボールみたいなのしか使えなかったんだっけ。
「それで、どんな魔術が使えるようになるんだ? 氷結系? 火炎系? それとも雷撃系とか?」
「そんなもんは使えんよ」
「はぁ?」
ミオセルタから飛び出したのは、意外な言葉だった。
俺は思わず眉をひそめる。
「そもそも、おぬしは半獣人のことをよく知らんじゃろ」
「いや、なんか身分的にちょっと困ったことがあるってことくらいなら……」
「ハッ! 身分? なぁにを言っとる。本当になんも知らんヤツよのぉ」
ミオセルタが心底同情する、といった口調で言う。そこまで言われるとさすがにイラっとくるな。
「そもそも、半獣人という存在はの……」
ミオセルタが言いだそうとした時に、たまたま通りかかった農夫の夫妻がバランスを崩した。背負っていたかごからジャガイモがごろごろと道に転がり出る。農夫の夫妻はあわあわとジャガイモを拾い集め始めた。
しゃべりだそうとしたミオセルタに目で合図を送って黙らせる。
俺は足元まで転がってきたジャガイモを拾い上げた。ついでに散乱したジャガイモ拾いを手伝う。
「あぁ! すみませんね。うっかり落としちまって」
俺がジャガイモを手渡すと、おじさんが人のいい笑みを浮かべた。俺も思わず笑顔を返す。
農夫はジャガイモを背負いかごに入れなおすと、一息ついた。
「あっしはこれからティゼッタでジャガイモを売るんですがね。お兄さん方はどちらへ?」
「西のベルランテに戻るところですね」
「ソリエント村へは?」
「ちょっとお土産を」
「お土産……ね」
……なんだ?
一瞬何か違和感を感じたと思ったんだけどな。
「おぉ。じゃあ、よかったらこれも土産に持って行ってくださいよ。拾っていただいたお礼です」
農夫の夫妻はどっさりとジャガイモを俺に手渡す。たちまち俺の両手はジャガイモで一杯になってしまった。今度は俺がジャガイモを落さないように苦心するはめになった。
「何よ、それ……?」
戻ってきたフェイが俺を見て不思議そうな顔で呟いた。
蜂蜜と蜂蜜麦酒の樽を買い込んでホクホク顔をミトナが戻ってくると、俺達は再び出発することにした。
荷馬車を運転する御者は落ち着いた中年男性で、どうやらベルランテへの道もよく把握しているらしい。ゆっくりと進む荷馬車に並走するようにして俺はいろいろと話を聞いていた。
あいかわらず少し後方ではミトナがミオセルタから魔術のレクチャーを受けている。魔術の話なんだし、一緒に聞けばいいのだが……。なんだかもやもやしてわざと距離を置いている。
「そういえば、ティゼッタでは馬を多く見かけましたね」
「そうですね。ティゼッタ周辺にはマルフや白妖犬が生息していないみたいので、ティゼッタから南のあたりで馬を繁殖させているんです」
ベルランテのマルフは繁殖というよりは捕獲って感じだったな。
マルフを人工的に繁殖させることってできないのか? 個人的には馬よりもマルフの方が好きなんだが。馬は家畜だけどマルフは魔物だからそのあたりが原因かなのかな。
後でクィオスのおっちゃんに聞いてみよう。
俺は人のおっちゃんの顔を思い出しながらアルドラの手綱を握り直した。
陽が暮れるころになって次の町に到着した。宿はすでにルマルが手配してくれていたみたいで、探すことなく入ることができた。この日は宿屋でゆっくりと休み、次の日の行程に備えることにする。
次の日の天候も良く、路面の状態も悪くなかった。ベルランテに近付くごとに、寒さが和らいでいく。たしかに気温は低いのだが、凍てつくような寒さは遠のいていった。
フェイは疲れが出たのか、荷台でぐっすりと眠りこんでいる。けっこう揺れる気がするのだが、気にならないらしい。
マカゲは自分の荷物から鉱石らしきものを取り出して検分していた。
「それにしても、あの霊峰だけやたら寒かったな。ティゼッタよりずっと雪が残ってたしな」
俺は立ち寄った近くの村の様子を思い出す。雪かきって大変なんだよな。仕事をする前に、まずやらなければならないっていうのが特に。
俺が昔のことを思い返していると、何気ない様子でミオセルタが口を開いた。
「当然じゃろ。おぬしらが霊峰と呼んでいる場所自体ワシらが造りだした場所だからの」
「はぁ!?」
あの山自体を? まさか。
「〝元始の炎”を抑え込むために、ヤツの苦手な場に人工的に固定しておる。あのあたり一帯そうよの」
「じゃあ、ティゼッタあたりがやけに寒いのもミオセルタのせいか!?」
「わし一人で造ったわけでなし、ワシのせいにされても困るがのう」
ミオセルタは心外だ、というように二度三度尾鰭を振る。
「あのスノウエレメンタルたちもそうよの。〝元始の炎”を抑えるためにワシらが人工的に造り出した番人よ」
その言葉に俺は納得した。あの時、〝元始の炎”が向かっていくかは問題ではなかったというわけだ。スノウエレメンタルの方が、自分から向かっていくのだ。それに、自然の精霊が人型をしているわけがないということにも今頃気付く。実際ファイアエレメンタルである〝元始の炎”はなんだかよくわからない形だった。
それにしてもすさまじい話だ。自分たちの都合のために、地形や天候を左右するとは。古代人おそるべし。
俺は半目になるとミオセルタをいかがわしいものを見る目で見た。この研究者の存在自体が、すでに原理がわからない。
「まさか、世の中の変なこと全部オマエたちのせいだとか言わないよな」
「それは穿ちすぎよの。そこまではよう言わんよ」
くつくつと笑いながら、ミオセルタはそう返したのだった。
何事もなく順調にベルランテに向けて進んでいく。森もだんだんとベルランテで見られる種類の木が多くなってくる。野鳥の声や、動物が少しずつ見られるようになって、なんだか帰ってきたような気分になっていた。
その異変に最初に気付いたのは、御者のおじさんだった。
「何かありましたね……。今の時期は野盗の類は少ないと思っていたのですが」
御者のおじさんの言葉に、道の先を見る。屋根付きの馬車が横倒しになって倒れているのが見えた。
ざわり、と何かが俺の心にさざ波を立てた。




