第133話「帰還」
〝元始の炎”は、憤怒の感情を覚えていた。
ここまで明確な感情を持つことは、初めてだった。
〝元始の炎”はいつから自分が存在しているかを覚えていない。気が付いたらそこにいた、というほうが正しい。
ただそこに存在し、大気中のマナを循環しながら燃え盛る。ただそれだけの存在だった。
それが、捕まった時から一変した。
〝元始の炎”のマナと合わない土地。
人工的に創られたエレメンタルが、物理的にも、マナの繋がり的にも〝元始の炎”を抑え込む。
自身の持つ力は無理矢理引き出され、変換され、利用される。おぞけが走るような、自然ではない技術が、自分の身体を切り分けていく。
〝元始の炎”が自覚したのは、憤怒だ。
自分が解放されたことに気付いた時、目の前の仇敵に食らいついた。
対〝元始の炎”用に調整された人工エレメンタルは、やはり〝元始の炎”を抑え込んだ。自分は消滅しても良い。憤怒に突き動かされて、〝元始の炎”は自らの身体を燃やす。
何かに背中を押される感覚を受けて、〝元始の炎”が仇敵を倒した時には、かなり存在が薄くなっていた。マナで出来ている身体は、瀕死の状態で酷使したために密度が希薄になってしまっていた。
このままでは存在が消滅する。
落ち着いてマナを補給できるところを見つけなければならない。
――――見つけた。
俺達は言葉を失っていた。
巨大スノウエレメンタルが消えた跡には、何も残らなかった。
〝元始の炎”の暴走爆発は予想以上だった。ミオセルタの読み通り、一撃で巨大スノウエレメンタルを吹き飛ばした。
「ふむ。こんのものよのぉ」
ミオセルタが満足そうに言う。
その声を聞いたのか、ミトナが俺の横まで来ると不思議そうな表情で問うた。
「あの、大きな炎はどうなったの?」
大きな炎、とは〝元始の炎”のことだろう。
「残りのマナ残量を使い切って消滅したはずじゃ。マナで構成された魔物じゃからの、存在自体が消滅したはずよの」
あの大爆発の後、ガスが切れかけのライターみたいに、確かに炎が薄くなっていた。
俺にとってマナ切れは強制的に気絶するだけなんだけどな。
マナで出来ている魔物は、マナ切れなると自分を形作るものがなくなり、消えてしまうというわけか。
〝元始の炎”。最後、こっちに向かってきたように見えたけどな……。気のせいか。
なおも説明するミオセルタを、ミトナが聞き流しているのを見ながら、俺は惨憺たる有様となった山頂を見ていた。溶けた雪であたりがぐちゃぐちゃになり、不自然に隆起した雪の層が景観を壊している。あのあたりの不自然な雪山は巨大スノウエレメンタルが倒れてできた山だ。
「こうなると、雪崩のほうが心配だな」
「確かにな」
俺と同じ風景を見ながら、マカゲが誰にともなく呟いた。
あれだけ暴れたのだ。雪崩の危険性も高い。
ミオセルタが研究所の方を向いて漂っている。何か思うことがあるのだろう。
動力源を失ったことで、研究所は完全に沈黙していた。もう扉一つ動かないのだろう。
声をかけようかとも思ったが、やめておいた。
ミトナが俺の肩を叩いた。いつのまにかミトナがすぐそばまできていた。見ればアルドラはモウィラーを下ろしており、すでに帰り支度ができていた。
「マコト君。帰ろう?」
「そうだな……」
「戦利品は古代のおじいちゃんのみか……。すごいんだかすごくないんだか」
「ワシはスゴイんじゃぞ? これだから若いもんは……!」
憤慨した様子で泳ぐ機械仕掛けの魚。たしかに、その光景だけを見ればスゴイとも言えなくもないな。
「きちんと私のゴーレムも改良してよ?」
「んむ? まあ、まかせておけ」
半眼で言うフェイに、ミオセルタが安請け合いする。
「ワシがここに閉じ込められている間に、どう世界が変わっておるのか、楽しみじゃのう」
そう言うと、誰よりも先にミオセルタが雪道を下りはじめる。俺達は顔を見合わせると、ゆっくりとその後を追いかけた。
ふもとの村では、ちょっとした騒動になっていた。
霊峰の方から不気味な音が聞こえるということで、何か恐ろしい魔物でも出るんじゃないかと噂になっていたのだ。
俺達は冷や汗をかきながら知らないふり。
たぶんその不気味な音っていうのは巨大スノウエレメンタルの雄叫びとか〝元始の炎”の爆発音だろう。ちょっと地元の人をおびえさせてしまったのはもうしわけない。
再び一晩の寝床をお世話になり、次の朝早くに出発した。
行きと同じルートを通り、ようやくティゼッタに辿り着く。
ティゼッタの街の入り口で、モウィラーが自分の荷物をアルドラから降ろしながら言う。
「いやあ、いいものを見ることができました。みなさんはいつもあんな体験をされているんですか?」
「あんなのは俺達もまれだよ」
「そうかな……?」
ミトナが小さく疑問の声をあげる。俺は聞こえないふりをした。
モウィラーが納得したように、うんうんと頷く。
「ぜひどこかで珍しい魔物を見ましたら、教えてくださいね!」
モウィラーは俺の両手を掴むと、勢いよくブンブンと振る。そのあとはわき目もふらずに雑踏の中へと消えて行った。
あの巨大決戦を見ても動じないなかなかの人だったな。また何かあったときは頼りにさせてもらおう。
一度フェイとマカゲもティゼッタでの拠点に戻ることになった。たしかに雪山用耐寒装備はかさばる。夜にもう一度ルマル商店で集合することを約束する。
俺とミトナも一度ルマル商店に戻ることにした。
ミトナが宙を泳ぐミオセルタをつつきながら言う。目が微妙に獲物を狙う目だ。
「ルマルさん、びっくりするかな?」
「いや、案外あの人ならすんなり受け入れるかもな」
俺としても空を泳ぐ魚が、この世界の人にとってどれほど驚くべきことなのかがいまいち図り切れない。
隣を歩くミトナが、ふぅん、と納得ともそうともつかない声を出した。
「ふぅむ。おもしろいものよのぉ」
「どうしたの?」
「文明レベルで言えば、ワシが歩いていた時代よりむしろ下がっとる」
ミオセルタがゆっくりと頭を巡らせる。
通りの屋台はおいしそうな料理が湯気を上げているし、屋台エリアを抜けた先にあるショップエリアでは、服、雑貨、食材と一通りのものが買える。石造りの家の中では、ストーブがたかれ、室内を温めている。
それなりの生活レベルがあるように見えるけどな。
「ミオセルタの時代と、何が違うんだ?」
「ワシの時代では、もっと魔術機構が使われておったが、ここには見られぬ」
「なんだそれ。聞いたことないけどな」
ミオセルタはふむ、と一言置いてから説明する。
「マナを利用して様々な効果を得るんじゃが。ほれ、研究所にあった自動で開く扉とか、魔術ゴーレムとかじゃなあ。身体に埋め込むものもあったんじゃがの……」
犬の半獣人とすれちがう。ちょっと狭い道だったため、俺は身体を開いて躱す。
「ふむ……。本当に、ワシの時代とは違うのぉ……」
ふと、俺はミオセルタがミトナを観察しているような気がした。
魚の目はガラス玉のようになっており、どこを見ているかいまいちわかりづらいが、マナの繋がりで繋がっているためか、なんとなくわかる。
問いかける前に、ルマル商店についた。
俺はタイミングを失って、聞くことができなかった。




