第122話「勧誘」
剣聖のお嬢様のお願いは、予想外のものだった。
「俺を、勧誘したい……?」
「うん、そう」
「それは、マコト殿を騎士団にほしいということですか?」
「うーん。それとはちょっとちがうんだよ」
マカゲの疑問にエリザベータは要領の得ない返事を返した。
エリザベータ・ガラハッドというのは、およそ剣聖に見えない人物だ。華奢な体躯、細い腕。この腕で赤蟲竜の甲殻を切り裂いたとは信じられないほどだ。薄桃色の髪は近くで見ると絹糸のような繊細さ。まるでお人形のような、という表現が似合っている。
今はリビングのテーブルの対面側にちょこんと座っている。フェイが用意した紅茶を、猫舌なのかおっかなびっくり飲む姿は先ほどの威厳の欠片も見かけられない。
がらりと変わった雰囲気に、俺達は混乱していた。
その中で【体得】のことを言わずにすんだことに、俺はほっとしていた。
「ぼくのものとして、ほしい」
「ちょ……ッ!?」
「それは、騎士団の一員としてではなく、剣聖殿の私兵として欲しいということでしょうか?」
マカゲが若干上ずった声で問う。エリザベータが頷いた。
それならばなんとなくわかる。さっきまでの赤蟲竜の戦いを見ていたのだろう。もしかすると、闘技大会も見ていたのかもしれない。
「それにしても、どうして俺なんだ? 二刀剣士とか、魔術師のじいさんとか、強そうな奴ならいっぱいいただろ?」
俺は騎士団には向いていない。とくに剣聖とか言われるこのエリザベータの部隊になら、特にだ。
「それに、迎えてもらっても役には立てない。俺、剣とか使えないから」
「それは、ことわるってこと?」
「――――そうだ。断る」
俺はきっぱりと言い切った。
フェイとマカゲが驚いた表情で俺を見る。
だって考えてみろ。今までアプローチもなかったのにいきなり騎士団の英雄みたいなのが俺を勧誘する理由がわからない。裏があるとしか思えない。
不気味な沈黙が店内に満ちる。
まさか、断ったから殺す、とか言わないよな。
背中を冷や汗が流れているが、顔には出さないように気を付ける。
「…………わかった。いまはかえる」
エリザベータが静かに席を立つ。いつのまにかエリザベータは紅茶を飲み終わっていた。ルマル商店の品物を珍しそうに見渡した後、出口へ向かう。その一挙手一投足に釘づけになる。
エリザベータは扉を開け、身体を半分出したところで、動きを止めた。
「ひとつだけ」
「……?」
「いつでもまってるよ。できれば、しにんがでるまえにきてほしいな」
「――――!?」
ガタンと椅子を蹴立てて俺は立ち上がった。その時にはすでにエリザベータの姿は店の外へ。
俺は店のすぐ外にアルドラを待たせているのを思い出した。すぐに思念で連絡を取る。
(アルドラ! さっき店の外に出た女の子! どこに行ったかわかるか!)
(……わからない。気配、消えた)
アルドラからは無念そうな思念が届くのみ。白妖犬の知覚からも逃れるとは、どれほどのスペックなのか。無駄だとは思いながらも<空間把握>を起動する。やはり見つけることはできない。
俺はすぐに店の外に飛び出すが、もうエリザベータの影も形も見えなかった。
店に戻ると、フェイとマカゲが帰る支度をしていた。
「とりあえず今日は宿に戻るわ」
「そ、そうか」
「マコトの話を聞くにしても、ミトナが起きてからにしたほうがいいでしょ?」
フェイは深刻な顔をしたまま、俺に言う。そのまま店を出て行った。マカゲは俺の肩を軽く叩くと、何も言わずにフェイについていった。
扉が開く音で、俺はハッと目を覚ました。疲れからくる眠気に耐え切れず、リビングのテーブルで眠ってしまっていたらしい。枕にしていた腕が微妙に痺れていて痛い。
「おや、起こしてしまいましたか」
「ルマル……」
「こんなところで寝ているなんて。ひどい顔をしていますよ」
ルマルは明かりに火を灯すと、消えていたストーブに火を入れた。室内の闇が暖かい光に押しのけられていく。すでに陽は落ち、夜が訪れていた。冷え切った身体がようやく寒さを脳みそに伝えてくる。
「聞きましたよ、活躍されたそうですね」
「どうだかな」
「赤い蟲竜について調べてきたのですが、その前に終わりましたね」
「剣聖がまっぷたつにしちゃったからな」
ルマルは水差しからコップに水を汲むと手渡す。冷たい水を飲むと、少しは意識がはっきりしてきた。
「マコトさんは冬竜武闘大会でも、ティゼッタ防衛戦でもかなりの働きをしましたからね。蟲竜とも一人で渡りあったそうじゃないですか」
「それほどのことか? ハイロンだって蟲竜を一人でやっていたぜ」
ルマルは俺の言葉に呆れた表情になった。
「ハイロン様は竜人ですからね。頑健さも、膂力も違いますよ。たぶんこれから多くのところから勧誘がかかるでしょうね」
なんだろう、この微妙な感覚は。
俺のことを求められるのは自尊心がくすぐられるが、軍人や兵隊はやりたい職業じゃない。騎士団も似たようなものだろう。
自分が求めているのは日々を気ままに暮らせる職業であって、人と殺し合うことも想定したブラック企業じゃないぞ。
俺の心の中を知ってか知らずか、ルマルはさらに続ける。
「ハイロン様からもマコトさんのことをお聞きになったのでしょう。領主様がぜひ蟲狩り隊に勧誘したいとおっしゃってましたよ。私の方から打診してほしいと」
「うぇ。そっちもかよ……」
なんだか勧誘が多いな。どういうことだ。
「そっちも、とは?」
「いや、さっき剣聖のお嬢様がやってきて、俺を勧誘したいって言ってたからさ」
ルマルはぽかんと口を開けたままの表情で固まった。
血相を変え、いきなり机を叩きながら立ち上がる。
「剣聖!? あ、あなたはそれで、どうしたのです!?」
「断ったよ。兵隊とか、俺にはできない」
「こ、断ったァ!?」
ルマルは顔を青くしたり赤くしたりと苦しそうな表情をしたのち、脱力したように息を吐きながら椅子に座り込んだ。
俺もなんだが動悸が激しくなってきた気がする。いつも冷静だったルマルがここまで取り乱すのを見るのは初めてだ。それほどのことなのか?
「剣聖は貴族です。隊に迎えたいというのなら、それは叶って当然の事。断っても何かしら別の手でくるでしょうね」
失敗したか? でも、受けるわけにもいかないしなぁ。
俺は何も言うことができなかった。微妙な心持ちのまま、夜が更けていった。




