第104.5話「見失わないように」
闘技大会の喧騒が耳に障る。アルマは、顔をゆがませるのはなんとか耐えた。
領主オーロウの侍女として近くに侍っているのだ。おおらかな領主様とはいえ、あまり粗相はしたくない。それでも無表情になってしまうのはしょうがないが。
そもそも今日外出する予定はなかったのだ。それを、マオが昨日あんなことがあったから気分転換にと無理に外出組に入れ込んだのだ。
何を聞かされたのか、ハイロンもそれに同意。闘技大会を見るオーロウの後ろにいるこの現実になったわけだ。
アルマは横に立つマオをちらりと見た。友人の顔はうずうずとしている。クールな無表情を装ってはいるが、髭がぴくぴくと動いている。あと、尻尾が落ち着きない。闘技大会を楽しみにしていたのはこの友人こそなのだ。
アルマは気付かれぬよう、内心でため息を吐いた。
(人が殴りあうのを見て、何が楽しいのかわからない……)
なぐられるのは、いたい。
かおだと、いたいしあつい。
おなかだと、くるしいし、つらい。
「アルマ……! 始まるよ……!」
(――――っ!)
マオの呼びかけに、アルマの意識は引き戻された。血の気が引きかけた身体が、気持ち悪い。
身を叩くような歓声が、闘技場を駆け巡る。
『さぁっ! お待たせしました! 次の試合は、ティネドット商会代表マコト選手と、ルマル商会代表のアキンド選手です!』
フード姿の魔術師と、ゆったりとした異国の服に、ターバン、覆面という怪しげな男が姿を現した。
二人は闘技場の中央で対峙する。
魔術と魔術の応酬が繰り広げられる。魔術なんてものを見たのは、あの時以来だ。あの時も、逃げることに必死で、何があったかはいまいち覚えていない。
「すごいな……。あの杖を二つ使いこなすのもすごいが、無詠唱でやりあう相手もかなりの使い手だ」
「ああ。付与魔術系も使いこなして……っと! 拘束する魔術か! こりゃあ決まったな」
魔術というのは凄まじい。
原理などはアルマにはわからないが、人が持つには過ぎた力だ。
地を砕き、湖を割り、空を焼く。
その豪快さと、引き起こされる現象は、いっそ美しい程だ。
(あんな力があったら…………)
「……<雷蛇>ッ!」
異国の魔術師が動きを封じられ、それを食おうと雷撃の大蛇が迫る。狂った猪じみた突進で、激突した。
大蛇が通り過ぎた後に、その人は立っていた。
「あ…………!?」
『――――――!! ――――――――!!!!」
『――――、――――――……』
司会の声も、何も聞こえない。目は吸い付くようにあの人に向けられている。
どうして? ほんとうに? どうすればいい?
頭の中はぐちゃぐちゃで、あの人がいつのまにか闘技場から去っていたことに気付き、アルマは自分の愚図さに落胆した。
二試合目に、あの人が出てきたときにアルマの身体は無意識に動いていた。
「ちょ、ちょっとアルマ!?」
友人の制止も意味を為さない。ふらふらと前に出る。領主オーロウが驚いた顔をしているのにも、アルマは気付いていなかった。
柵を乗り越えんばかりに、闘技場へと近づいていく。
あれは、あの人だ。
着ているものは違うが、顔を見間違うわけがない!
衝撃に深く考えられないアルマの前に、太い腕が差し出された。アルマははっとして歩みを止める。もうすこしで闘技場の中へと入ってしまうところだった。
アルマを止めたのは、領主オーロウの三男で竜人のハイロンだった。アルマを落ち着かせるように、冷静な声で言う。
「これ以上は、危険だ」
「あ……。あの……! あの人っ! ええと! その……!」
ぜんぜん言葉にならない。言いたいことも、やりたいことも一杯あるのに、そのどれもがうまく繋がらない。
ハイロンが、闘技場の勝者にちらりと目を向けた。
「彼が、どうかしたのか?」
「た、助け……っ!」
もどかしい。違う。言いたいのは、あの人に会いたかったということなのに。
ハイロンが無愛想な顔まま、アルマの頭に大きな手のひらを乗せた。何故かハイロンは優しい。初めて屋敷で出会った時は、竜の顔の怖さに泣いてしまったが、それでも優しくしてくれる人だった。
「落ち着け。ちゃんと聞いてる。ゆっくり喋れ」
「あの人……知ってる人、なんです」
「そうか」
「ほんとだ……! あの時のお兄ちゃんだ!」
マオの大声がすぐ近くで聞こえた。いつの間にか横に並んでいたマオが、手で庇を作りながらあの人を見る。マオもそう思うのなら、間違いはないだろう。
胸の奥が燃えるように熱くなる。『あの人』なのだ!
「おいおい。私を差し置いて楽しそうな話をすんじゃないよ。ぇえ? それで、あのマコトとかいう魔術師がアルマとマオを助けて犠牲になったって人かい?」
領主オーロウが楽しそうな笑みを浮かべて二人に話しかけた。とても五十歳を超えてるとは思えないほど、若々しい力にあふれている。もともと傭兵をやっていたらしい、そのためか、そういった弱きを助ける英雄譚が好きなのだ。それがこうじてか、アルマやマオみたいな子をよく拾っている。そんな領主なのだ。
「そう! 囮になって逃がして。私たちは川に飛び込んだからその後のことがわからなくて」
マオが説明をする間も、アルマは闘技場を控室に去るマコトに釘付けだった。
ここからだと、叫んでも聞こえない。もっと。もっと近くに。
「あ、会えますか!?」
ハイロンが領主オーロウを見る。領主オーロウは、仕方がないという顔で頷いた。
ハイロンが牙が並ぶ口を開くと、優しい声で言った。この怖い顔の人は、意外と細やかなのをアルマは知っている。
「行ってくるといい」
「…………ありがとう、ございますっ!」
お礼を言う時間も惜しく、もどかしい気持ちでいっぱいのままアルマは貴賓席を飛び出した。
「ちょ、ちょっとアルマ!?」
「マオもついていきな。あの子だけじゃ心配だからね」
「あ、はい! …………待って! 待ってアルマ!」
普段から運が悪いというか、いろんな悪いことが起きがちなアルマだ。マオが行かねばまた先日のように絡まれたりすることも考えられる。そもそも貴賓席から控室までは入り口が違うのでかなり離れている。道に迷うこともあるだろう。
マオが慌ててアルマの後を追う。
二人が去った貴賓席で、領主オーロウが動いた。手を挙げて執事を呼ぶ。
顔つきが変わっていた。アルマやマオに向けていた柔らかい、優しい顔は無い。そこにあるのは、冷徹な顔だ。
「あの男、調べろ。性格、仕事、出自、全部な」
「はっ」
執事が一礼して去った。深く椅子に座りなおした領主オーロウに、ハイロンが歩み寄る。
「気になるのか? 母上」
「気になるのはオマエのほうだろう?」
「…………」
顔をにやけさせ、悪戯っぽい顔で笑う領主オーロウ。歳に似合わないガキ大将のような表情に、ハイロンの顔が渋くなる。
「すまん、許せ」
「いえ」
「……山奥の秘密のルートで、奴隷商人の輸送馬車が襲われるってどれくらいの可能性だと思うかい?」
自分の義理の母が、急に言い出したことの意図がつかめず、ハイロンは困惑の表情になった。
言っている内容はわかる。アルマとマオがここに来ることになった原因に関わる話だ。
「そこに現れて颯爽と助けていく英雄か。そんな秘密のルートを知っているのは、同じ奴隷商人くらいなものだと思うのさ。考えすぎかもしれないがね」
ハイロンは闘技場に視線を戻した。
奴隷商人どうしの商品の奪い合い。あの男が善人かどうかは、わからない。
「ハイロン。次に戦うだろうし、ちょっと探りを入れておくれ」
「叩きのめしても?」
「……うらまれるぞぉ?」
ハイロンは無視した。知ったことではない。
手加減は、しない。
マオが追いついた時、ちょうどアルマが石に躓いて盛大に転倒したところだった。
「落ち着いて、ね」
「マオ……」
「うん。わかってるから。落ち着かないと会うまえにアルマが怪我しそうだからね」
アルマはマオの毛皮に包まれた手を握ると、助け起こしてもらう。深呼吸を数回くりかえすと、ようやく走り出さなくてすむくらいには落ち着けた。
迷いながらもマオとアルマが控室に辿り着いた時には、すでに決勝戦が始まっていた。
がらんとした控室。
「ここで待っていれば戻ってくるかな……」
「アルマ、ここから闘技場が見えるよ」
マオに促されてアルマは闘技場を見た。ハイロンと向かい合って立っている、あの人を。
ハイロンの拳が飛ぶ。
アルマはその威力を知っている。岩を砕き、蟲竜の外殻ですら砕くその威力を。
アルマは知っている。暴力を受ける、その痛みを。
「―――――おにいさんッ!」
試合だから。命の保証はあるから。そんなことはアルマの頭にはなかった。
ただ、声を届けたいという気持ちで一杯だった。
「アルマッ!! 心配なのはわかるけど! 無茶しすぎだよっ!」
がくんと身体が無理矢理止められた。マオに走り出そうとした身体を止められ、そのまま押さえ込まれる。鍛えている獣人の彼女の腕から逃れることは、できない。
だけど、あの人と目が合った、と思う。
アルマを見て、驚いていた。覚えてもらっていたのだろうか。
(今度は、見失わない……!)
アルマは、ひとつも見逃さぬよう、息を詰めてマコトを見つめていた。




