第99話「冬竜ランニングレース(前篇)」
第99.5話「冬竜ランニングレース(後編)」を明日投稿予定です。よろしくおねがいします。
冬竜祭二日目の大きなイベントは『冬竜ランニングレース』だ。
元の世界にも似たようなレースが存在する。合図と同時に飛び出し、ゴールにいち早くたどり着いた者が今年一番の福男になるというのだ。
冬竜ランニングレースも原理は似ている。ただ、毎年違うのがゴール地点が変わるということだけか。
二日目の朝日を受け、領主の城は美しく照らし出されていた。屋上は少しだけ風が強い。
領主の城は少し小高くなっている丘の上にあり、城の後ろは大きな湖になっている。
その屋上階に、一人の竜人族の男が立っていた。手には大きな弓が握られている。このあたりの木材を利用した複合材の弓だ。大きさからして、通常の人間が使えるレベルではなくなっている。この弓をひくのには、どれほどの膂力が必要になるだろうか。
だが、竜人は軽々と弓を引く。ぐぐぐっ、とたわんだ弓のほうが悲鳴を上げそうなほど。
つがえられた矢は先端が丸くなっていた。丸くなった先端には、魔法陣が刻まれている。この冬竜ランニングレースのために特別に作られた一品だ。特別な<印>が仕込まれている。この<印>が起動した地点が、ランニングレースのゴール地点となるのだ。
竜人は矢を城下に向かって解き放った。
朝の日差しを受けながら、俺は準備体操をしていた。朝の冷たい空気が気持ちいい。
クーちゃんはまだ寒いらしく、フードマントのフード部分に収まっている。
「よっし、いくか」
俺は集中するために声に出すと、魔術を起動した。
<空間把握>、<やみのかいな>、<浮遊>、<身体能力上昇>。自由に身体を動かすために必要な魔術が連続で起動。魔法陣が割れ、あたりに欠片を撒く。
ティゼッタは石造りの家が多く、細かい通路も多い。入り組んでいるように見えるが、屋根の高さは一定で、空中を行く分にはとても動きやすい。空中移動の練習もかねて、町を把握するためにも町の上を飛ぶ練習をしよう。そう思い立ったのはさっきだった。
「ほっ」
かけ声一つで窓枠を経由して屋根の上へ。朝日で照らされている街並みは、とても美しい。動き出そうとしている雰囲気がまた心をくすぐる。
屋根から屋根へ跳ぶ。<浮遊>によって重さ自体が軽くなっているため、屋根を破損させる心配も少ない。跳びうつることにはじめは少しもたついたが、すぐに慣れた。とくに<やみのかいな>によって追加された尻尾のおかげだ。落ちそうになるとどこかに巻き付いたり、方向転換したりするためにひっかけたりするのに使えるのだ。
ジェットコースターとか、絶叫ものに乗る人の気持ちがわかるわ。このスピード感はくせになる。
俺は空中を跳びながら、笑い声をあげ―――。
――――脇腹に矢が命中した。
「ぐほォッ!?」
何だ!? てか、誰だ!?
防具のおかげか、矢は刺さることなく眼下に落ちた。落ちる矢の方など見ている場合じゃない。
いきなり横から攻撃を食らったことで、体勢が崩れてしまっていた。思いっきりバランスを崩し、目の前の壁にカエルよろしくべちゃっと張り付く結果になった。痛い。
「ったく、何だったんだ今の」
地上に降りた俺は全身を見回してみたが、外傷は特にない。
そもそも<空間把握>の範囲内に怪しい動きをした人間はいなかったわけだから、感知外の遠距離から飛んできたことになる。警戒していたが、追撃があるようでもないし、俺は首をひねるしかなかった。
空中を跳ぶ気もなくなり、あとは地上でおいしそうなパンを売っている露店を回ってルマルの店まで戻ることにした。
「あ、おかえり」
「おかえりなさい、マコトさん」
暖かいルマルの店に戻ると、すでにミトナは起きており、いつのまにやら来たのかルマルの姿もあった。
ストーブの前の暖かい位置にクーちゃんを丸めて置くと、俺は買ってきたパンやらなにやらをテーブルに広げる。すでにルマルが持ってきた朝食が広げられていたので、追加という形になる。
「あ、朝食を買ってきたのですね」
「おいしそう」
ミトナが一つ手に取って食べるのを見ながら、俺は席に着いた。
「昨日はお疲れ様でした。本戦は明日になりますね。ニセモノとあたるまで勝ち進まないといけませんが」
「ああ、それは大丈夫だと思う」
「それは、どうしてです?」
「ちょっと仕込んできたからな」
俺が悪い顔でニヤリと笑うと、ルマルの方も何かを察知したらしい。あれだけ煽ったんだ。あとはティネドットの方が勝手に仕組んでくれるだろう。
「んで、今日はどんなイベントがあるんだっけ?」
「今日は『冬竜ランニングレース』ですね。スタートは領主の城前広場になります。毎年多くの参加者がいるうえに、一着は領主様と謁見できる機会が与えられるんですよ」
「へえ、領主様、ねえ?」
俺の頭の中にはオーソドックスな領主様イメージが展開される。ロールプレイングゲームでよくあるような、赤いマントにヒゲ、王冠のオッサンだ。うん、さすがにこれはないな。
しかし、領主に会えることでいいことがあるのだろうか。賞品がもらえるとか?
俺はそこであることに気付いた。
このレースは入り組んだ路地を走るから大変なわけだ。屋根の上を跳んだら無敵じゃないか?
「なあ、ひとつ聞くが、ゴール地点までのルートって指定されてたりするのか?」
「いえ、そんなことはありません。どのルートを通ってもよいので、ゴール地点に辿り着ければよいはずです」
「なら、楽勝だな」
「……?」
パンをくわえたまま不思議そうな顔で小首をかしげるミトナに、俺は拳を握ってみせた。
俺とミトナとクーちゃんは、領主の城の前までやってきていた。その人の多さに、一瞬唖然としてしまう。
領主の城の前には、大勢の出場者がそろっていた。マラソン大会の出発前、といった雰囲気だ。
冒険者から、一般市民までたくさん集まっているのがわかる。熱気に包まれ、それぞれが思い思いに準備運動をしているようだった。
「よし、今年こそオレが一着だ!」
「なんの、オレが一着。いいところ見せて士官させてもらう!」
「バカ言え。このために鍛えたオレ様が一番だ!」
そんなことを言いながら張り合う男たちの様子が見える。
出場の証となるらしい布きれが配布されていたのでそれを受けとると、ざわざわしていたみんなが静まっていくところだった。
「皆のもの! よく集まった!」
よく通る、凛とした声が響いた。
領主の城前の広場、そこに面しているバルコニーから姿を現したのは、五〇代くらいの女性だった。すらりとした体型、立ち姿は年齢の割に力強い。首に銀色の毛並のきつねの襟巻、質のよさそうな服は軍服のようにも見える。
オーロウ様! という周りの男たちの呼びかけで名前がわかった。
「強さだけでなく速さを競うこの競技、なめてかかるなよ!」
おおおおおおおお! という雄叫びが、あたりからあがる。
領主オーロウは、にっ、と獰猛な笑みを見せると、手に持っていた剣を将軍のごとくガツンと立てる。柄に両手をのせる立ち姿は様になっている。闘技大会を開いていることといい、だいぶ戦闘派な領主様だな。
「すでにゴール地点には特別製の<印>を飛ばしてある。例年通り<印>が光を放っている地点がゴール地点だ。皆、全力で走れ!」
突き出される拳。やる気のこもった叫び声。なんだかわくわくしてきた。隣のミトナを見ると、いつもの眠そうな表情が真剣だ。やる気のようだ。
こっそりと空中機動のための魔術を起動する。よし。これでいつでも飛び出せる。
「それでは、開始だ! <印>を起動せよ!」
領主の城は街から少し小高い場所にある。ここからならゴール地点が見える……はずなのだが、一向に光っている地点が見つからない。
「マコト君」
「ミトナ、どこが光ってるかわかるか?」
「ん。よくわかる」
「いや、ちょっと俺にはわからないんだが、どこだ?」
ミトナが見ている方向を確認しようと、身体をひねる。そこで気付いた。こんなのありか?
「ん。マコト君の脇腹が光ってる」
直後。火柱を彷彿とさせる勢いで、光の柱が吹き上がった。ダメージとかは無い。俺の身体が脇腹中心にものすごく光っているということはわかった。なにこれ。俺すでにゴールってことでいいの?
見ると、バルコニーの上で領主がお腹を抱えて爆笑しているのに気付いた。ひとしきり笑うと、動きが止まっている俺たちに、衝撃的な言葉を放った。
「――続行だ! 奴を捕まえた者が今年の勝者だ!」
……マジで?




