第94話「蟲竜」
太陽が地平線の向こうに沈んだ。あたりはすでに暗くなっており、空には明々と星が瞬いている。
夜になれば街の門は閉ざされる。だが、ティゼッタ領に向けて歩く旅人たちの姿があった。
陽が暮れるまでに街に着くはずだ、という予想が裏切られた者。街の門の外で野宿をすることも視野に入れた者まで様々だが、フェイとマカゲの二人は前者だった。
フェイは明らかに不機嫌な顔をして歩を進めている。マカゲのほうはイタチ顔のひげが垂れ下がり、げんなりしていることが見て取れた。
「拙者、日暮れまでには無理だと言ったと思うのだが」
「うるさいわね。頑張ればいけると思ったのよ」
マカゲはこれ以上何を言っても自分に跳ね返るだけだと結論し、口を閉じた。遠くを見るようにする。後ろにはティゼッタを取り囲む石壁が長く続いているのが見えた。
フェイがフン、と鼻を鳴らすと、ザクザクと大股で歩き続けた。
フェイとマカゲは準備を整えた後ベルランテを出立。南のデファンという大きな街から飛魚に乗ってティゼッタ近くまで到着、そこから北上してティゼッタに向かっていたのだった。
『飛魚』というのは、名の通り空を飛ぶ魚型の魔物のことだ。マルフや白妖犬と同じく、人を乗せて移動することができる。ただし、空中のマナの流れに乗って飛ぶため、飛行コースが限られているのが難点だった。
本当ならば飛魚が到着した街で夜を越し、次の日にティゼッタ入りをするのが普通なのだ。それを、フェイは今日中に行けると豪語し強行。見事失敗したというわけだった。
「そもそも、全部マコトが悪いのよ。そうよね?」
「…………」
「な、ん、と、か、言いなさいよ!」
がっくんがっくん揺さぶられ、マカゲは渋々と口を開いた。触らぬ神になんとやら。とりあえず同調しておけば悪化しないだろう。
「そうだな。マコト殿が悪い」
「よく知らないアンタがそんなこと言うわけ?」
「…………マコト殿にはマコト殿の事情があるのだろう?」
「知らないわよそんなこと!」
なら聞くなよ。マカゲの表情はそう語っていたが、フェイは気付いていないようだった。なおもぶちぶちと文句を垂れ流す。これ以上かみ合っていない会話をするのも嫌になったマカゲは、首もとに巻いていたマフラーをぐいっと口元まで引き寄せた。
しばらくの間、静かな時間が流れたが、それを破ったのはフェイだった。
「ねえ、あれ、何?」
フェイがマカゲの袖をひっぱり、遠くの方を指差す。
マカゲはもう何もしゃべらないという決意を固めたところだったが、一応フェイが指差した方向を確認した。
ティゼッタを取り囲む石壁。その壁の上部に、何か鉤爪のようなものが掛かっている。意味がわからない。ティゼッタの中心街に入る壁に侵入するならまだしも、こんな外周部の壁をよじ登る必要があるのだろうか。門は開放されており、扉すらついていないのに。
鉤詰めが二つ石壁にかかると、よじ登るようにして全身を押し上げる。その正体が見えた。
一言で言えば、巨大なカマキリであろうか。
頭部は大きめの複眼を備え、触覚が生えている。両の手は鎌になっており、牛くらいなら捕まえて引き裂いてしまいそうだ。胴体部は大きく、薄い羽が収納されているのが見て取れた。
カマキリと違うのは胴体部。鎧でも仕込んでいるのかというほど膨らみがある。そして、月光をつややかに跳ね返す全身は、表皮がわりの外殻が硬いことを表していた。
この魔物をマカゲは知っている。
「蟲竜だ……!」
「あれが!?」
マカゲの呟きに、フェイが驚いたように振り向いた。フェイも名前くらいは知っていたらしい。
魔物は人を狙う。蟲竜はその中でも凶悪な魔物として分類されている。
フェイとマカゲは顔を見合わせた。二人でどうこうできるレベルではない。一番いいのはすぐに逃げ出すことだ。だが、周りには何人もの旅人がいる。中には、地元の人と思われる農夫らしき人も見えた。
フェイは警告の声を上げようとして、周りの雰囲気が違うことに気付いた。
農夫も、旅人も、何かを知ってるとばかりに焦っていない。
むしろ、焦っているフェイとマカゲのほうが浮いている感じだ。そのことに気付いた農夫が、二人に話しかけてきた。
「おンや? 旅人さんたち、ティゼッタは初めてかい?」
「え、ええ。そうよ」
「なら、よう見ておるがええ。冬竜祭の名物やかンね」
「へ?」
フェイの視界の中で、蟲竜に向かって一直線に向かう流れ星が見えた。
星ではない。よく見れば、人間のような手足を持つ何かが、蹴りの姿勢のまま空中をカッ飛んできたのがわかった。光って見えたのは、雷を全身に纏っているからだ。
「何あれ」
蹴りが蟲竜に突き刺さった。迎撃しようとして出された蟲竜の右の鎌は一撃で爆散。衝撃に巨体が揺らぐ。
降り立った人影に、残った鎌が振り下ろされる。だが、ものすごい速度が出ているはずの鎌を、余裕で避けていく。
いつの間にか、蟲竜の周りに、統一された装備の一団が包囲を完了していることにフェイは気付いた。すぐにフックつきロープが蟲竜の細い足に巻きつけられ、動きを封じていく。暴れて拘束から脱しようとする蟲竜を、一団はうまく制御して捕まえ続けていた。
「ほンら来た。ティゼッタの蟲狩り隊じゃけぇ。寒うなると、蟲がよう出よる。それを退治する街の衆じゃ」
蟲狩り隊の名前どおり、ものすごく手際がよい。鎌にもロープがかかり、とうとう身動きを取れなくさせてしまう。
「ほんれ、あの方が領主の三男さんだべ」
農夫が指差す先、さきほど流星となっていた人影が、蟲狩り隊が放った照明に照らされてはっきりと見えた。短い角、鼻先の髭、強靭な鱗、牙持つ龍の頭と人の体躯。
ドラゴンの獣人――――竜人だ。
思わずフェイとマカゲはよく見ようと目をこらした。
身動きが取れないと思われた蟲竜が、胸部を突き出すように胸をそらした。一瞬大きく膨らみ、次の瞬間、ベコンと圧縮するようにへこむ。蟲竜の口部分がガパっと開いたかと思うと、何かを吐き出そうとした。
ブレスか、毒か。それらが吐かれる前に、竜人の天を突くようなアッパーカットが下から顎を押し上げた。紫電纏う拳が、顎を粉砕する勢いでめり込む。直後、頭部が爆発した。
頭を失ってもなお、胴体部分は動いていた。暴れる鎌や脚を隊員が全力でロープを引いて抑え込む。
空中で竜人が腕を振り下ろした。連動するように空中から太い雷の柱が降り注ぐ。
手を叩く音を何万倍にも増幅したような音がフェイとマカゲの耳を打つ。
全身を焦がされ、ようやく蟲竜は動かぬモノになったようだった。
「旅人さんたち、運がええ。蟲狩り隊と一緒なら、街の中まで一緒に入れるもンさ」
にこにこと言う農夫に、二人が返す言葉はなかった。この魔物の襲撃は、当たり前に、よくあることなのだ。
そして、周りの旅人たちも、そのことを知っている。だから、だれも焦らないのだ。
「ようティゼッタへ来なすった。この時期は、蟲の祭りじゃて」
てきぱきと蟲竜の素材を回収する蟲狩り隊の姿を見ながら、フェイとマカゲは農夫の言葉を聞いていた。
フェイ、マカゲ、ようやくティゼッタ入りです。




