第四話
もう一度、訊き直してみる
「帰っちゃ嫌って随分大胆な事を言うじゃ無いか、思ったより発展家なのか?」
半分は冗談だ。この薫が年中男を引っ張り込む様な生活をしている訳はないと考えていた。
「そうじゃなくて……あ、神山さんがどうしてもと言えば考えるけど、違うの……」
薫は畳の上に敷いた座布団の上に正座をしていた。どう見てもこれから深夜に男女で良い事をしようと言う雰囲気では無かった。
「じゃあ、何なんだ?」
俺は単純に問い詰めると薫は悪びれもせずに
「神山さんの会社、社員募集してないのかな……なんて思って……」
そうか、こいつは俺の会社にコネで入るか、せめて面接を受けようと思っているのかと考えた。
「俺の所なんて地味な会社だ。君の様な女子が就職するような場所じゃない」
最初に出会った時に名刺だけは渡してあったから、あれから調べたのかも知れなかった。俺の会社は役所の施設に「委託管理業者」として契約をして、色々な役所の施設に入り、管理運営をしている会社なのだ。役所の食堂から、コンサートホールの運営まで手がける。
現場は何時も人材不足だが、この本社はそうでもない。役所との折衝や、現場責任者との打ち合わせ等が主な仕事となる。
グループには色々な会社があり、例えば観光業務をやっている会社もある。そこに格安バスツアー等で自分達が委託運営している施設を使って貰う交渉をするとか、およそ地味な仕事だ。
「現場なら幾らでも人を欲しがってるが、本社じゃ募集していない」
およそ俺は事務的な口調で薫に答えた。だがそれぐらいは承知していた様で
「現場でもいいの! 何処か無いかな……」
「なんだ、今までの就活はどうしたんだ……降参なのか?」
「降参じゃ無いけど、あそこが最後の砦だったんだ。残ってるのは行きたく無いブラックな所ばかり」
季節が過ぎるのは早い、恐らく今からだと、ろくな会社が残って無いと言うのも本当なのだろう。それにしても人の事を信用しすぎる。どんな育てられ方をされて来たのやら……
「何でも良いのなら訊いてやらない事もないがな」
「宜しくお願い致します」
薫は畳に額を擦り付ける様にして頭を下げて頼んだ。まあ、現場は何時もスタッフ募集中だからな……
こうして俺は、この立花薫の就職まで世話する羽目になってしまった。全く災難は何処にあるか判らないものだ。
「じゃあ、また連絡する」
それだけを言って出て行こうとすると、またもや裾を引かれた。
「未だ、何かあるのか?」
畳の上にちょこんと座って下から俺のことを見上げている立花薫は
「もう、始発まで幾らも無いから、もう少しここに居てくれないかな……なんて思って……」
悪びれもせずに言う姿は、正直、俺の『タクシーを拾って自分の部屋に帰る』気持ちを萎えさせるには充分だった。
「金町や高砂まで行けば、4時半頃には始発が出るから」
金町は常磐線、高砂は京成本線の駅だ。両方ともここからそう遠くは無い。時計を確認すると、その時刻まで二時間を切っていた。
駅まで三十分とすると、残り時間は一時間半を切る……答えは出ていた。
「その始発まで、俺がこの部屋にいて、気が変わって悪さをするとは思わないのか?」
およそ、思ってもみない事だがわざと言ってみる。
「さっきも言ったけど、神山さん、そんな人だとは思わないから……でも……どうしてもって言えば……」
「そんな気になる訳無いだろう!」
少し語気を強めて言うと、笑いながら
「やっぱりねえ~」
そう言いながら、俺の足に絡みついて来た。俺はもんどり打って畳の上に崩れる様に倒れた。いったい何なんだ?
「本当に逃げ出さ無い様にしただけ、何もしないから安心して」
どうやら立場がいつの間にか逆転した様だ……
結局、始発の時間まで、色々な事を話した。その内のひとつが、俺の乗っていたアルファロメオでドライブに連れて行けと言う注文だった。まあ、別にそれは良いのだが、俺は望んでいないのに、女子大生とドライブ出来るのは俺が感謝をしなくてはならないそうだ……何か間違っていないかと思う。
若いと言うだけがそんなに価値のある事なのだろうか? 未成熟な若さが今ほど持て囃される時代も無いのではなかろうか、と考えた。
だが、正直、親父から受け継いだツインスパークも長距離を走りたがっているだろうと思い、何処か適当な場所に連れて行く事を承諾した。
「ありがとう! 実はあの車にもう一度乗って見たかったの。何か国産車とは感じが違ったから」
お世辞で無ければ、中々の感覚だと思う。イタリア車は国産とは作る思想からして違う。分かり易く言うと哲学が違うのだ。そこを感じていれば中々だと思ったのだ。
就職の事だが、色々な現場に問い合わせてみたら、ある市役所の文化会館の委託管理業務を請け負っているのだが、そこで人が欲しいと言って来た。但し『体力に自信がある事、男女は問わない』と言う条件だった。三ヶ月は臨時職員扱いで、適性が無ければ解雇。と言う条件だった。臨時職員とはアルバイトの事だ。
その事を言うと立花薫は喜び
「そう言う場所で働いて見たかったんです」
そう言って喜びを露わにした。
そう言えば、結局彼女の部屋で一晩を過ごした翌朝、駅まで送ってくれた事を思い出した。
「道に迷うと可哀想だから……」
そう言っていたが、本心かどうかは判らない。
話を通した後で、立花薫の履歴書を文化会館の業務の責任者に渡した。すると名刺を寄越して面接の日時を通告して来た。責任者のこいつとは古い付き合いだ。
「お前が推薦するなら、そう変な若者でもあるまい」
そう言ったのが印象的だった。
結果から言うと、気に入られて採用されたらしい。アルバイトと言う事なので、すぐに通う事になった。
「どうせ大学は週一しか行ってないし、論文も教授に堤出したから、すぐにでも通えます。って言ったんです」
ある日の昼下がりにコーヒーを飲みながら、嬉しそうにしている立花薫を見ていると俺も何だか嬉しくなって来るのを感じるのだった。
二人とも、この事がお互いの人生を変える事になろうとはこの時は思ってもいなかった。