1-3
「いった」
一階の渡り廊下を歩いている最中、白くて丸い物体が反射的に振り返った悠月の額目がけて飛び出してきた。
目を閉じると共に、腕がじんと痺れた。持っていた牛乳パックがボールを跳ね返したらしい。彼が目を開いた時に、地面には野球ボールと牛乳パックの二つが散らばっていた。逆の手に持つパン二つは落とさずに済んだ。
「や。悪いっ。ケガしてない?」
悠月が手を伸ばすよりも早く、牛乳パックを掴む腕が。
――こいつか、さっき「危ない」って叫んだの。悠月は、その声で振り返ったのだ。目を上げると、そこには爽やかな短髪の少年がいた。茶毛の混じったその髪は額を覗かせていて、悪びれもしない眩しい笑顔を喧しい程に見せつけている。
「おーっととお前もしかしてあれか?転校生の……っと」
悠月の顔を見た瞬間、少年は目を丸くして声をあげる。なんか嫌だなこういう絡み、と思いつつも悠月は口を開く。
「佐伯、悠月」
「そーそー、ユヅキユヅキ!」
「……」悠月は思わず目を細め、どう反応していいのか分からなくなる。
「おー、さては緊張してんな?まー気持ちは分かるぜ、おらよ」差し出された牛乳パック。歪んだ角と少年の白い歯とを交互に見る。
「ん、どうも」「ふ、敬語使わなくていーって」
可笑しそうに身体を揺らす少年。悠月はパックを受け取ろうと手を伸ばす。別に敬語使ったつもりはねえし、普段からこういう感じだから……と異論を申し立てたい気持ちで一杯だった。しかし、早く昼ご飯を食べてしまう前に、早急に会話を終わらせてしまわなければ。悠月にとってそれが今最も優先される事項だった。
少年は「よっこら」なんてリアルに口走りながら腰を再び折り曲げ、野球ボールを手に取った。腰に手を当て背中を水平に正したところで、手首を何回か振らせる。何故か悠月はそのスナップを、目で追ってしまう。肌色の残像が綺麗な孤を描く。線の部分だけ肌が剥がれ落ちたみたいになって。
「野球部ってわけでもねーから、ボールの扱いが絶望的に下手でさー いや、本当すまん」
「別に怒ってないって」そう受け取られてしまう関わり方かもしれないけれど。
「おー、そう言ってくれるだけでもありがてー」
首を傾げ、顔色を変えないままで少年はボールを手にしたまま手首の運動を始める。しかしどういう状況でこちらにボールが飛んできたんだろう、と悠月は飛んできた方向に目を遣った。校舎の壁にもたれかかる男の子二人が、こちらを見ている。彼等は練習着を着ているので、おそらく野球部なのだろう。
「ああ、待ってんじゃない?早く行けば」悠月の一言に大袈裟にはっとした表情を浮かべ、少年はボールと共に片手を耳の所まで上げ、下ろす。投げる動作と酷似しているが違う。おそらく本来平手の際に行うジェスチゃーだろう。
「おう、じゃーすまねーな、俺も違う組だが困った時は……まー頼りになるかわからんが、一緒に困ってやる!」
「……えーと」
「ショウジだよ、神町将司」
将司は、自分の名を口にすると、今までよりさらににっこりと笑ってみせた。
彼は身を翻して、男の子二人の元に駆けていった。変っつか、遠慮の無い奴。そう考えた悠月が再び歩き出そうとする瞬間に細めた視線が流れ、将司の後ろ姿を長く脳裏に残留させた。牛乳パックを持つ右手の手首が無意識の内にぐるぐる運動を始めていた事に、悠月は暫くして気付いた。