3-9
雨はもうすっかり上がっていた。
駅~学校間を結ぶ通学レンタサイクルの鍵を開けるのは、無機質な数字の連なりだけが記された銀色の断片だった。またの名を生徒章。
自転車のサイドスタンドを引き上げる時に、振動で鈴が立てた微かな音。悠月は音が響いたのを追うように視線を上げ、もう暗くなってどこの電気もついていない校舎を見渡した。
壁に沿って並ぶ向日葵。こんな季節に咲くはずも無いのに。
音楽室のある三階は、自転車小屋の屋根が邪魔で良く見えなかった。このまま七不思議の十時まで待ってやろうか、と少しだけ思う。
と、いきなり、彼の背中にのしかかる身体。
「あ、死んでた人だ」
悠月は鞄を取りに行った時にイヤホン片手に机にすっかり伏せてしまっていた将司を思い出して、そう言った。
「悠月ー、俺はもうだめだー」
「何が」
「だーめなんだー、このままじゃ物理も英語も欠点だー」
残酷にせせら笑う悠月を、いつの間にか隣で自分の自転車の鍵を外す葵が「人の事笑えんのかよ」と一蹴した。
「家で勉強するからいいんだよ、俺は」
「なら、いーけど」
「仕方ねーだろ、外せない用事があったんです」
鼻を鳴らす葵。見透かされているとしたら相当恥ずかしいな、と悠月は思う。
「勝負なら受けて立ってやるよ、テスト終わったらな」
「あ?何の…」
「ばあか」
こちらを向かずに吐く葵。
――こいつ。それにしても、何も将司もいる前で……
「理由がなきゃ遊びごとに過ぎねえのに、何ムキになっちゃってんだか」
「だから何の話だっての」白を切るしかない悠月。
「一方からは逃げてるって事、自覚しなよ」
悠月の真似事をする様に、残酷にせせら笑ってから葵は、自転車を引き出して駅に向かって歩き始めた。
距離がのびていく。
「悠月タクシーさん、前にいる女を追ってください!」
ハッとしたような声を出す将司。
夜七時過ぎだとは思えないテンションが、ぼうっとした悠月の意識を引き戻す。
「てか、重い」
「いいから追えー、駅まで付き合ってやっるんだからよー」
「一人で帰るよー」
言いながらも、ふらふらと自転車を引き出す悠月。
車輪の軋む音に同調するかのように、造られた向日葵が風に揺れた。
後ろについてくる悠月と将司と自転車とが一体化した塊を後目に、きょう何百回目かの溜息をつく葵。さっさと逃げる様に帰るのも馬鹿らしくなって、空を見上げてみた。二人を待っていると思われない様に。
うずまき型をした物体が、丁度月の隣にあった。テレビ画面の向こうで見る様な奴等が住まうでっかいお家だ。散りばめた様な星空にそれは不似合で、それを今すぐにでも消してやりたくなった。叩き斬ってやりたくなった。形も形なのだ。自然物では無いから整い過ぎていて、構造物の形にしても歪で、まるで……
「とぐろまいたうんこだろ」
端正な顔つきからそれが発せられたという事実が許せなかった悠月は、反射的に後頭部を叩いてしまった。
あ、ごめん……と言う前の悠月の脇腹に、自転車の座席を軸にした葵の回転蹴りが炸裂した。




