DUNGEON
午後四時頃、その敷地に入れる者は限られた者のみとされ、事実上の箝口令すら敷かれていた。錆びついた鉄柵の先にある工場は、背景をも巻き込んで青みに包まれている。シャッターは既に人が通れるくらい開いていて、前には何台かの車が止まっていた。パトカーも数台。シャッターの向こう側には深い影が射していて、曇天が広がってさえいなければもう少し明るい環境で『それ』を見る事が出来たものを――などと思いつつも大塚透は傘を閉じ、暗い影の中に、少々肩を濡らしながらも入っていった。不可解そうに顔を歪ませた二人の男性と入れ違いになった。
「やあ、誰かに止められはしなかったのかい」捜査課の久慈龍田が、彼を待ち構えていた。鈍い色のジャンパはこの暗がりだと真っ黒にしか見えない。見てて五月蠅いほどに垂れ下がる前髪から覗く細い目が光るのを見て、この男も暗闇が似合う男だ、と王塚は思った。
「誰かさんが話を通してくれたからでしょう」にこりと笑って感謝の意を表す。
「いんや、俺に権限は無かったよ――一度上に話を通そうとした時に、アンタの名前を出し忘れてたんだが、もう一度アンタの名前を出してみたら不自然な程すんなり通ってさ……アンタ、今は一体どんな仕事を」
「まあまあ、積もる話は後ほど……今は『現場』を確認しなくてはね、時間も取り決められている事なのだし」
王塚は笑顔のままで、スーツに付いた水滴を払い前へ進み始めた。
重たげなパーカッションの連なりが、その時彼の脳内でフェードイン。
多くの機器を避けつつ、背後から久慈に指示された通りに王塚は前進を続けていたが、太いボルトの先端を踏みかけて立ち止まった。伸びる物、亀裂――内側から破壊されたことには違い無い、と王塚はそのパイプを見て思った。久慈が後ろから向けたライトに、白い物の付着した内部は克明に浮かび上がった。コンクリートに染み込んだ、水の跡も克明に。よく見ると跡はひょうたん型になっているが、どうやら二つの管の結合口からも水は漏れてしまっているらしい。パイプの2か所が水流に耐え切れず、破壊されたのだ。
一部一部を注視していた王塚は瞬きの瞬間に、見方を俯瞰に切り替える。鳴り止まずにいたパーカッションの連打が一瞬にして止まり、水の一粒、また一粒と落ちる音が閑散とした辺りに響き始めた。
音――
沈黙。
音――
沈黙。
「これは何のパイプ?」片膝をつき触れずにパイプを暫く眺めていたが唐突に王塚は久慈に訊いた。
「え……と、給水のパイプだよ。外のポンプから繋がってるんだが、そいつが今回問題だったわけだ」久慈はライトを片手に、何か気にしている様に鼻を押さえ、少し遅れて言葉を返した。
「では、ハッキングがあったのは水道施設の方で?」
「いや……今回の場合は違う、給水ポンプのシステムはこっちのコンピュータルームで一緒に管理していたらしい、だが……『奴等』に取っちゃ公共のインフラ制御システムですら目じゃないって表明なんだろうな、これは……ま、こけおどしである事を祈るばかりだよ」
「そもそもそういったシステムはオフラインになっている物なんじゃあ?」
「USBメモリを介して侵入する事は容易い」
「つまり、『人間』が関わっていると?」王塚の表情が微妙に変わり、久慈の方を振り返った所でまた微笑を見せる。
「そうであるとも言い切れねー、っていうのは……まあ、百聞は一見に何とやら」
久慈が其の場を離脱し、少し遠い壁際のドアノブに手を掛けた。
「そもそも一システムのみのハッキングのみで、工場の電源そのものまで使い物にならなくなる訳がねえんだ……ああ、足元気をつけな、今更なんだけどよ」
苦しそうな音を立てて、ドアは開く。充満していた物が、空気と共に一気に解放されていく感じ。解放?解き放たれる?――違う。そんな清々しい言葉など、不似合だった。湧き出た何かは、ライトの光を目当てに歩き出した王塚の足をも、数秒止め、その後の動きをも遅くした。パイプの少し前に貼ってあったバリケードテープの内側に彼等の身体はあったのだが、王塚はそれに足を初めて接触させ、意識した時に、テープでは無く巨大な壁に閉じ込まれてしまった感覚すらした。速い流れではない。ゆっくりと迫って来るそれは、しかし、回避不能。終わりも無い流れ、全ての重さを背に負う先端から始まり、あっと言う間に王塚を取り巻く。もう包まれてしまったからには、歩みを止める事など許されないのだ。
音――
一歩。
沈黙。
一歩。
音――
沈黙。
リズムを合わせる余裕など無い。
「ちゃんと片づけてあるから、安心しな」
久慈が道を開け、王塚の背後から室内を照らした。
明滅を繰り返すモニター。
壊れたモニター。
何かに濡らされたモニター。
その何か、は――
そのモニターだけではなく、部屋の全体を濡らしている。
まだ、濡らしている。
乾いていない。
臭いと共に。
部屋全体を満たす赤黒さは。
そう、まだ乾いてなどいなかった。




