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「七不思議」
悠月はその言葉を鼻で笑った。
「ナナフシ……木の枝に擬態する虫」とは関係の無い画集を机一杯に広げ、頬杖をつきながら呟くのは葵。
「おいおいーマジでノリ悪いって二人ともよー」
両手を広げ大袈裟なジェスチャーを見せる将司を流し見て、悠月は適当な机の上に鞄を置いた。三人のアジトたる特別教室の内で、悠月はまだ自分の指定席となる机を見出しては居なかった。
街全体が雨に包まれていた。硝子窓の外は曇天で、下町は言わずもがな、海を隔てて遥か向こう、隣の陸上にまで冷えた灰色は広がっていた。時刻は15時半過ぎ。悠月は時計に少し目を向けた所で、今日が水曜日である事を思い出す。
「購買のパンがそれ相応の代金にすり替わってるって……」呆れた、といった調子で首を横に振る悠月。
「誰一人として見ていないんだぜ?あれだけの人間が密集してた中で」
「学校の七不思議にしてはイマイチ緊張感がねーな」
「ばっか、変なホラー的演出要素が無ければこそ逆にリアリティがあるってもんなんだろうが」
「あ、やっぱ作り話なんだ」
「ちげーって、ほんとに見たんだって」
今にも走り出しそうな勢いで悠月に語り掛ける将司を後目に、溜息をつく葵。
「で、それが七不思議の一つであるとして、あと六つは」机に手をつき、悠月は訊く。
「えーっとね、学校の施錠された午後10時頃、音楽室から坂本龍一の『energy flow』が流れてくる」
「妥当な選曲だな」
「夜に美術室のモナリザを見つめると全力で目を反らしてくる」
「理に適った怪だな」
「校舎の三角屋根からずり落ちる男子生徒の幻影、それを見た者は苦しんで死ぬ」
「ずり落ちるんだ。飛び降りるんじゃないんだ」
「あとー学校の地下から死者の呼び声が聞こえてくる」
「いや、お前それ……」
「さすがに機材の音とかだと思うけど、やっぱり漏れちゃうもんなんだなあ」
「なんか今すぐ検証できる奴とか無いの?」
淡々とした二人の会話の流れが、一瞬だけ止まる。
「あ、そこの第三倉庫。夜じゃなくてもたまに、奇声が聞こえてくるんだって」
「はっ、くだらな……」
――ァァァ――オオウヌ――
二人の流れだけで無く、葵のページを捲る手も止まる。
確かにそれは、隣の第三倉庫から響いてきた。子供の様な声である。
まだ途切れない声を掻き消す様に葵が椅子を音を立てて引き、特別教室の扉を乱暴に開けて出て行った。
慣性で動き静かに人の通れない位にまで幅を狭めていく引き戸を、悠月も将司も沈黙し見つめていた。
再び力がかかり、物凄い勢いで開かれる扉。と共に、悠月の胸にもこもこした物体が飛び込んでくる。うわっと一瞬はのけ反るも、その正体を理解した所で怒りの声を上げた。
「これっ……ファービーじゃねえか!」
葵のした様に、将司に向かってもこもこを投げつける悠月。将司は片手からそれを上手くいなし、首根っこを掴んで何故か高々とあげて見せた。
「ふふふ、この学校の一つの謎を今、我が手中に収めたというわけか」
「一生やってろ」
言いながら、特別教室の扉の方に歩き始める悠月。
「おいおい、中間考査の勉強するんじゃあ」
「……香流先生に呼ばれてんの」
葵がその言葉に悠月の、エナメルバッグのロゴのあたりを一瞥する。
「6時半前にはちゃんと戻って来るから、鞄閉じ込められんよう頼む」
「安心しろ、今日は死ぬ気で単語を覚えるつもりだから」
「本当に死ぬなよ」
「ぬはは、俺にはウォークマンという原動力がある」
「音漏れしたら殺す」呟く葵。
「お前も聞いてみろってー、霧生ミチルの曲は空飛んでるみたいで気持ちいいんだから。君が嫌悪する煩いとか押しつけがましいの音楽とは違うんですー」
「誰だよそれ」再び悠月。
「まだインディーズなんだけどさ」
「てか邦楽聞きながらで頭入るか?」
「死ぬ気になれば入るんだよ」
「本当に死ぬなよ」
悠月は再び将司に背を向けて歩きだし、扉の前で一瞬止まりまた振り返った。
「じゃ後で」
中途半端な隙間から廊下を覗かせていた引き戸を、悠月はきちんと閉めていった。
静かになる。
ふう、と息をつき将司は机に座り込んで膝の上に鞄をのせ、かさんだプリントが入りきれない程に詰め込まれたファイルを取り出した。
「……で、笹川なんでお前画集とか見てんの?」
「活字を摂取し過ぎたので中和しておるんです」
「……」




