2-結
戦闘ログを印刷したものは一枚の紙に過ぎない。TEXT。それを事務的に、何が起こったのかを読み取るのが香流晃一。それを的確にではあるが、ドラマチックに展開させつつ解読するのが八雲弥生である。
第二特別教室準備室。香流は硝子窓に腕を組んでもたれかかり、八雲がデスクに散らばった情報を処理し終わるのを待機していた。
「サーヴァからの逆探知は今日も叶いませんでしたね」
「すまない、奴等が大きな行動に出ている今日はもしかするとチャンスやも知れなかったのにな……」
「私の責任だと言ったはずです、これは……他人のPCを遠隔操作しているという時点で、BUG自体が、管理者権限を偽装するプログラムを送り付けられ遠隔操作されたPCから、送り込まれた物である可能性を懸念すべきだった……」
「末端のサーヴァにしろ、本丸のサーヴァを直接攻撃の中継に利用するくらいだ、それほどの自信があるのだから、簡単に根城を明かしてはくれまいよ」
「どちらにしろ……今日は、苦々しい後味となりましたね、彼等の方も」
「笹倉葵、本当は佐伯悠月の可能性を認めていると思うのだが……彼当人はそうは考えなかったろうな」
「これで彼が燃えてくれたら結果オーライじゃないです?」
「最近の子供は熱血スポ根漫画の様には動かんだろう」
弥生は突然吹き出して、ばらばらになった資料の一つに顔を当てて俯いた。
「なんだ」
「失敬、そんなメディアに縁があるとは思えなかったので」
香流は鼻を鳴らしてまた黙り込んだ。それが彼の通常状態の、めいいっぱいの笑いの表現だったのである。
「マシロはまた顔を見せていないのか……」
何気なく言い放った彼の一言に、弥生は手を止めた。
何ら不思議ではない、その事象に。
彼は、本校舎の屋根――夕焼けに染まった空を何の気無しに眺めているようだった。
頭部は下にある。光を受けた雲の下の部分が、山脈みたいな形を赤く膨らませていた。
自分は空高くにいる。空高くから見下ろしている。反転。
彼が眼を瞑るだけでその身体を支える物は何も無くなり、彼は宙に飛んで行けるのだ。
「不思議な事だよ」
話しかけているのは、誰か?
「コンピュータ・ウィルスは潜伏した空間を破壊するけれど、彼等もまた空間と共に破壊される。当然の事だ、彼等はそこでないと生きられないのだから。でもそれが目的としてプログラミングされているので、意志の無い彼等を止める物は何も無い。でもBUGはどうでしょう?彼等は自分のテリトリーを自分で作り出し、自分とは関係の無い別の空間へ入り込むことなく、向こう岸に石を投げるかのような攻撃をする。彼等は自らを保持しようとするんだ。確かに彼等は何者かの命令によって動いているだろうが、その命令したものにとって彼等とはそう貴重な物ではないだろうから、そのようなプログラミングを施すわけが無い……それに、それらが結果的には駆逐される物である事を熟知しているだろうからね。香流や八雲さんの能力を彼等は知っている、それを見越して行動に出ているとは、貴方にも知れている事でしょう……」
「君の力を忘れてはいけないよ、それが一番重要なポイントだ」
「僕は……それでもこの大きな事が終われば、僕の力なんて無に等しい物になる。いや、この力どころか……この事が終われば、僕なんて何の必要も無くなる事を僕は知っている、勿論貴方も知っている」
「それはどうでしょう」
「王塚さん……」
言いかけた所で、少年は言葉を途切らせた。
「……私は何も口出ししない方が良いでしょう、それにしても面白い話を聴けましたよ」
「ほら、また……本当は知っていたくせに」
「反芻する事で見解の正しさを確かめたかったのですか?君は自身の能力に見合う自己評価を持ち合わせていないのだね」
「やめてくださいよ、もう……」
「まあ、話は今度、直接、ゆっくりと……」
「そうですね、忙しいなか申し訳ない、では……」
少年はそう言って電子カードの電話機能を切った。
深呼吸。自分の身体がだらんとなっている事を意識する。
このままで力を抜いていれば……
少年は思う。
空気の細かい粒は、何の抵抗にもならないだろう。
少年はそれをわかっていた。
わかっていたのに、目を瞑ったのだ。
何が得られるのだろう?
こうして、幾度と無く――
また目を開き。
赤い山脈を見つめ、あの頂点から舞い上がる姿を想う。
反転しているのだから、本当は落ちている。
でもって、何が違うんだ?
舞い上がる事も、落ちていく事も。
どちらも浮遊している。
浮遊している感覚を得る。
感覚、否、それは得る物ではなく。
体験の記憶として、消費されていく物。
少年の望みは、多くの体験を消費し、記憶していく事。
こんな同じ事を繰り返して――
何の意味があるか?
こんな事をしている場合では無いのに。
どうして……
思いながらも、少年は。
僕は、また――
落ちた。