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佐伯悠月は既に渡り廊下を歩いていて、香流晃一は準備室の窓からそれを見ていた。無機質なバイブの振動にぼんやりとした感覚から引き戻される。
「何かあったか」名刺入れの様なカバーに包まれたカードフォンを、香流はポケットから取り出し耳に近づける。
『貴方にしては少々優しすぎるんじゃないです?』悪戯っぽい弥生の声に、香流は舌を打つ。
「お前……ずっと扉の前にいたのか?」
『いえ、単なる予想です……やっぱりそうだったんですね?』
「……選択の余地を与えてしまった、彼一人居なければ状況は悪化するばかりだというのに」
『それで、結果は?』
「今の所はやってくれるらしいよ……ただ、ああ……なんというかな、嫌々承認したという訳では無いみたいなんだが……」
『あらら、やっぱり分からない子ですね、あの空間の危険性についてちゃんと話したんです?』
「説明したさ……確かに少しは惑っていた様だったが、何か最後は腹を決めた様な口調だった」
『そういえば……昨日の戦闘データ』如何にも思い出したと言った弥生の口調。話すつもりだったのだなと思いつつも香流は黙って聞く。
『彼が落ちてからBUGの空間に現れるまで、凄いタイムラグがあったじゃないですか、気になりませんでした?』
「あの部屋の筐体のOSヴァージョンが初期の物だったから、その関係では無かったのか?」
『二つ以上アクセスする筐体があれば、戦闘開始のタイミングは平衡化されるはずです。それに……実は空白時間の履歴に、何か削除された跡が』
「何だって?誰か弄ったのか?」
『彼、もしかしたら話したのかも』
「誰と?……まさか、最後のBUG」
『取り込まれたお父さんとか』
「……」
『失敬』
冗談として処理はしたが、笑えない冗談とは考えにくい口調だったので、香流はその可能性を心の中には留めて置く事にした。
『そう考えると昨日の挙動も不自然では無い気がしません?彼がなんか邂逅を経て決意を固めたと考えれば』
「そういえばそれについて彼は……『身体が勝手に動いた』と言っていたのだが」
『あ、訊いたんですか?うーん、それはどういう事でしょう』
「思考と動作が一致するというか、身体ではないが故に頭だけで考えた事をそのまま再生する様に動く事が出来る物なのだろうか、あの空間では?」
『複雑な反射が出来る様になる、って感じですか?……ああ、確かに咄嗟の時なんかはあんまりアバターを動かしているっていうか、自分の思考に躯体が引っ張られるって感覚を覚える時がありますね、あの空間では』
「それでも君の言った通りの挙動を、とは考えづらいのだが……」
言いかけたその時に、電話口の向こうからブザーの様な音が漏れて香流の耳に聞こえてきた。
「何かあったな」
『香流さん、どうやら予想が的を射たらしいですよ』
「すぐにそっちに戻る」




