2-1
雲よりも高い所で、僕は飛んでいる。
空気の流れに逆らい、後方の太陽から逃げる様にして。
一方向、感覚的には負方向に向かって、悠月は飛んでいる。正方向に向かうには方向を変えなければならない。だが意識が負方向に向かっているため、そこから急に正反対の方向に意識を向ける事は困難極まりないのだ。そこで、何度か段階を踏んで方向を切り替える。
回転方向は時計回り。
二時の方向に四角形を射出。
それから、同じ分だけ方向をずらしていけば――
実行。
一回、二回、三回。
どうだ。
綺麗なUターンの孤を描けただろう、と僕は内心で満足する。
だが――
その時だった、何も見えないほどの靄の塊に突っ込んだ。
雲だ――
僕は理解した。水平方向の転換ばかりに気を取られていて、垂直方向のずれに対してはすっかり失念していたのだ。
だが、こんなミスは。
取り返しがつく――僕は、斜め上方に向けて、四角形を飛ばす。
その時、四角形は何かに張り付いた。
それも近く。張り付いた時の青色の光の点滅が、はっきりと見えるほどに近く。
そんな、馬鹿な。
面も何も無い空中で、張り付く物など――
まさか。
飛行物体。
エネミー。
僕がそうだと理解するより早く、その牙は胴体を引き裂いていた。
そこまで想像した所で、悠月は目を開けた。
急に辺りが静かになった、という誤解。静けさに不安を覚えるので、彼は脳内にアンビエントなストリングスを掛けてみた。
三階の本校舎の窓の向こうに沈黙する下町。そして随分遠くに霞がかって見える水平線を眺めていても、悠月は昨日あった事をご丁寧に一から整理する気になどなれなかった。硝子を挟んで沈み込む風景。風に従って移動するのは影だろうか、それとも光だろうか。その動きはとても緩やかだ。
深沈、静謐。綺麗に束ねられた言葉達がその風景には棲んでいる。
安寧、青碧。今の悠月とは対照的だ。
しかし、もしかしたら同じ物なのかもしれない、とも悠月は思う。今の悠月だってそうだ、左手で揺らす牛乳パックを除けば、置物の様に動かない。形だけは静まっている。だが、心の中はどろどろしている。あの風景も……どれだけと数えるのも面倒なくらい多くの人々が息巻いて、皆ばらばらに動いているはずなのだ。あの下町を統治する神様みたいな物がいたとすれば、物凄く片付け上手なのかな?
……
――出ろ!
唐突に心の中で叫ぶ悠月。感覚だけなら、飛んでいったかもしれない。レースゲームのゴーストの様に、自分を取り残して飛んでいく自分が一瞬だけ見えた様な気はしたのだ。
外まで飛んでは行けないにしても、せめて窓を開けて風を浴びたいという気持ちにはなった。だからといって、目の前にある窓硝子の鍵に手を掛ける気にもなれず。右手に携える購買で買ったばかりのパン並びに左手首で揺らす牛乳パックをどうにかするという動作がまず面倒くさかった。やっとこさ扉を開ける事が出来たとしても、その恩恵を受けるのはせいぜい胸から上くらい。重たげな足を自分の筋力だけで浮かせてでも、屋上にでも向かった方がまだ大きな見返りを得るだろう、と悠月は考える。だが、屋上はだめだ。この校舎にはソーラーパネルとセットになって余計な屋根という物がついている。悠月はそれを知って昨日絶望したばかりなのだ。




