1-10 “Ligeti:Requiem II Kyrie”
暗闇の中に砂の集まった物か何かが漂っていたが、これはノイズだろうか。やがてその砂の集まりは流星へと変わり、悠月に向かって降り注ぎ始める。音も無い来襲が終わったかと思うと、もやもやした物体が映画なんかで使われる効果のフィルターに通した様な色合いを浮かび上がらせ、それをよく見ようとするとフィルターは取り去られ、今迄見た事も無いほど強く鮮やかな赤とか緑とかを出現させる……
目を瞑っていた事に気付いたのはその瞬間だったので、彼は目を開けた。
開眼した瞬間に開けたのは、やはり闇だった。否、にしては明るい。曇天だ。自分の身体は宙に放り出され、真っ逆さまになった頭の上にはミニチュアのビル群がひしめきあっていた。何が起こった結果であるのか、よく分からない景色――悠月は薄らいだ意識を必死に研ぎ澄まし、目立つ黒い怪獣の模型を見る。どっしりと構えて配置されているかのように一瞬だけ見えたが、驚くべき事にそいつは動いているらしい――それと、何かが飛び回っている。蝿かな?
「悠月ぃ!」
蝿が叫んだ。
悠月はそこでようやくこの景色が、縮尺された物で無いという事に気付く。飛び回っている物も、光の輪を宿した天使などでも無く、ただの人間に過ぎないはずの神町将司であるという事に。気付く。
――まだ現実ではない。[Another]の世界だ。
「落下ダメージを食らっちまう!早くグラビティ・スクエアを展開しろ!」
――だから、分かるように説明しろっつってんだろうが……
悠月の中に苛立ちを通り越して諦めの様な気持ちが生まれた所で、彼は地面までの距離に目測を立てた。現実の状況がそのまま反映されるとすれば、余裕で即死ダメージを食らう事だろう。そうすれば自分はどうなるのか……冷静に考えようとする。
やられる?
……死ぬ?
まさか。
だが、悠月の心の中に訴えかけてくるものがあった。その「落ちていく」感覚に、意識が飛び飛びになっている感覚が綺麗に合わさって。これで終わりになってしまうのだという感じ。
眠る……
そう、それが一番的確かも知れない。このまま一度目を瞑れば、自分という存在は現実では無いこの世界に眠ったまま取り残されてしまう――そうなれば現実の身体はどうなってしまう?
「悠月!初めてのかん…って事は無い…ずだ!『思い出せ』!」
将司の声に揺り起こされるかの様に、悠月は目を上げた。将司は巨大な拳を携え、高層ビルの壁面をそこが地面であるかのように駆け抜け、悠月の方へ向かっている。だが、距離的にも到底たどり着けそうにはない。ゲームでの状況と同じだ。キャラクターは基本自分だけに有効な正方形の重力場――『グラビティ・スクエア』を形成し、前後左右上下様々な場所に飛ばし固定することが出来る。つまり壁にも天井にも、空中にも立つ事ができ、うまく使えば空を飛ぶ事だってできる。だが限界もあり、将司が今正にやっている事などは連続的にスクエアを射出しなければならない高度な事で、残り使用できるスクエアは限られているに違いない。
極限状態。悠月自身がスクエアを射出しなければならない。だが、ゲームの中でのキャラクターがどのような感覚で重力場を形成しているかなんて、悠月には考えてもみなかった物なのだ。悠月の身体は今、一帯で二番目かに高いビルの屋上のフェンス部分を掠めていった。
「悠月ィ!」
「悠月」
何か別の、落ち着いた透明な声が悠月を呼んだ。
無音。
蠢く視線。
ビルの部屋の中で、光る人影の様な物が、悠月に手を差し伸べていた。
邂逅、開眼。
悠月も手を伸ばす。
その時に、稲妻が走った。
という幻想を彼は見た。
稲妻では無い、自分の身体を『光る四角の面』が駆け抜けて。
面は印を残した、そのビルの硝子窓に。
硝子面が亀裂で満たされ白になり、
その中にいた人影は直ぐに見えなくなった。
そうして、彼の身体は見えない力で引き付けられ、硝子の破片の中へと消えた。




