神農さん
大阪には「とめの祭り」と言われる神農祭が11/22-23にあります。確か、昔は2日から3日ほどの日程で、年によって祭りの日取りが移動していましたが、最近は、勤労感謝日の前の11/22-23に固定されているようです。もともと、勤労感謝の日(旧の新嘗祭)が卯の日で、張り子の虎が有名な神農祭は、その1日前、11月の虎の日で連続していたのです。ところが、勤労感謝の日が11/23に固定され、神農祭が暦の関係で年によって1日程度動くようになってしまったのでした。そのため、今年はいつか?平日はあるのかというのがもっぱらの女子社員の関心事でした。理由はこの話のなかであきらかにしますが、京都から来た私は製薬会社の並ぶ物静かなビジネス街が夜店の並ぶ道修町がお祭り広場に様変わりするのに驚かされたものです。
尚、実際の社務所の中を取材したわけではありません。この小説での神社の描写は、あくまで筆者の空想の産物であり事実と全く異なるのでご注意ください。
今日は、「神農さん」の日です。我が家は毎年神農祭にお参りすることなっています。私は京都出身ですから、結婚するまでは「神農さん」なんて知りませんでした。道修町には神農さんを祭る少彦名神社があり、製薬会社に勤める主人は大いに関係することになったのでした。場所は地下鉄で数駅行けばつきますが、子供3人を連れてゆくとなると大変です。
「実! 何しているの。」
「まってよ。今、靴を履いているやで・・」
「ママ、髪はこれでいい?」
「ああ、いいわよ。」
「ちゃんと見てよ!」
「ごめん。由縁、少し、曲がっているわ。直してあげる。」
「あれ、ママ、手袋がないわ。わいの黒い手袋がないやんか。」
「ちゃんと、引き出しを見たの。こないだベッドに放置していたのみたわよ。」
「にいちゃん。はい、これ・・」
「ありがとう。」
まあ、こんな具合です。
「こら、実、ほら、マフラーを忘れている!」
「いらんのとちゃうか。」
「何言っているの。今日は寒いわよ。」
私は寒くて暗いのは嫌いです。子供には十分な厚着をさせます。だから、こんな会話は常識です。
「笹はもったあ。」
「ここにあるでぇ。」
「おばあちゃんのもある?」
「あるでぇ。」
笹とは、張り子の虎やお札などを笹につけた神虎のことです。我が家は毎年これを頂き、去年のものを返納しているのです。
地下鉄に乗ると同じように枯れた笹飾りを持つ人がちらほらいます。さすが、大阪です。北浜の駅から地上にでると人が並ぶ列が見えました。参拝待ちの列です。時間によってはこれが幅の広い堺筋通りを渡って道路の向こうに列が続くのです。ビル周りをぐるりとまわる年もありました。今日は平日でありやや遅い時間なので、そんなに長くないようです。
それにしても、静かなビジネス街の道修町が賑やかな歩行者天国の通りに一変するのには驚かされます。近代的なビルが立ちならぶ道路が夜店の並ぶ通りに変わるのです。さすがは大阪です。信心深い人々でいっぱいです。
今日は平日です。平日の場合は、主人の会社まで主人を迎えに行き一緒にお参りをするのです。就業時間は、18時までですが、少しぐらいは大目に見てくれるいい上司です。でも、今年は違います。主人の会社へ駆けて行こうとする子供たちを止めて言いました。
「由縁と智勇、そっちじゃないわよ。ちゃんと並びなさい。」
「え?パパはどうするの。」
「ふふ、今年はこっちで、いいのよ。さあ、並んで!」
「えー、どういうこと。」
「お腹空いたわ。母ちゃん、たこ焼き買うて。」
実は、パパより食い気らしいです。さて、どうして今年は迎えに行く必要がないのでしょうか。
ひと月ほど前の話なります。ここは大東亜製薬の社員通用口です。そこに、小型トラックが横付けされており、男性がダンボー箱を次から次へと台車に移していました。男性は山田商店の山田さんです。そして、箱が積み上げられた台車を押すのは主人です。箱には、ササ、トラ、フダ等書かれています。総務の女性が納品書をチェックしています。主人は、昼休みを終えて会社に帰ってきたところを納品作業にぶつかり手伝うことになったのでした。
「すごいな。これで全部ですか。」という主人です。
「ああ、悪いな。ネェちゃん。」
山田さんは、いかつい顔をしていて柄がわるいですが、根はいい人です。そこに、黒塗りの車が止まり、おじいさんが降りてきました。大東亜製薬の会長です。
「おお、山田商店の山田さんじゃないか。笹飾りの納品かい。」という会長です。
「ええ、そうなんです。」という主人です。
「もう、そんな季節か。」
「うちの部でも今日は女子が総がかりでこれを組み立てるんですよ。」
「大変だな。」
「会長も手伝いますか?女の子に囲まれて、ワイワイと楽しいですよ。」
「やめとこう。会議があるしな。それに、そんな細かいことは苦手じゃ。」
会社の会長を使おうとする精神がズコイです。主人にとっては、タダのおじいさんなのでしょう。
「僕らでこんなものだから、少彦名神社じゃ大変でしょう。」
「いや、神社へ納めるやつは、ウチでやっているんだよ。会社に収める分だけ、安くする代わりに自分で組み立ててもらっているんだ。」という山田さんです。
「そうなんだ。」
「ところで、ネェちゃん、なかなかかわいいな。11/21の神農祭の日は、空いてないか。」
その言葉で空気が凍り付きました!
「はぁ?」という総務課の女子社員さんです
「なにそれ!」
伝票を確認していた総務課の女子社員も山田さんをジロリとにらんでいます。
「変な想像しないでくれ。アルバイトのお誘いだよ。実は、巫女さんの欠員がでてなあ。」と汗をかきかき言い訳をする山田さんです。
「なんだ、巫女さんのアルバイトですか。」という主人です。
「名誉なことにウチの娘に決まっていたんだが、海外出張がきまったんだ。」
「山田商店が海外出張?ほんとか!」と驚く会長さんです。
「勘違いしないでくだい。ウチの娘は、外資系の製薬会社に勤めているんですよ。」
「なんだ。それならわかる。いやまてよ。それって、本社に呼びだされたということか。すごいじゃないか。」
「会長も、そう思うでしょう。昇格が絡んでいるかもしれないからことわれないんですよ。それで、神社に相談したら、今更、募集かけられないから、代わりを自分で手当てできないかと頼まれたんです。」
「ほう、それでこいつはどうかと言っとるんじゃな。大丈夫か、こいつは結構、年食っとるぞ。」
「これだけ美人だと大丈夫だとおもいます。審査レベルが高くてね。このままだと、娘の代わりとなると、どこかの事務所にたのんで、モデルかタレントを頼まないといけないことになりそうなんです。しかも、アルバイト代との差額はこっちもちときた。」
「それは大変ですね。でも、その日は出勤日ですよ。」という申し訳そうな顔の主人です。
「そこをなんとか。有給をとるとかしてよ。」
困り顔の主人と山田さんです。そこで、ニヤリと笑う会長です。
「いいじゃないか。やれ!休暇届も、わしから、お前の上司に言っておいてやる。ふふ・・・こいつの巫女姿かあ。」
「ええ?いいんですか。結局、僕の巫女姿を見たいからだけじゃないの。」
「わはは・・がんばれよ。」
こうして、主人は巫女のアルバイトをすることになったのでした。
会議室に食品部の女子が集まっています。そこへ主人が台車を押して現れました。会社全体のものから、自分の部の分だけを運んできようです。
「これで全部だよ。」
「わお、さすがに、520本の笹飾りはすごいわね。」と、げんなりした顔でいいました。1本、1本、こよりで飾りを結び付けるには大変な作業なのです。
「100本も注文しているバカがいるからね。」
「そんなに、配り歩けるわけないでしょう。」
「大きな問屋さんには、50本とか配るみたいよ。」
「まあ、私たちも結構買っているだけどね。」
当時、この神虎の笹飾りは、神社で買うと2千円、それが5百円になるのです。金にめざとい女性陣が見逃すはずはありません。神虎の笹飾りの個人での購入は有料ですが、顧客の分は、会社持ちでタダです。営業経費として予算が計上されており、寄付をかねて、道修町の製薬会社が多量に買い求めることになっていました。府下の病院やお医者さんに薬の営業マンが配り歩くのが通例となっていました。食品部も同じようなことしており、大阪の問屋さんや食品製造会社に配り歩いていました。余りをちゃっかり頂く女子社員もいましたけど・・
「ところで、今年の日程はどうなっているの。」
「えーと、金・土の二日よ。」
「やったー。ラッキー、部長にたかれるわね。」
「いいわね。ウチは渋ちんだからだめかもしれないわね。」
本当の例祭は1日だけなんですが、屋台がならぶ夜店の日は、長いときは3日間に及んだ年もありました。まつりとしてはいろいろ行事があるようですが、そんなことに興味のある人は、社長や総務のエライ人だけです。女子にとってはそんなことはどうでもよかったのです。夜店の日こそが大事なのです。午後の会議は、わずかにソース匂いがする部屋でやるのが当たり前でした。そうです。みんな、昼休みに買い出しに出かけて、会議室で焼きそばやお好み焼きを食べて腹を満たすのです。
ビルには建坪率というものがあり、道路に向けてやや広い空き地をとっているビルもあります。また、1階が車庫スペースとなっているビルもありました。そんなビル前を借りられた屋台の中には大きな敷地をとっている店もありました。そこでは、大きなテントの下に折りたたみテーブルとパイプ椅子が並べられ、おでんとお酒が売られる臨時の飲み屋となるのです。同僚と誘い合って飲みに行くのは当然のこと、気のいい課長や部長は女子社員をつれておごってくれるのです。
もし、夜店の日が土日となってはたまったものでありません。その年は、笹の準備だけされて、昼休みの買い出しも、夜の乾杯もなくなるのです。なんとまあ、不信心なことです!
「ところで、日下部さん。少彦名神社の巫女さんやるんだって!」
「ええ、それ本当?」
「それ、誰から聞いたの?」と驚く主人です。
「秘書室ルートよ。」
「おしゃべりジジィめ。巫女といっても、笹飾りやお守りを渡すときに、鈴を鳴らすだけだよ。」
「でも、巫女服を着るんでしょ。」
「日下部さんの巫女姿ってどんなかな。」
「わあ、楽しみ!」
今では、「健康むすめ」という形で、募集しているようです。但し、18歳~28歳までの未婚の女子だそうです。比較的美人が多く名誉なことなので、いい縁談がくるとわれて地元で人気なアルバイトなのです。但し、山田商店の娘さんは、未婚らしいですが、規定年齢をオーバーしているそうです。たぶん、神虎を納入しいる業者だからOKとなったのでしょうか。でも、ウチの主人は、はるかにオーバーしている上に子持ちだぞ!いいのか?ちなみに、同じ巫女でも祈祷やお祓いは、専門職の本物の巫女がやるので、神虎やお守りの受付やレジ打ちなどの言った仕事を任されるだけのようです。
山田商店が主人を紹介した時は、社務所の宮司さんも苦虫をつぶした顔をしましたが、結構、若く見えるので背に腹は代えられずOKがでました。こうして、主人は説明会にでることになったのです。
ここは、社務所です。社務所といっても3階建ての古びたビルの2階です。少彦名神社は、ビルに囲まれた谷間に立っているのです。会議室に主人はスーツ姿でパイプ椅子にすわっていました。本日は説明会の日です。10名ほどは、キャピキャピの女子大学生です。どうも、同じ大学の知り合いようです。その他は、薬師講や商店街の若い娘さんばかりです。主人は、一人だけ浮きまくっていました。
やや年配の巫女さんが説明をしています。少彦名神社がいかに由緒ある神社であり長々と話をしています。信仰心が篤い地元民の娘さんは熱心に聞いていますが、アルバイト気分の主人には、ちょっと厳しいようです。ほら、こっくり、こっくりと・・・舟をこぎ始めました。
「日下部さん、起きてください。あなたの番ですよ。」
主人は肩を揺すられて、目を覚ましました。うっかりと寝てしまったようです。
「えっ・・と。」
目の前には、さっきまで壇上にいた巫女さんがいました。見渡せばだれもいません。会議室には灰色のパイプ椅子がならんでいました。曇りガラスは茜色です。もう、夕刻のようです。あたりは薄暗くなってきていました。
「他の人は、もう、先に行きました。あなたが最後です。」
「あっ・・は、はい。」
「さあ、これを持ってついて来て下さい。」
きちんとたたまれた白い布の塊を渡されました。
「これは、なんですか。」
「浴衣ですよ。」
「さっき、説明しましたでしょう。まずは、御祓をしてもらいます。」
「ミソギ? はぁ・・」
会議室を出ると薄暗い廊下が続いていました。蛍光灯が点滅しています。床は磨き上げられたコンクリートでした。そこを巫女さんのぺたぺたという草履のおとが響きます。その突き当たりに薄緑のペンキで塗られた年代物のエレベータがありました。ペンキがひび割れており、サビもみえます。巫女さんが下に向かうボタンを押すと程なくドアが開きました。二人が乗り込むとドアがしまりました。見れば、3、2、1、B1、B2、B3と階を示すボタンがずらりと並んでいます。
「御祓の場所は地下3階です。」
巫女さんは地下3階へのボタンを押しました。エレベーターは、1階を過ぎ、どんどん降りていきます。地下2階を過ぎて、まだ下がります。
「え・・・」
エレベータはまだ下がり続けます。
「え?こんなに深い地下があったけ!」
主人の驚く声をよそに、エレベータはまだ下がり続けます。しかし、まだ地下3階には着きません。
「何階に行くんですか。」
「地下3階です。」
エレベータはまだまだ下がり続けます。
「どんだけ深いんですか?」
「約500メートルほどの深さです。そこには滝があるんです。そこで滝行してもらいます。」
「えーーえ!」
そう主人が驚いたとき、エレベーターは止まりドアが開きました。そこから打ちっ放しのコンクリートに包まれた薄暗い長い廊下が続いています。巫女さんは、ぺたぺたという音をたてて先に進みます。そして、明るくなったところで止まりました。
「ここです。」
そこには、「男」と「女」の暖簾が架かっていました。
「こ、これは・・銭湯ですか。」
(いやあ、滝行というからどんなことをさせられるかと思ったら銭湯か。打たせ湯でもするのかな。)
「違いますよ。ここは、滝行のための更衣室です。ここで、さっきお渡しした服に着替えて下さい。さあ、早く!」
「わかりました。」
そう言って、主人は服をもって中に入ります。中は、棚と脱衣かごのある銭湯ような普通の脱衣所てした。ところが、主人はアレです。裸で股間を見せるわけにはいけないのです。
「ところで、その・・一人にしてもらえますか。」
「え?」
「恥ずかしいので・・」
「あ・・わかりました。でも、裸になる必要はないですよ。その中に水着もありますから・・」
巫女さんは、更衣室から出て扉を閉めてくれました。確かに、白い浴衣の他に、白いワンピースの水着もありました。当然、主人が水着姿になると股間がもっこりです。でも、白い浴衣を着ると・・まあ、大丈夫なようです。
「着替えました。」と主人が言うと、巫女さんが入ってきました。
「こちらに来てください。このガラス戸を開けてお入りください。」
みれば更衣室の終わりにガラス戸があり、かすかに、ゴーという音が聞こえました。
(ん?何の音だろう。)
主人が、すりガラスの戸を開けました。するとそこにあるのは・・
「え?うそ・・・」
主人は、目をパチクチしながら、ガラス戸をしめました。
「今、すごい滝が見えたけど・・これって幻覚ですよね。」
「何を寝ぼけたことを言っているのですか。滝行にするのに滝がなくでどうするですか。」
そう言って、ガラス戸を開けると、そこには100メートルはある巨大な滝がありました。その滝壺で白い浴衣の女の人が数名、落ちる水流に必死に耐えています。寒さに震えながら呆然と立っている人もいます。みんな、ブツブツと何かを唱えているようです。
ガラス戸の前には岩棚がありそこから、滝つぼへは朱色の小橋がかかていました。滝へは、小橋を渡っていくようです。目の前の岩だなと滝つぼとの間には大きな裂け目があり、滝壺からあふれた水が奈落の底へ流れ落ちているのでした。
「うそでしょ。わあ、一人水流に耐えかねて倒れましたよ。」
「さあ、中に入って滝行をしてください。ほら、みなさんはもうやってますよ。」
「ちょっと、待ってください。」
主人の言葉にかかわらず、巫女さんは主人を岩だなに押し出し、ガラス戸をぴしゃり閉めてしまいました。
振り返ると、断崖絶壁に岩棚があり、そこにガラス戸はめ込まれていました。さらに、その少し上にはスリットが見えます。そして、そこから多量の水が噴き出してきたのです。
「え?流されるよ。水を止めて!」
「はやく、滝へ移動してください。そうでないと・・」
「あわわ、足が滑る!止めて・・」
主人が叫ぶのにもかかわらず、水はどんどん増してきて、主人を押し流そうとするのです。
「あわ、そんな。落ちる!わぁぁぁぁ・・・」
「日下部さん、起きてください。あなたの番ですよ。」
主人は肩を揺すられて、目を覚ましました。うっかりと寝てしまったようです。
「えっ・・と。」
目の前には、さっきまで壇上にいた巫女さんがいました。見渡せばだれもいません。会議室には灰色のパイプ椅子がならんでいました。曇りガラスは茜色です。もう、夕刻のようです。あたりは薄暗くなってきていました。
「他の人は、もう、先に行きました。あなたが最後です。大丈夫ですか。何かうなされているみたいでしたが・・」
「あっ・・は、はい、大丈夫です。」
「さあ、これをもって付いてきて下さい。」
きちんとたたまれた白い布の塊を渡されました。
「これは、なんですか。」
「浴衣ですよ。」
「さっき、説明しましたでしょう。まずは、御祓をしてもらいます。」
「ミソギ?また、滝行ですか!」
「ここは道修町ですよ。こんな町中に滝なんてあるわけないでしょう。」
「それは・・そうですよね。」
「神おろしをするために滝行をすることはありますが、笹やお札を売るのにそんなことするわけないでしょう。御祓でケガレを洗い流してもらい、神前でお祓いをするだけですよ。」
「ですよねぇ。すみません。変な夢をみたもので・・」
「そんなに、私の話はつまらなかったですか。」
「いえ、そんな!とんでもない。ありがたいお話を頂きまして、実に参考になりました。」
ジト目の巫女さんを後にして、会議室を出ると薄暗い廊下が続いていました。蛍光灯が点滅しています。床は磨き上げられたコンクリートでした。そこを巫女さんのぺたぺたという草履のおとが響きます。その突き当たりに薄緑のペンキで塗られた年代物のエレベータがありました。ペンキがひび割れており、サビもみえます。巫女さんが下に向かうボタンを押すと程なくドアが開きました。二人が乗り込むとドアがしまりました。見れば、3、2、1、B1と階を示すボタンがずらりと並んでいます。
「御祓の場所は地下です。」
巫女さんは地下1階へのボタンを押しました。エレベーターは、1階を過ぎ、どんどん降りていき・・・・・・地下1階で止まりました。
「すぐに止まりましたね。」
「地下1階ですからね。すぐに決まっていますよ。何を言っているんですか。」
「いえ、そ、そうですよね。ははは・・」
そこから打ちっ放しのコンクリートに包まれた薄暗い長い廊下が・・続いていませんでした。すぐに、明るくなったところがあり、「男」と「女」の暖簾が架かっていました。
「ここです。」
「お風呂場ですよね。」
「お渡した浴衣に着替えて、ここで、御祓をお願いします。」
「わかりました。」と言って、主人は更衣室に入りました。
巫女さんがまだかと言わんばかりに立っています。ところが、主人は、裸で股間を見せるわけにはいけないのです。
「ところで、その・・一人にしてもらえますか。」
「え?」
「恥ずかしいので・・」
「あ・・わかりました。でも、裸になる必要はないですよ。その中に水着もありますから・・」
巫女さんは、更衣室から出て扉を閉めてくれました。確かに、白い浴衣の他に、白いワンピースの水着もありました。当然、主人が水着姿になると股間がもっこりです。でも、白い浴衣を着ると・・まあ、大丈夫なようです。
「着替えました。」と主人が言うと、巫女さんが入ってきました。
「こちらに来てください。このガラス戸を開けてお入りください。」
見れば更衣室の終わりにガラス戸があり、かすかに、ぽこぽこという音が聞こえました。
(ん?何の音だろう。)
主人が、すりガラスの戸を開けました。するとそこにあるのは・・
「え?ここに入るんですか!」
「ええ、みんなは、済ませましたよ。」
「ウソでしょう!煮立っていますよ。」
そこには、大理石の立派な湯船がありました。そして、等身大の薬祖神の像がありました。薬祖神は、真っ黒な像で、ごつごつした筋肉、額の2本の角、ギロリにらむ大きな目があり、草を咥えたおどろおどろしい姿でした。片膝を立ててあぐらを組む台座の下からこんこんと湯が沸いていました。しかし、その湯はぐつぐつと泡をたて煮えたぎっているのです。
「大丈夫です。さあ、その湯船に入って、ケガレを落としてください。さあ、早く!」
そう言って、主人の背中をドンと押したのでした。
「わあ、押さないで、ヤケドする!ひぇーーー」
「日下部さん、起きてください。あなたの番ですよ。」
主人は肩を揺すられて、目を覚ましました。うっかりと寝てしまったようです。
「えっ・・と。わぉぉ。」
目の前には、さっきまで壇上にいた巫女さんがいました。見渡せばだれもいません。会議室には灰色のパイプ椅子がならんでいました。曇りガラスは茜色です。もう、夕刻のようです。あたりは薄暗くなってきていました。
「他の人は、もう、先に行きました。あなたが最後です。大丈夫ですか。何かうなされているみたいでしたが・・」
「あっ・・は、はい、大丈夫です。」
「さあ、これをもって付いてきて下さい。」
きちんとたたまれた白い布の塊を渡されました。
「これは、なんですか。」
「当日、来て頂く巫女服です。」
「これを着て、御祓をするんですか。」
「本来はそうして頂くのですが、ここには更衣室と簡単なシャワー室しかなくてね。それに着替えの下着など持ってきていないでしょう。それを羽織って、本殿でお祓いを受けて頂きます。」
「え?それだけ?大滝を背中に受けなくていいんですか。ぐつぐつと沸き立つ熱湯に入らなくていいんですか。」
「何を馬鹿なことを言っているんですか。」
「そ、そうですよね。すみません。変な夢をみまして・・・」
白い服をもって巫女さんの後をついてゆきます。階段を降りて更衣室へ案内されました。
「あれ?エレベータはありませんでしたっけ?」
「昨今はバリアフーが必要といわれ、エレベータのあるところがありますが、何分古いビルなんでそこまで対応できてないんですよ。」
「そりゃ、そうですよね。3階建てぐらいでエレベータをつけるのも大変ですから・・いえ、夢では地下にいったもので・・・」
「地下?そんなものあるわけないでしょう。何夢をみているんですか。早く着替えください。」
「すみません。」
当たり前の話ですが、本殿へはコンクリート床ではなく木製の床が続いていました。すたすたと歩く巫女さんの後に続いて、巫女服を着た主人が追いかけます。本殿に主人がすわると、巫女さんは、祝詞をあげつつ榊の枝に紙垂をぶら下げたものでお祓いし、鈴を鳴らしてくれました。
「これで終わりです。その服は持ち帰ってもいいですが、着替えはさっきの更衣室でしてください。それでは、二日間よろしくお願いします。朝は早いですが遅れないように。」
無事に儀式が終了しました。
(え?これだけ・・・ま、まあ、当たり前だよな。)
・・・と、まあ、こんなことがあったと後日、主人が話してくれました。
そして、今日は神農祭の日です。ここは少彦名神社の前です。行列がだいぶん進行し、やっとしめ縄をくぐり抜け、参道の石畳に入りました。鳥居をくぐるのはもうすぐです。やや、薄暗くなってきました。結構寒いですが、北風もここまでくるとは吹き込んできません。「4列でお願いします。4列でお願いします。」と警備員が連呼しています。
「実、前に行ったらあかんで!」
「そんなことしてへんわ。智勇にいちゃんこそ前に行きすぎやで。」
「どっちでもいいから、ちゃんと並びなさい。」
お前ら、そんなことをケンカの種にするなと言いたいところです。ウチはきちんと4人で並んでいますが、一つ前は3人並びなのでどうしても一人だけ先行しそうになるのでした。柵で囲まれた鳥居の側のご神木が近づいてきました。樹齢130年の大阪空襲を超えたクスノキだそうです。柵の中には多量の返納された笹やお札が山積みとなっています。
「入れるよ。そおーれ。」
「実も早よしぃなぁ。」
「あっ!ねーちゃん、とったらあかんでぇ。今年はわいの番やんか。」
3人分の笹がないので、これもケンカの種です。待ち列が進んで社務所や本殿が見えてきました。
「パパ、遅いね。もう順番がくるよ。」
「やっぱり、会社に行った方がよかったんじゃないの。」
「大丈夫よ。ほら・・」
その時です。巫女姿のパパが見えました。
「あっ、パパだ。」
「パパが巫女さんをしている。」
「わあ、なんで?」
「アルバイトをたのまれたのよ。だから、今日は会社にいかなくてもいいのはパパがここで巫女をしているからなのよ。」
「へぇ。」
「パパ!」
「あっ、駆けちゃだめよ。」
さっきまでは、きちんと並んでいたのに、一斉に駆け出してしましいました。主人はというと、きれいなお姉ぇさんに囲まれています。その周りにはベビーカー押したり子供を抱いたりするヤングがいます。
「あら、奥様、ご無沙汰しています。」と一人があいさつすると、みんな一斉に挨拶をしてきました。
「えーと、智勇くんに、由縁ちゃんと実くんでしたっけ。」
確か、あれは秘書会のメンバーです。私が妻で子供の名前まで何で知っているんだ。葬式で一度見かけただけのはずなのに・・秘書会恐るべし!あの子連れのヤングは、その夫と子供か。キャッキャッといいながらみんなで写真を取り合っています。まるで、秘書会の同窓会のようです。
「すみません。子供たちとお参りをしないといけないんで・・写真は後でお願いします。」という主人です。
「これ、さあ、こっちへならんで、お参りしましょ。」
わらわらと子供をつれて、主人がお参りの列にやってきました。列から離脱したのに、事情を察した他の参拝者は笑いながら子供と主人をいれてくれました。参拝の列に巫女がいるのを見て驚いていましたっけ。
鈴を鳴らして、お辞儀をすると、神楽を舞うために待機していた巫女さんが特別に神楽鈴をふってくれました。
「おお、すごい。」
「シャンシャンとなったよ。」
「アレ何?」
「神楽鈴というんだよ。特別だよ。」
本来は神様に向けてするものですが、うちの子がかわいいのでサービスしてくれたようです。ラッキー!
「さて、着替えるか。」
「えー、もう終わりなの。私、まだ写真撮ってないわ。」という声が聞こえました。
「着替えるのは早いわよ。あちらにいるのは、あなたの会社の人ではなくて。」
見れば、出口の付近の通路には、会社の制服を着た女性がカメラを構えつつ逡巡しています。保守的な主人の会社は、事務服というものが残っていました。それに気がついて、主人が声をかけました。
「おーい。こっちにおいで。」
「あらあら、撮影会の続き、ラッキー!」
「でも、あんまり、ここで立ち止まっているのも迷惑よね。」
警備員さんがちょっと困った顔をしています。私たちの集団をさけて、参拝客は境内から出て言っていますが、この神社はせまいです。ここでじっとしているのは迷惑です。
「そうだね。ちょっと、たのんでみるよ。」
そう言って、主人は社務所に引っ込んでいきました。
そして、待つこと十数分、巫女姿の主人がにこりとして出てきました。
「OKが出たよ。少しぐらいならば良いだろうって!今日だけたけど。」
「よく、許可がでたわね。」
「朝一番で僕の写真を撮っていたんだよ。そのときの話をして、肖像権というものを知っていますか?と言えばイッパツだった。」
「それって、脅しじゃない?」
「はは、パンフレットに載せるとか言っていたから、お互い様だよ。」
「まま、いいじゃない。撮影会といきますか!」
そこからは、撮影会と言う名の女子会になりました。夜店で買い食いをしながら、おしゃべりです。秘書会OBに、現役の女子社員が加わり、大人数になりました。イスとテーブルのある夜店で酒も入って大宴会です。一方、なぜか私は、男どもと一緒に子供の世話をしていました。ヨーヨー釣りや金魚すくいなどやりつつ、子供を遊ばせます。男どもというのは、秘書会の旦那です。いろいろ、奥さんのグチとのろけを聞かされました。会社の仕事と家事の分担が大変らしいです。男ども、しっかりしろよ!
こうして、楽しい一夜を過ごしたのですが、巫女姿が珍しいのか勝手に写真を撮る人もいたみたいで、その写真がインターネットに流出して、主人は大目玉を食らうことになりました。その後、神農祭には神主と巫女のコスプレをして、参拝するのが流行ったとか流行らなかったとか。
いやぁ、コロナ渦はすごいですね。2020年、2021年と連続して夜店(屋台)がありませんでした。製薬会社に入社して以来、毎年、神農祭に神虎の笹飾りの返納とお参りを欠かさずにやっていますが、こんな寂しい神農祭は初めてです。神虎の笹飾りは、毎年、笹にお札や張り子の虎を結びつける作業は、各部の女子社員の仕事でした。男どもはあの苦労を知っているのかしら。ああ、なつかしいな。




