1、未完都市の神名のり
「空想科学小説家になりたい。それが叶わぬなら、せめて宇宙に飛びこんで死にたい」
影野カエリはそう個室の端末に要求した。
――なればいいじゃないか、空想科学小説家に。誰一人読者がいなくても、わたしがきみの小説をちゃんと読んでいる。宇宙に行くのは、きみは身体的に不適格だ。そちらの望みは叶わない。
管理コンピュータが答える。この未完都市は、この管理コンピュータに完全に支配されている。この未完都市に住む人々は、みな、管理コンピュータに思考を分析され、最適化されたサーヴィスを受けるようにできている。
「そうじゃないんだ。ぼくの書いたものを読んで多くの読者が涙してくれるようなそんな空想科学小説を書きたい。ぼくのネット小説を閲覧する読者数はゼロだ。これでは何のために書いているのかわからない。ぼくの空想科学小説が世の中の何の役にも立たないなら、宇宙に飛びこんで死にたい」
――それは、わたしの書く小説の方が刺激的で面白く、起伏に富み、読みやすく、なおかつ驚くようにできているのだから仕方ないだろう。きみは、那由多の演算能力をもつわたしに執筆能力で勝てるつもりなのかね?
「くっ」
影野カエリは、挫折感漂うため息をもらした。
未完都市の管理コンピュータ<神名のり>は、漫画や映画、小説、詩など、多くの娯楽作品をつくって住民に提供している。それは無料で閲覧できるため、人々は熱狂してそれを堪能し、おおいに満足している。
だから、誰も素人作家影野カエリの書いた小説なんか読まない。人がコンピュータより上手に小説を書くことのできる時代はもうとっくにすぎているといえる。
影野カエリが子供の頃から憧れて書いてきた小説は、ネットで公開されているが、たった一人の閲覧者を記録しただけで、あとはまったく捨て去られている。影野カエリは、まだ幼少だった頃から将来は空想科学小説家になるのだと決めていたから、どんなに情熱を傾けて書いても書いても、管理コンピュータには勝てず、影野カエリの歪な空想はどんどん膨れ上がり、大空を飛翔し、宇宙に飛び出し、惑星を作り変え、さらには、宇宙の果てまででかけ、宇宙を作り変え、この宇宙を飛び出し別の宇宙にまで行ってきたけど、それでも、それはたった一人の読者を除いて、ただのデータのゴミでしかなく、管理コンピュータが人の抱く妄念のサンプルにしているだけだった。
影野カエリは悩みに悩みまくり、頭を疲弊し、書いて書きまくり、構想を練り、誰にも思いつかないことを考え、空想し、管理コンピュータのつくる娯楽を超えようとした。影野カエリはすでに社会的に廃人の烙印を押され、訪ねて来る人もおらず、頼りにする相手もいなかった。ただ、孤独に空想科学小説を書いていた。
家に籠り、他人を寄せ付けず、管理コンピュータの奉仕にあまえ、ただ空想科学小説を書き、書いて書いて書きまくった。いつ見ても、閲覧者はいつかの一人を記録しただけで、他に読みに来る者はおらず、孤独で、自分が人類の欠陥品であり、不必要な不良品なのではないかという気がしてきて、鬱になり涙があふれて来るようになった。自分のしていることがなぜ社会的に悪いことなのかわからず、正しい生活とはどういうものか理解できず、だから影野カエリはバカなんだとか、そんな評価を下されることも時々あったが、そういう彼らも影野カエリの書いた空想科学小説を読むことはなく、たった一人の閲覧者を除いて誰一人読んでくれる読者はおらず、影野カエリは、もう嫌になり、死にたい、宇宙に飛びこんで死にたい、ブラックホールに飛びこんで死にたい、と思うようになっていた。
そんな時、たまたま、以前のたった一人の読者がまた閲覧してくれたことがあり、久しぶりにちょっと嬉しくなって、酒でも飲んでみたら、寂しい一人酒にも関わらず、おいおいと涙が出てきて、むせかえり、あの閲覧者が感想を残してくれなかったことがひどくショックで、打ちのめされ、やはり自分の書いているのは凡作なのかと信じるようになり、もう、生きる望みをなくし、自己嫌悪と挫折に叱責され、結局は、答えは死ぬか、書くかしかないという結論に至るのであった。
「空想科学小説家になりたい。それでなければ、せめて宇宙に飛びこんで死にたい」
影野カエリは呟くのだった。
たった一人の部屋、たった一人の世界。自分で望んでこの世界に逃げてきた。自分で望んでここに引きこもった。それが社会的に悪いことであることが容易に想像できるため、いいわけを考え、いいわけなど何も思い浮かばず、あるのはただ、本当に空想科学小説家になりたかったという夢だけで、それにすがりつき、社会を突き放して次の日が明けるのを待つのだった。