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やわらかな王の墓  作者: たむ


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8/21

第8話 王に向いている男

 翌朝、王都へ向かう本隊の出発は、まだ空が白みきらないうちだった。


 宿場町の門前には幌馬車が三台、騎乗の護衛が六人、加えて王都へ戻る役人風の男が二人いた。昨日の隊商より明らかに警戒が強い。第十四の件が関所から上へ報せられたのだろう。私とエナは、中央の幌馬車へ半ば押し込まれるように乗せられた。旅客というより、搬送物の扱いである。


 荷台には私たち以外に、痩せた書記官が一人いた。三十代半ばくらい、くすんだ青の外套を着て、膝の上に書類箱を抱えている。髪はきっちり撫でつけられ、口髭も整っていたが、目の下に深い隈があった。寝ていない人間の顔だ。


「王都監査局の補佐書記、ネムと言います」

 男は小さく会釈した。

「記録のねじれに関する照会文を運んでいます」

「監査局」

 私は反射的にその単語へ反応してしまった。

「嫌いな響きです」

 ネムは疲れたように笑った。

「私もです。ですが役所は増えます。死が増えれば帳票も増える」

「それはわかる」

「わかるのですか」

「元の職場がそうだった」


 ネムはほんの少しだけ目を細めた。同志を見るような目だった。

「では話が早い。あなたは、紙の上で起きる災厄をご存じだ」

「だいたいな」

「現実が壊れる前に、書式が壊れる」

「そのあと会議が増える」

「ええ。そして誰も責任者になりたがらない」


 私は吹き出しかけた。異世界で初めて、まっとうに会話が通じた気がした。

 エナはそのやり取りを黙って見ていたが、少しして言った。

「ネムは役人の中では親切です」

「中では、か」

「役人はたいてい、親切そうに見えるだけです」

「埋葬官もそうだろ」

「そうかもしれません」


 馬車が動き出す。車輪の揺れに合わせて、ネムが抱えた書類箱の中で封蝋のついた文書がこすれる音がした。


「ところで」

 ネムが私を見た。

「墓を読んだのは本当ですか」

「そうらしい」

「らしい、では困るのですが」

「昨日も同じこと言われたな」

「皆そう言いますよ。王都は“らしい”を嫌います」

「でも現実は“らしい”だらけだろ」

「だからこそ嫌うのです」


 その答えに、私は妙に納得した。組織は曖昧さに依存しながら、表向きには曖昧さを憎む。


「あなたのことは、すでに簡単な触れが回っています」

 ネムは言った。

「異邦人、墓読みにして、記録のねじれと同時に出現」

「嫌な紹介文だな」

「かなりです」

「王都でどう扱われる」

「使えるなら使う。使えないなら囲う。危険だと判断されれば隔離する」

「ろくでもないな」

「王都ですから」


 エナが静かに口を挟んだ。

「リョウは隔離されません」

「根拠は」

「墓が呼んだから」

「それ、役所で通る理屈か?」

「通らなくても起きることがあります」

「この国、そういうの多いな」


 道は徐々に広くなり、石が敷かれ始めた。往来の数も増える。農民の荷車、兵の一団、修道士らしき灰衣の列、葬列まで見えた。葬列は静かだった。黒い布をかけた棺の前後を、白い花を持った人々が歩いている。泣き声はない。皆、足元だけを見ている。


「王都に近づくほど、葬列が増えます」

 エナが言う。

「王に近い土地ほど、死の記録も濃いので」

「王都はそんなに人が死ぬのか」

「死にやすい、というより」

 ネムが代わりに答えた。

「死が記録されやすいのです。地方で消える死も、王都では書式になります」


 私は嫌な感心をした。

 見えない不幸より、可視化された不幸のほうが管理しやすい。

 そして管理できる不幸は、制度の一部になる。

 この国は、死を制度化することで生き延びてきたのかもしれない。


 昼近く、馬車は短い休憩を取った。小川のそばで馬に水を飲ませるあいだ、私は足を伸ばして地面に降りた。腫れはまだあるが、昨日よりずっと歩ける。痺れ草の効果かもしれない。認めたくはないが。


 水辺の石に腰掛けていると、ネムが隣へ来た。

「お聞きしても?」

「内容による」

「元の職場では、どんな役目を?」

「雑用と、責任の中継地点」

「有能だったのですね」

「何でそうなる」

「組織は、無能には中継を任せません。壊れにくい者へ負担を集める」


 私は小さく息を吐いた。

「君、嫌な見方するな」

「役人ですから」

「誇ることか?」

「自慢ではありません」


 ネムは川面を見ながら続けた。

「王都では、あなたを“王に向いている”と言う者が出るかもしれません」

「エナにも言われた」

「嫌でしょう」

「当然だ」

「その当然を忘れないでください」

「どういう意味だ」

「王に向いている者は、だいたい王になってはいけない」

 

 私は眉をひそめた。

 ネムは私の顔を見ず、ただ水を見ている。


「王に必要なのは、死を受け入れる従順さと、他人に役割を押しつける平静さです。ですが、“向いている”と評価されるのは、たいてい責任に慣れた人間です」

「責任に慣れた人間」

「ええ。壊れそうで壊れず、文句を言いながら引き受ける人間」

「それ、褒めてるのか」

「組織は褒めるでしょう。個人としては、たまったものではありません」


 私は笑えなかった。

 図星だったからだ。

 会社でも、私は何度かそういうふうに扱われた。面倒ごとを回しやすく、かつ露骨に拒否しない人間。耐久性があるとみなされることは、たいてい消耗品として優秀だと言われるのと同じだ。


 エナが少し離れた場所からこちらを見ていた。目が合うと、彼女は来て、淡々と言った。

「休憩終わりです」

「聞いてたか」

「少し」

「王に向いてるって話」

「はい」

「君もそう思う?」

「思います」

「即答するな」

「でも、なってほしいとは思いません」

 

 その答えには、少しだけ救われた。


 馬車へ戻る直前、小川の水面に黒い影が差した。私は反射的に見上げる。骨魚だった。昼の空を、ひどく低く横切っていく。今日はやけに近い。骨の輪郭がはっきり見えるほどだ。


 護衛兵たちがざわめいた。馬が鼻を鳴らし、落ち着きをなくす。

「低すぎる」

 誰かが言った。

「縁起でもない」

 別の誰かが応じる。


 骨魚の腹から、青白い小さな灯がひとつ、ふたつ、三つ、落ちた。風に流されながら、王都のある方角へ消えていく。


 エナがその軌跡を見つめていた。

「王都で死者が増えています」

「わかるのか」

「骨灯があちらへ向かうので」

「便利だな」

「便利なのは、だいたい不吉です」


 そのとおりだった。

 私は再び馬車へ乗り込みながら、遠くの空を見た。

 王都はまだ見えない。だが、あの見えない場所で、何かがもう始まっている。

 私はその中心に呼ばれている。

 王に向いている、などという最悪の評価と一緒に。


 馬車が再び進み始める。

 遠ざかる小川の水面に、首のない王のような雲が揺れていた。

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