第8話 王に向いている男
翌朝、王都へ向かう本隊の出発は、まだ空が白みきらないうちだった。
宿場町の門前には幌馬車が三台、騎乗の護衛が六人、加えて王都へ戻る役人風の男が二人いた。昨日の隊商より明らかに警戒が強い。第十四の件が関所から上へ報せられたのだろう。私とエナは、中央の幌馬車へ半ば押し込まれるように乗せられた。旅客というより、搬送物の扱いである。
荷台には私たち以外に、痩せた書記官が一人いた。三十代半ばくらい、くすんだ青の外套を着て、膝の上に書類箱を抱えている。髪はきっちり撫でつけられ、口髭も整っていたが、目の下に深い隈があった。寝ていない人間の顔だ。
「王都監査局の補佐書記、ネムと言います」
男は小さく会釈した。
「記録のねじれに関する照会文を運んでいます」
「監査局」
私は反射的にその単語へ反応してしまった。
「嫌いな響きです」
ネムは疲れたように笑った。
「私もです。ですが役所は増えます。死が増えれば帳票も増える」
「それはわかる」
「わかるのですか」
「元の職場がそうだった」
ネムはほんの少しだけ目を細めた。同志を見るような目だった。
「では話が早い。あなたは、紙の上で起きる災厄をご存じだ」
「だいたいな」
「現実が壊れる前に、書式が壊れる」
「そのあと会議が増える」
「ええ。そして誰も責任者になりたがらない」
私は吹き出しかけた。異世界で初めて、まっとうに会話が通じた気がした。
エナはそのやり取りを黙って見ていたが、少しして言った。
「ネムは役人の中では親切です」
「中では、か」
「役人はたいてい、親切そうに見えるだけです」
「埋葬官もそうだろ」
「そうかもしれません」
馬車が動き出す。車輪の揺れに合わせて、ネムが抱えた書類箱の中で封蝋のついた文書がこすれる音がした。
「ところで」
ネムが私を見た。
「墓を読んだのは本当ですか」
「そうらしい」
「らしい、では困るのですが」
「昨日も同じこと言われたな」
「皆そう言いますよ。王都は“らしい”を嫌います」
「でも現実は“らしい”だらけだろ」
「だからこそ嫌うのです」
その答えに、私は妙に納得した。組織は曖昧さに依存しながら、表向きには曖昧さを憎む。
「あなたのことは、すでに簡単な触れが回っています」
ネムは言った。
「異邦人、墓読みにして、記録のねじれと同時に出現」
「嫌な紹介文だな」
「かなりです」
「王都でどう扱われる」
「使えるなら使う。使えないなら囲う。危険だと判断されれば隔離する」
「ろくでもないな」
「王都ですから」
エナが静かに口を挟んだ。
「リョウは隔離されません」
「根拠は」
「墓が呼んだから」
「それ、役所で通る理屈か?」
「通らなくても起きることがあります」
「この国、そういうの多いな」
道は徐々に広くなり、石が敷かれ始めた。往来の数も増える。農民の荷車、兵の一団、修道士らしき灰衣の列、葬列まで見えた。葬列は静かだった。黒い布をかけた棺の前後を、白い花を持った人々が歩いている。泣き声はない。皆、足元だけを見ている。
「王都に近づくほど、葬列が増えます」
エナが言う。
「王に近い土地ほど、死の記録も濃いので」
「王都はそんなに人が死ぬのか」
「死にやすい、というより」
ネムが代わりに答えた。
「死が記録されやすいのです。地方で消える死も、王都では書式になります」
私は嫌な感心をした。
見えない不幸より、可視化された不幸のほうが管理しやすい。
そして管理できる不幸は、制度の一部になる。
この国は、死を制度化することで生き延びてきたのかもしれない。
昼近く、馬車は短い休憩を取った。小川のそばで馬に水を飲ませるあいだ、私は足を伸ばして地面に降りた。腫れはまだあるが、昨日よりずっと歩ける。痺れ草の効果かもしれない。認めたくはないが。
水辺の石に腰掛けていると、ネムが隣へ来た。
「お聞きしても?」
「内容による」
「元の職場では、どんな役目を?」
「雑用と、責任の中継地点」
「有能だったのですね」
「何でそうなる」
「組織は、無能には中継を任せません。壊れにくい者へ負担を集める」
私は小さく息を吐いた。
「君、嫌な見方するな」
「役人ですから」
「誇ることか?」
「自慢ではありません」
ネムは川面を見ながら続けた。
「王都では、あなたを“王に向いている”と言う者が出るかもしれません」
「エナにも言われた」
「嫌でしょう」
「当然だ」
「その当然を忘れないでください」
「どういう意味だ」
「王に向いている者は、だいたい王になってはいけない」
私は眉をひそめた。
ネムは私の顔を見ず、ただ水を見ている。
「王に必要なのは、死を受け入れる従順さと、他人に役割を押しつける平静さです。ですが、“向いている”と評価されるのは、たいてい責任に慣れた人間です」
「責任に慣れた人間」
「ええ。壊れそうで壊れず、文句を言いながら引き受ける人間」
「それ、褒めてるのか」
「組織は褒めるでしょう。個人としては、たまったものではありません」
私は笑えなかった。
図星だったからだ。
会社でも、私は何度かそういうふうに扱われた。面倒ごとを回しやすく、かつ露骨に拒否しない人間。耐久性があるとみなされることは、たいてい消耗品として優秀だと言われるのと同じだ。
エナが少し離れた場所からこちらを見ていた。目が合うと、彼女は来て、淡々と言った。
「休憩終わりです」
「聞いてたか」
「少し」
「王に向いてるって話」
「はい」
「君もそう思う?」
「思います」
「即答するな」
「でも、なってほしいとは思いません」
その答えには、少しだけ救われた。
馬車へ戻る直前、小川の水面に黒い影が差した。私は反射的に見上げる。骨魚だった。昼の空を、ひどく低く横切っていく。今日はやけに近い。骨の輪郭がはっきり見えるほどだ。
護衛兵たちがざわめいた。馬が鼻を鳴らし、落ち着きをなくす。
「低すぎる」
誰かが言った。
「縁起でもない」
別の誰かが応じる。
骨魚の腹から、青白い小さな灯がひとつ、ふたつ、三つ、落ちた。風に流されながら、王都のある方角へ消えていく。
エナがその軌跡を見つめていた。
「王都で死者が増えています」
「わかるのか」
「骨灯があちらへ向かうので」
「便利だな」
「便利なのは、だいたい不吉です」
そのとおりだった。
私は再び馬車へ乗り込みながら、遠くの空を見た。
王都はまだ見えない。だが、あの見えない場所で、何かがもう始まっている。
私はその中心に呼ばれている。
王に向いている、などという最悪の評価と一緒に。
馬車が再び進み始める。
遠ざかる小川の水面に、首のない王のような雲が揺れていた。




