表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やわらかな王の墓  作者: たむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/15

第7話 死者の記録帳

 その夜、私は眠れなかった。


 宿舎の寝台は藁が詰め込まれた粗末なもので、横になるたび小さな虫でも潜んでいそうな音がした。だが眠れない理由は寝具ではない。昼から頭の中に引っかかっているのは、関所の記録所で見たあの文字だった。

 エナの帳面には、第十四の王が死んだ。

 関所の帳面には、王位継承予定者第十四位が死んだ。

 どちらも間違っていない可能性がある。

 そんな説明は、会社なら最悪の報告書だ。だがこの国では、それが成立してしまうらしい。


 部屋は二人部屋だった。向かいの寝台にエナがいる。彼女はとっくに眠っているのかと思ったが、闇の中で声がした。


「起きていますね」

「君もな」

「考え事ですか」

「まあ」

「第十四の件」

「まあ」


 少しの沈黙。

 窓の外で風が鳴り、遠くで夜番の鐘が一つだけ鳴った。


「見ますか」

 エナが言った。

「何を」

「記録帳を」

「見せていいのか」

「本来はだめです」

「じゃあ何で言う」

「あなたが読めるからです」

「それ、かなり危ない理屈じゃないか」

「はい」


 闇の中で衣擦れの音がした。やがて、小さな机の上に蝋燭が灯る。薄い光に照らされて、エナが黒い帳面を持っていた。革表紙は手の油でやや艶を帯び、角はすり減っている。日々開かれてきた本の傷み方だ。


 彼女は机へ帳面を置いた。

「触らないでください」

「見るだけ?」

「まずは」


 頁を開く。昼間と違い、文字は最初から薄く浮かんでいた。昨夜の記録が、乾いた血のような暗い色で紙に定着している。


 異邦人一名、墓標を読む。

 第十四の王、死亡。

 骨魚、低空巡回。

 村内死者、なし。


「間違いなくこう書いてあるな」

「でしょう」

「でも関所は予定者第十四位だった」

「はい」

「この差は何だと思う」

「私にはわかりません」


 私は文字をじっと見た。読む、というより、文字のほうから意味が流れ込んでくる感覚がある。日本語でもないのに、頭の中では自然に理解される。

 ふと、一行目の“異邦人一名”に目が止まった。


「なあ」

「はい」

「これ、俺の名前じゃないんだな」

「記録ではそうです」

「人名は残らない?」

「死に近い帳面には、名は薄くしか残りません」

「君が名を持たないのと同じ理屈か」

「近いです」


 私は椅子へ腰かけた。蝋燭の火がわずかに揺れる。

「死に近い場所ほど、個人名が剥がれるのか」

「そう考える人は多いです」

「君は?」

「私は、逆だと思います」

「逆?」

「本当は名が濃すぎて、帳面が支えきれないのかもしれない」


 私は彼女を見た。

 その考えは、制度として習った説明ではないのだろう。エナ自身の言葉だった。


「師匠の受け売りか」

「半分は」

「残り半分は」

「私の考えです」


 彼女は少し迷うようにしてから、帳面の別の頁を開いた。そこには古い記録が並んでいた。葬列、病、飢饉、流産、処刑、崩落。死に関する事柄ばかりだ。


「埋葬官の帳面は、死だけを記録しているわけではありません」

「どういうことだ」

「死へ近づく出来事を記録します」

「近づく出来事」

「たとえば飢え。戦。流行り病。名の剥奪。婚姻の破棄。継承順位の変更」

「後半、かなり政治だな」

「この国では政治は死に近いので」


 納得したくないのに納得できる。


「じゃあ第十四の王の死っていうのは」

「実際の死ではなく、死へ近づいた記録かもしれません」

「あるいは王になった記録」

「はい」

「それ、ほぼ同じ意味なんだな」

「この国では」


 私は額に手を当てた。

 王になることが死へ近づくこと。

 墓が先に用意され、名が剥がれ、記録が個人より先に動く。

 この王国の制度は、統治というより巨大な葬送装置に見えてくる。


「エナ」

「はい」

「埋葬官って、王家に従ってるのか」

「従っています」

「でも王家を監視もしてるよな」

「はい」

「それで成り立つのか」

「長くは成り立ちません」


 あまりにきっぱり言うので、私は少し笑った。

「じゃあ今、だいぶ危ない?」

「ずっと危ないです」

「正直だな」

「慰めが必要ですか」

「いや。変な慰めよりいい」


 エナは帳面を閉じかけて、ふと止まった。

「あなたにも見せるべきものがあります」

「まだあるのか」

「読めるかもしれません」


 彼女は後ろの見返しの内側から、薄い紙片を一枚取り出した。普通の頁ではなく、誰かが後から挟み込んだような紙だ。端が擦れて、何度も折りたたまれた跡がある。


「師匠が残したものです」

「遺書?」

「覚え書きです」


 その紙に書かれた文字は、記録帳の文字とも少し違っていた。癖のある手書きらしい。だがやはり、私は読めた。


 ――王墓は未来を食う。

 ――ゆえに王国は、死者によってではなく、まだ死んでいない者の消耗によって保たれる。

 ――記録の順が乱れるとき、墓は王を選び直す。

 ――そのとき異邦人が現れるなら、数え直しが始まった徴である。


 私は紙から目を離せなかった。

「これ……かなり物騒だな」

「師匠はよく物騒でした」

「そこじゃない。異邦人って、俺のことだろ」

「そうだと思います」

「数え直しって何だ」

「わかりません」

「墓が王を選び直す、って?」

「わかりません」

「君、肝心なところ全部わからないな」

「わからないことをわからないまま記録するのも、仕事です」


 その言い方に、私は妙に感心してしまった。

 わからないことを、わかったふりで塗りつぶさない。

 会社ならむしろ逆だった。空白は許されず、見通しのない見通しが要求され、精度の低い予測が確定事項みたいな顔で並べられる。

 エナのやり方は不親切だが、誠実ではある。


「師匠は何で死んだ」

 私は問うた。

 エナは少しだけ視線を伏せた。

「王墓の調査で」

「事故?」

「そういうことになっています」

「君は違うと思ってる」

「はい」

「殺された?」

「そこまでは」

「でも怪しい」

「はい」


 蝋燭の炎が揺れた。

 宿舎の壁の向こうで、誰かが寝返りを打つ音がする。


「王都へ行けば、その師匠の件もわかるかもな」

「わかるか、隠されるかです」

「どっちが多い」

「後者です」

「知ってた」


 私は椅子にもたれ、天井を見上げた。

 異世界へ来て二日目にして、私はすでに王家の記録のねじれと、埋葬官の師匠の不審死と、王墓が未来を食うという不吉な覚え書きに巻き込まれている。

 たいした幸運だ。


「リョウ」

「ん」

「逃げたいですか」


 不意の問いだった。

 私は少し考えた。本音を言えば、逃げたい。元の世界へ帰れるなら帰りたい。帰っても会社が待っているだけだとしても、それでも今よりはまだ、世界の法則がわかる場所だ。

 だが同時に、奇妙な感覚もあった。

 ここでは少なくとも、物事が露骨だ。死は死として置かれ、制度は制度として人を縛り、墓は墓として王を待っている。元の世界のように、曖昧な善意や前向きな言葉の陰でゆっくり擦り減る感じが少ない。


「逃げたい気持ちはある」

 私は言った。

「でも、逃げても別の帳面に載るだけな気もする」

「そうかもしれません」


 エナは紙片を畳み、また見返しに挟み込んだ。


「眠ってください。明日は早いです」

「王都まで?」

「はい」

「着いたら」

「もっと眠れなくなります」


 脅しなのか忠告なのか、たぶん両方だった。


 蝋燭が消され、部屋は再び暗くなる。

 私は寝台へ戻り、毛布を引き上げた。

 目を閉じると、紙片の文が浮かんだ。


 王墓は未来を食う。

 墓は王を選び直す。

 異邦人が現れるなら、数え直しが始まった徴である。


 私は、数え直される側なのか、数える側なのか。

 まだわからない。

 だが少なくとも、もう帳面の外にはいないのだろう。


 窓の外で、骨魚がひとつ、ゆっくり空を渡っていった。

 見えなくても、その影が世界の上を滑っていくのがわかった。

 この国では、眠っているあいだでさえ、何かに数えられている。

 そんな感覚だけが、朝まで薄く肌に貼りついていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ