第5話 村にいるよそ者
隊商は、関所を出てからしばらくのあいだ、妙に静かだった。
静か、というのは平和という意味ではない。話したくない沈黙が続いているということだ。幌馬車の中には私とエナ、それから毛織物の束と、干し肉の樽と、よくわからない鉄製の農具が積まれていた。揺れるたびに荷がこすれ合い、乾いた音を立てる。その隙間に身を置く私たちへ、護衛兵や御者たちの視線が、時折幌の隙間から差し込んでくる。
厄介者が二人。そういう扱いだった。
私は膝を抱えるように座り、向かいにいるエナを見た。彼女は相変わらず背筋を伸ばして座り、黒い記録帳を膝に置いている。目は閉じていた。眠っているようにも見えるし、祈っているようにも見える。
「寝てる?」
「起きています」
「そうか」
「あなたは落ち着きがありませんね」
「知らない国の知らない馬車で、知らない王のところに連れていかれてるんだ。落ち着いてたら逆に危ないだろ」
「それはそうです」
妙に素直に肯定されると、こちらの調子が狂う。
馬車が大きく揺れた。足首に鈍い痛みが走る。私は顔をしかめ、荷台の縁に手をついた。
「まだ痛みますか」
「まあな」
「見せてください」
「今?」
「今でなければ、王都に着いてから腫れます」
エナは慣れた手つきで包帯をほどいた。薬草の匂いが立つ。腫れは昨日より引いていたが、皮膚の色はまだどす黒い。
「悪くないです」
「君の基準、信用していいのか」
「昨日より腐っていません」
「比較対象が最悪だな」
彼女は新しい葉を取り出し、指先で揉んでから足首へ貼りつけた。ひやりとした感触が広がる。
「何の草だ」
「痺れ草です」
「名前が怖い」
「少しだけ痺れます」
「少しで済むのか?」
「多分」
「多分で貼るなよ」
エナは答えず、淡々と布を巻き直した。巻き終えたあと、彼女は一瞬だけ私の足元に視線を止めた。
「あなた、歩き方に癖がありますね」
「そうか?」
「右足を庇うのではなく、先に腰で逃がしている」
「仕事でずっと座ってたからかもな」
「座る仕事」
「そう。書類を見て、数字を合わせて、謝って、また数字を合わせる」
「大事そうです」
「大事に見えるだけのことも多い」
エナは少し考えるように目を伏せた。
「王都にもそういう仕事をする人がたくさんいます」
「だろうな」
「死者の数や、葬列の長さや、供物の配分を決めます」
「それは結構大事だろ」
「大事です。でも彼らは、死者を見ません」
「数字だけ?」
「はい」
私は苦く笑った。世界が変わっても、机の上で世界を処理する人間はいる。そして机の上で処理される側もいる。
やがて隊商は小さな中継集落で止まった。井戸と厩舎と、旅人向けの粗末な食堂がひとかたまりになった場所だ。護衛兵たちは水を汲み、馬に飼葉を与え、私たちには「外へ出るな」とだけ言った。まるで囚人である。
私は幌の隙間から外を見ていた。旅人たちは皆、こちらに目を向けるが、近づいてはこない。埋葬官の黒衣は遠目にもわかるらしいし、そこに見慣れない格好の男が一緒にいれば、噂の種には十分だ。
「よそ者って、どこでもわかるんだな」
「匂いが違います」
「本当に?」
「比喩です」
「今のはちょっと迷った」
だが、比喩だけではないのだろう。私は自分の袖を見た。くたびれたスーツの生地、ボタン、縫製。ここではどれも異質だ。顔立ちや言葉が同じでも、所属してきた世界の癖は布に出る。
食堂の戸口から、小さな子どもがこちらを見ていた。五つか六つくらいだろうか。裸足で、鼻水を垂らし、片手に齧りかけの根菜を持っている。子どもはしばらく私を凝視していたが、やがておそるおそる近づいてきた。後ろから母親らしき女が青ざめて止めようとしたが、間に合わなかった。
「ねえ」
子どもは私を見上げて言った。
「おまえ、死ぬの?」
私は返事に困った。
質問があまりにも直球だったからだ。子どもというのは残酷ではなく、遠慮の仕方をまだ知らないだけなのだろう。
「そのうち」
私は答えた。
「みんなそうだろ」
「王さまになると、はやいよ」
子どもは真面目な顔で言った。
その瞬間、母親が駆け寄って子どもの肩を掴み、無理やり引き離した。
「申し訳ありません、旅のお方!」
「いや、別に」
「この子、口が」
「知ってる」
女は深々と頭を下げ、子どもを抱えるように連れていった。去り際、子どもはまだこちらを振り返っていた。好奇心と、ほんの少しの憐れみを混ぜた目だった。
私は馬車の縁に肘をついた。
「この国の子ども、やけに王へ遠慮がないな」
「王は遠いですから」
エナが言う。
「遠いものは怖くもあり、雑にも扱われます」
「近くの領主とか兵士のほうが怖い?」
「ええ。王は空や天気に近い。あるけれど、手は届かない」
「でも墓は近い」
「はい」
その言葉は妙に胸に残った。王権は抽象で、墓は具体なのだ。この国で本当に人の生活に触れているのは、王そのものではなく、王の死なのかもしれない。
休憩が終わるころ、護衛のひとりが幌をめくった。関所にいた傷鼻の兵士だ。
「出発だ。あと半日で宿場に着く」
彼は私を見てから、エナに視線を移した。
「記録帳はしまっておけ。余計な目を引く」
「承知しました」
「それと異邦人」
「俺か」
「お前だ。王都へ着いたら、勝手に喋るな。聞かれたことだけ答えろ」
「それ、村長にも言われた」
「なら覚えやすいだろ」
「上の人間ほど同じことを言うな」
「上の人間だからだ」
兵士は鼻で笑い、幌を閉じた。
私は小さく舌打ちしたくなったが、抑えた。今のところ、ここで一番立場が弱いのは間違いなく私だ。
馬車が再び動き出す。夕方が近づくにつれ、空の灰色が濃くなっていく。骨魚の影も増えた気がした。陽が沈むというより、空の膜が内側から濁っていくようだ。
エナがぽつりと呟いた。
「あなたは、案外すぐ馴染みますね」
「嫌な言い方だな」
「褒めています」
「何に馴染んでる」
「よそ者であることに」
私は少し考えた。
会社にいたころから、私はどこか自分がその場の中心に属していない感じを持っていた。部署にも、会議にも、飲み会にも、家庭にも、たぶん完全には馴染んでいなかった。役に立つように振る舞うことはできる。でも属しているという実感は薄かった。
「慣れてるのかもな」
「何に」
「自分の席が仮のものだって感覚に」
エナはしばらく黙っていた。
やがて、ほんの少しだけ声を柔らかくして言った。
「それは、埋葬官に向いている感覚です」
「嬉しくないな」
「この国では、たぶん生き延びやすい」
それも、褒め言葉としてはどうなのかと思う。
夕暮れの手前で、遠くに宿場町の灯が見え始めた。
小さい。だが、村よりは明るい。石壁に囲まれた、関所と王都の中間地点。そこが今夜の宿らしい。
私は灯を見ながら、ふと思った。
異世界に来た人間が最初に得るものは、力ではないのだろう。
まず得るのは、自分がどれだけ“よそ者”として見られるかという感覚だ。
その上で、それでも生きるか、馴染むふりをするか、壊すかを選ばされる。
私が何を選ぶのかは、まだわからなかった。
ただ、少なくともひとつだけ確かなことがあった。
この国の人々は、王より先に、よそ者を墓へ近いものとして見ている。
それが歓迎ではないことだけは、よくわかった。




