第23話 王墓巡礼の老人
村はずれの古文書庫が崩れた――その報せは、王都のどんな冷たい説明よりも、エナに強く効いたようだった。
彼女は表情を大きく崩したわけではない。泣きもしないし、声も荒げない。ただ、呼吸の置き方が少しだけ変わった。普段より吸う時間が短く、吐くほうが長い。感情を押しとどめるときの呼吸だと、私は何となくわかった。
「代筆者は誰だ」
エナがハルヴァへ問う。
「村の補助書記、名はシウ」
「書庫に入れる立場です」
「崩落後の状況は」
「簡単な報告のみ。『王墓巡礼関係の棚が最初に落ちた』『白い根が床下より露出』『夜明け前、村に巡礼老人が現れた』と」
「巡礼老人?」
私が聞き返すと、ハルヴァが紙片を見直した。
「そう記されています。『杖に白鈴を下げた老人、崩落前夜より村道にて目撃』」
エナが目を上げた。
「そんなはずは」
「知ってる相手か」
私は問う。
「おそらく」
彼女は小さく言った。
「王墓巡礼の老人です」
「そのままの呼び名だな」
「通称です。本名はたぶん誰も知りません」
ハルヴァは紙を畳んだ。
「説明を」
「村から村へ、古い王墓と巡礼墓標を渡り歩く老人がいると言われています」
エナが言う。
「埋葬官のあいだでは半ば伝承でした。実在するとしても、何十年も同じ姿で現れると」
「怪談だな」
「埋葬官の怪談です」
「一番嫌な種類だ」
だが、怪談と片づけるにはタイミングが悪すぎる。
白い根の露出。王墓巡礼関係の棚の崩落。そこへ現れる巡礼老人。
王都の地下だけでなく、地方の末端まで何かが連動しているのは明らかだった。
ハルヴァは続けた。
「さらに追記があります。『老人は、王都へ行くなら急げと言った』『十三はすでに二度数えられている、と』」
「二度?」
私は思わず声を上げた。
「何だそれ」
「報告には以上です」
ハルヴァが言う。
私はエナを見る。彼女もこちらを見た。
同じ嫌な予感を共有した顔だった。
「十三を数え直せ、と墓は言った」
私は低く言う。
「なのにもう二度数えられてる?」
「誰かが先に」
エナが答えかけ、言葉を切った。
「……あるいは、制度そのものが」
王都の回廊は相変わらず冷たかったが、今はその冷たさが外側からではなく、内側へ入ってくる気がした。
数え直しが始まっているだけではない。
私たちが気づく前に、もう誰かが数え始めていた可能性がある。
「その老人に会う方法は」
私が聞くと、エナは首を横に振った。
「会おうとして会えるものではありません」
「便利な存在だな」
「本当に便利なら、埋葬官はもっと楽です」
ハルヴァは軽く咳払いした。
「次官殿は、この件を王宮内部で伏せるつもりです」
「伏せて済むか?」
「済まないでしょう」
「じゃあ」
「済まないと知りつつ、伏せるのが王都です」
私は少し笑ってしまった。
笑うしかなかったとも言える。
そのとき、回廊の先で杖の音がした。
かつ、かつ、と乾いた音。
規則的でありながら、妙に古びた響きだった。
ハルヴァが振り返る。
私たちもつられてそちらを見る。
そこに立っていたのは、埋葬官ではなく、見慣れない老人だった。
背は高くない。だが痩せすぎているせいで、衣の黒さが余計に深く見える。髪はほとんど白く、顎の髭も細い。片手に杖を持ち、その先には白い鈴が下がっていた。
そして彼の目は、老いているのに妙に濁っていなかった。
あまりにも“見えている”目だった。
エナが息を呑む。
「……そんな」
老人はかすかに笑った。
「そんな顔をするな、名を伏せた娘」
ハルヴァが一歩前へ出る。
「誰が入れた」
「誰も」
老人は平然と言った。
「道が続いておったのでな」
王都の警備をそんな一言で突破されていいのかと思ったが、この国ではもう何が普通かわからない。
「あなたが王墓巡礼の老人か」
私が訊くと、老人は私へ目を移した。
「そう呼ぶ者もおる」
「十三が二度数えられているって、どういう意味だ」
「焦るな」
「焦るだろ」
「焦っても順は早まらぬ」
その言い方に、妙な既視感があった。
埋葬官たちの口ぶりに近い。
だが、彼はそれよりもっと古い場所から来た声で喋っている感じがする。
「話せる場所へ」
老人が言う。
「宮城の石は耳を持つ」
それも比喩では済まない気がして、私は黙った。
ハルヴァですら、すぐには反論しなかった。




