第20話 村はずれの古文書庫
夜の墓廊から戻ったあと、私は眠るためではなく、頭を冷やすために椅子へ座っていた。
宮城の控え間は静かだった。
静かだが、無音ではない。壁の向こうを誰かが急ぎ足で通る音、遠くの鐘、時折どこかで鳴る骨鈴。王都の夜は眠っているのではなく、低い音量に絞って稼働し続けている感じがある。
エナは窓のない壁際で記録帳を開き、今夜の観測を書きつけていた。筆を持つ指はいつもと同じように安定しているのに、横顔だけが少し張って見える。ネムは呼び戻されており、別室から運ばれてきた照合文とにらめっこしていた。
私は机へ肘をつき、額を押さえた。
「十三を数え直せ、か」
誰に聞かせるでもなく言うと、ネムが顔を上げた。
「王位継承の再計算としては最悪です」
「事務処理の感想だな」
「そこから先が王都では現実になります」
エナが筆を止めた。
「リョウ」
「ん」
「村の古文書庫で、師匠が残した帳面をもっと調べるべきでした」
「今さらか」
「はい。師匠は、王墓と村の古記録のつながりを疑っていました」
私は顔を上げた。
「村はずれのあの家?」
「ええ」
「何がある」
「王家の写し。古い埋葬記録。巡礼名簿。王墓巡礼に関する欠けた報告」
「欠けた?」
「誰かが意図的に抜いたような頁が多い」
ネムが静かに言った。
「地方文書庫は、王都で失われたものの退避先になっている場合があります」
「じゃあ、村のほうが重要だったってことか」
「そうとも限りません」
エナが答える。
「重要だからこそ、辺境へ追いやられた可能性もあります」
その発想には納得できた。
中央で残すには都合が悪い文書ほど、周縁へ保管する。
会社でも似たことはあった。正式な共有フォルダには置けないデータが、名前のあいまいな古いサーバや個人管理の箱へ追いやられている。
「今から戻れないのか」
私は半分本気で訊いた。
「戻って、調べる」
「難しいでしょう」
ネムが答える。
「今のあなたは宮廷案件です」
「知ってる。でも、こっちの王墓が数え直しだの何だの言ってるなら、地方の写しも見たほうが早いかもしれない」
「理屈は通ります」
「でも通らない?」
「王都ですから」
嫌な万能句だ。
だが事実でもある。
そこへハルヴァが入ってきた。いつもの丁寧な顔のままだが、疲労はかなり濃くなっている。
「今夜はここまでです」
「休めるのか」
「休む、という形式は取れます」
「実質は?」
「数刻ごとに照会と呼び出しが入る可能性があります」
休みですら比喩なのか、と私は思った。
「ただし」
ハルヴァは続ける。
「地方文書庫についての提案は、無価値ではありません」
エナが顔を上げる。
「村付文書庫を?」
「正式照会は時間がかかる。しかし、師匠の残した個人覚え書きについては先に聞き取りが可能です」
「誰に」
「あなたに」
ハルヴァはエナを見る。
「あなたの師が、生前どの範囲まで疑っていたか」
エナは少し黙り、それから言った。
「師は、“王墓巡礼の路が絶えていない”と言っていました」
「巡礼の路?」
私が問う。
「王墓は宮城地下だけではないのか」
「主要墓はそうです」
ハルヴァが答える。
「ですが地方にも、古王墓や副墓、巡礼墓標が点在します」
「国中に王墓の写しみたいなものがある?」
「あるいは、王墓の末端」
白い根のことを思い出す。
森にも、監査局にも、宮城にもあった。
もしあれが一本の系統なら、地方の墓標や文書庫も王墓の神経のようなものなのかもしれない。
「師は何て?」
私はエナへ促した。
「“王都は真実を埋めるが、地方は埋めきれない”」
「いい師匠だな」
「よく嫌われていました」
「だろうな」
ハルヴァは頷き、小さな紙片を机へ置いた。
「村付文書庫への第一照会を回します。返答は早くて明日、遅ければ数日」
「数日か」
「王都の速度としては早いほうです」
ハルヴァが去ったあと、私はその紙片を見た。
薄い官用紙。簡潔な書式。
地方と中央をつなぐのは、いつの時代もこういう地味な紙だ。
エナが小さく息をついた。
「師匠の机、荒らされていなければいいのですが」
「荒らされるようなものが?」
「ありました」
「先に言えよ」
「言う順番を考えていました」
「この国、何でも順番だな」
「はい」
私は椅子にもたれ、目を閉じた。
脳裏には十三王墓の白い根が浮かぶ。
だが同時に、村はずれの小さな家の匂いも思い出した。乾いた薬草、古紙、白い花。
王都の地下で息をする墓に対し、あの文書庫はもっと静かだった。
静かだが、たぶん同じものの末端に触れていたのだろう。
数え直しが始まるなら、王都だけを見ていても足りない。
国全体に散らばった断片が、どこかで一枚の図になっている。
その図を誰が先に読むのか。
王墓か、王都か、埋葬官か、それとも私か。
考えるほど、眠気より緊張のほうが勝っていった。




