第19話 夜に息をする墓
夜が完全に降りると、宮城の地下は別の建物みたいになった。
昼間から冷たく静かだった石の廊下が、夜には生き物の内側のような湿り気を帯びる。灯りは増えるのに影も濃くなり、角を曲がるたびに空気の重さが少しずつ違う。
セリオは食堂を出た私たちを、再び東墓廊へ連れていった。
今度は見回りの埋葬官が増えている。黒衣の袖の下で、皆ひどく緊張していた。
「夜に息を始める」
私は歩きながら言った。
「村でエナがそう言ってたな」
「はい」
エナは私の隣を歩きながら答えた。
「王の墓は夜になると、根の脈が強くなります」
「比喩じゃなく?」
「ええ」
「慣れたくないな」
「慣れない人もいます」
「どうなる」
「地下勤務から外されます」
「まだまともな処遇でよかった」
最奥へ近づくにつれ、確かに何かが聞こえてきた。
風の音ではない。
息のような、低い吸い込みと吐き出し。
ごう、ではなく、ふ、とも違う。巨大な獣が眠っているときの呼吸に近い。
墓標の立ち並ぶ地下廊全体が、一定ではないリズムで息をしていた。
「……本当にだ」
私は立ち止まりかけた。
「墓が息してる」
「正確には、根の脈と空気の流れです」
セリオが言う。
「ですが、皆そう呼びます」
「呼び方の問題じゃないだろ」
東墓廊の最奥、十三王墓の前には、昼より多くの白い花が供えられていた。
墓標の周囲に張られた綱の外で、二人の埋葬官が祈っている。声は出していない。唇だけが動いていた。
そして白い根は、明らかに増えていた。
昼には墓標の裾を這っていた程度だったものが、今は床の石目を縫い、壁まで伸びている。
脈打つたび、かすかに空気が吸われる。
「息だ」
私は呟く。
「墓が呼吸してるように見える」
「夜はよくそう見えます」
エナの声も少し硬い。
セリオが綱の手前で止まった。
「今夜の変化は、あなたの前で確認したい」
「何を」
「王墓が、誰を王と読むかです」
私は彼を見た。
「そんなの今ここでわかるのか」
「兆しは出るかもしれない」
「嬉しくないな」
「皆そう思っています」
墓室の奥で、鈴のような小さな音がした。
埋葬官の一人が持つ骨鈴だ。彼は墓標へ一礼し、綱の外へ下がる。
エナがその所作を見て、少しだけ眉を寄せた。
「閉墓ではなく、呼吸観測の形ですね」
「今夜はそうする」
セリオが答える。
「観測って」
私は言った。
「まるで機械だな」
「王墓は、半分そうです」
セリオは平然と返した。
「祈祷と装置が重なっている」
墓標の文字を見上げる。
第十三の王、まだ死なず。されど、すでに墓にあり。
その下を、白い根がひと筋、ふた筋と這い上がり、まるで文字の続きを書き足そうとしているように見えた。
「リョウ」
エナが低く呼ぶ。
「また、意味が来ますか」
「……少し」
来る。
読む前から、意味の輪郭だけが頭へ触れてくる。
空腹の前の吐き気みたいな感覚だ。
私は息を整え、墓標へ一歩近づいた。
その瞬間、墓標の根元の根が大きく脈打った。
ごくわずかだが、墓室の空気が一緒に吸い込まれる。
白い花びらが一枚、床を滑り、墓へ寄った。
誰かが息を呑む。
それが私なのか、背後の埋葬官なのかはわからなかった。
「来る」
エナが言う。
根の列が、昼にはなかった形へ並び始める。
動いているわけではない。
だが脈と光沢の加減で、文字の線が浮かび上がって見える。
私は目で追った。
意味が流れ込む。
「……“空きを埋めよ”」
私は口にした。
「“飢えは器を求める”」
背後でセリオが低く息を吸う気配がした。
私は続ける。続けざるを得ない。
「“名なき渇き、順なき死、王なき夜”」
根がさらに脈を打つ。
墓室そのものが、生き物の胸みたいに膨らんで見えた。
「最後は?」
セリオが促す。
「“触れた手よ”……またそれだ」
「読め」
私は歯を食いしばった。
根の光沢が、私の指先に反応するみたいに強まる。
「“触れた手よ、十三を数え直せ”」
息をする墓の前で、誰も動かなかった。
数え直す。
それは地下の根も言っていた。
異邦人が現れるなら、数え直しが始まった徴だ、と。
「十三を、数え直す」
エナが呟く。
「王を?」
「あるいは、王である条件を」
セリオの声は冷静だったが、指先だけはわずかに緊張しているのが見えた。
私は墓標から目を離せなかった。
この国の王は人ではなく順番だ。席だ。器だ。
なら、十三を数え直すというのは、第十三の王個人を裁くことではない。
“十三番目”という席そのものを、別の意味で読み替えることなのかもしれない。
「俺に何をさせたいんだ」
私は墓へ向かって言った。
「誰を王と読むかって、何だよ」
当然、墓は答えない。
だが白い根の脈だけが、ほんの少し強くなる。
まるで、すでに答えはそちらで決まっていて、私には読み上げる役だけが残っているみたいだった。
夜の墓廊は、なおも息をしていた。
墓が吸うたび、石の冷たさが深くなる。
吐くたび、白い花の香りが薄く広がる。
生き物ではないのに、生きている。
死のための器なのに、今まさに何かを求めている。
私は胸の奥に重たい予感を抱えたまま、十三王墓を見つめていた。
この墓は、過去を閉じるものではない。
空いた席へ、次の意味を流し込むための口なのだ。
そして今夜、その口は確かに開いていた。




