第14話 王都への通行証
宮城へ呼ばれるまでのあいだ、ほんの短い猶予が与えられた。
猶予といっても、自由時間ではない。監査局の一室で待機し、必要な書類を整え、移送のための形式を踏むだけの時間だ。王都というのは、どうやら人間を動かす前に必ず紙を動かすらしい。その感覚だけは、私にとって妙に理解しやすかった。
セリオという宮廷埋葬部次官は、必要事項だけ告げるとすぐ別室へ消えた。代わりに下役たちが三人入り、私の身分を仮登録する作業が始まった。名前、出現地点、同行者、身体的特徴、所持品。所持品の欄に、壊れたスマートフォンと社員証とボールペンが並んだとき、私はなんとも言えない気分になった。
「この板は何です」
若い書記がスマートフォンを持ち上げる。
「通信機器みたいなもの」
「今は使えない?」
「たぶん」
「刃は?」
「ない」
「毒針は」
「ない」
「祈祷具?」
「違う」
「では娯楽品ですか」
「……半分くらいは」
書記は理解できない顔で記録し、今度は社員証をつまんだ。
「これは?」
「身分証」
「王都で言う通行証のような?」
「近い」
「所属は……“東央営業第一部”」
「もう意味はない」
「こちらでは、所属は意味があります」
その一言に、私は少しだけ口を閉ざした。
この国では所属が意味を持ちすぎる。名前より、本人の感情より、まず所属と順番と席が先に立つ。
エナは部屋の隅で、変わらず記録帳の写しを作っていた。ネムは照会文の追記と、地下での白い根の文言を整理している。どちらも淡々としているが、緊張は隠せていない。
やがて一通りの登録が終わると、別の役人が木札を一枚持ってきた。掌に収まるほどの黒い札で、縁に銀糸が埋め込まれている。片面には墓標の紋、もう片面には細かな刻字。
「臨時通行証です」
役人が言う。
「異邦人真柴遼。監査局預かり、宮廷埋葬部照会案件」
「通行証がないと宮城に入れないのか」
「あると入れるわけでもありません」
「嫌な制度だな」
「制度は嫌なものです」
この国の役人は、なぜか皆そこだけ率直だった。
木札を手に取る。
冷たい。金属ではないが、木でも骨でもない触感だった。
ふと、裏面の刻字へ目が行く。
読める。
――通るを許されし者、通るべきである。
――戻るを許されし者、稀である。
「帰りの注意書きが重すぎる」
私が呟くと、役人はきょとんとした。
「何と?」
「いや、何でもない」
彼には読めないのだろう。
木札すら、私には文字として開いてくる。
便利だが、便利であることがどんどん不吉になってきた。
役人が去ったあと、私は木札を机に置き、ため息をついた。
「通行証って、どこでも似たような圧があるんだな」
ネムが言う。
「王都では、通行証は“入る資格”ではなく“追跡のための印”です」
「知ってたけど嫌だ」
「返納が必要です」
「返納?」
「はい。死んだ場合も回収されます」
「そこまで徹底するのか」
「むしろ死者の札ほど厳密です」
エナが筆を止めずに口を挟んだ。
「札が戻らないと、記録上どこにも死ねません」
「どこにも死ねない?」
「行方不明に近くなります」
「それ、かなり嫌だな」
「この国では、行方不明は死より面倒です」
私は木札をもう一度見た。
たかが通行証ひとつに、所属、監視、死後処理まで詰まっている。
村でも関所でも感じたことだが、この国では人の移動がそのまま管理の始まりなのだ。
「村を出るときも木札をもらったな」
私は言った。
「王都までの仮通行証」
「ええ」
エナが頷く。
「村長は、あれで村の責任をあなたから切り離したかったのだと思います」
「つまり、あの時点でもう村のものじゃなかった?」
「はい」
「冷たいな」
「村は小さいので」
その言い方は残酷に聞こえるが、否定しにくい現実でもあった。小さな共同体ほど、抱えきれない異物を早く外へ流すしかない。
私は窓の外を見た。格子越しの中庭で、二人の下役が水差しを運んでいる。祈りの時間が終わったあとの、いかにも事務的な動きだ。
都会も村も、本質的には似ているのかもしれない。
違うのは、村が生き延びるために値踏みし、王都が運用するために査定することだ。
「リョウ」
エナが珍しく少しだけ言いよどんだ。
「何だ」
「宮城へ行ったら、言葉を選んでください」
「それはもう皆に言われてる」
「今度は少し違います」
「どう違う」
「王都では、言葉がすぐ席になります」
「意味がわからない」
「軽い冗談でも、忠誠や反逆や請願として記録されることがあります」
私は数秒、黙った。
「最悪だな」
「はい」
「じゃあ黙ってたほうがいい?」
「黙りすぎると、隠していると見なされます」
「詰んでないか?」
「王都ですから」
そこへハルヴァが戻ってきた。
手には新たな封書が二通。顔色は変わらないが、目の奥が少しだけ急いている。
「宮城への入構が認められました」
「案外早いな」
「早すぎる、と言うべきかもしれません」
ハルヴァは言った。
「本来なら、こうした案件は二段階以上の照会を経ます。しかし今回は違う」
「上が急いでる?」
「ええ。あるいは、急がざるを得ない」
彼は私の通行証を確認し、紐を通して首に掛けるよう指示した。
木札が胸元に当たる。冷たい。
妙な首輪みたいだ、と私は思った。
「宮城に入る通行証は別にあります」
ハルヴァが続ける。
「これは、そこへ行くまでのあなたの所在を保証するだけ」
「保証というより監視だろ」
「保証と監視は近い言葉です」
やはり王都の人間は、そういうところだけ率直だった。
準備が整い、私たちは部屋を出た。
廊下を歩きながら、私は胸元の木札に触れた。
村を出るときにも札があり、王都へ入るときにも札があり、今また宮城へ向かうための札がある。
この国では、通るたびに何かを切り離され、何かへ属し直す。
通行証は扉を開く道具ではなく、所属変更の印なのだろう。
私は自分の首から下がる黒札を見下ろした。
知らない国の文字で、私はもう何度も記録されている。
元の世界で持っていた社員証と、もしかしたら本質はそんなに変わらないのかもしれなかった。




