第12話 村の値踏み
地下へ降りる前に、私は少しだけ時間を稼ごうとした。
「それ、俺が読めなかったら?」
「そのときはそのときです」
ハルヴァは言った。
「読めたら?」
「そのときもそのときです」
「答えになってないな」
「監査局らしい答えでしょう」
確かにそうだった。
だが、ここで素直に従う気にもなれない。
「条件がある」
私が言うと、ハルヴァの眉がわずかに動いた。
「異邦人の立場で交渉を?」
「物証扱いなんだろ。なら丁寧に扱ってもらわないと困る」
「続けて」
「エナを一緒に行かせる。ネムも」
「理由は」
「俺はこの国の文字も制度もよく知らない。読み違えたとき、現地語がわかる埋葬官と役人がいたほうがいい」
ハルヴァは少し考え、あっさり頷いた。
「妥当です」
「通るのか」
「通る条件を出しましたから」
「嫌だな、話が早いと逆に」
そうして私たちは、監査局の裏階段から地下へ案内された。
石造りの階段は急で、冷気が下から上がってくる。壁に灯された火皿の炎は弱く、ところどころ風もないのに揺れていた。
三階ぶんほど降りたところで、空気が変わる。湿り気が増し、土の匂いが濃くなる。森の匂いだ。王都の石の下に、あの森がそのまま埋まっているような感じだった。
やがて通路の先に、人だかりが見えた。監査局の下役らしい者たちが遠巻きにしている。
中央の壁から、白い根が這い出していた。
「うわ」
私は思わず声を漏らした。
森で見たものと同じだ。ただしこちらのほうが太く、数も多い。大人の腕ほどの太さの根が石壁の継ぎ目を押し割るように現れ、床を這い、再び別の壁へ消えていく。その表面に細かなひだがあり、脈打つたび光沢が動く。
そして確かに、壁に沿って並んだ根の曲線は、文字の列のようにも見えた。
「出たのは今朝です」
ハルヴァが説明する。
「記録庫の下層、古い勘定棚の裏壁から」
「勘定棚」
ネムが嫌そうに繰り返す。
「最悪ですね」
「なぜ?」
私が問うと、彼が答えた。
「古い帳簿と継承関係の照合文書が保管されている場所です」
私は壁の根を見た。
王都の地下。勘定と継承の棚。そこから這い出す白い根。
嫌な符合だった。
監査局の下役たちの一人が言った。
「朝、棚を引いたらこうなっていたんです。最初はただの根かと」
「ただの根なら、もっと嫌じゃないか」
私は反射的に答えてしまった。下役は黙った。すまない。
エナが一歩前へ出る。
「触らないでください」
「すでに少し触った者がいます」
ハルヴァが言う。
「手の色が抜けました」
「色が?」
「ええ。指先だけ白く」
「戻るのか」
「今のところは」
私は近づいた。
根の表面がゆっくり脈を打つ。
その並びを目で追うと、頭の中にじわりと意味が立ち上がってくる。
文字だ。やはり。
「読める」
私は言った。
背後がざわめいた。
ハルヴァの声だけが静かだった。
「何と」
私は根の列を追った。
読むというより、向こうから流れ込んでくる。
胸の奥が冷える。
「……“数え違いは、食い違いではない”」
私はゆっくり口にした。
「“墓は空席を嫌う”」
「空席」
ネムが低く繰り返す。
「続けてください」
私はさらに目で追う。根の脈動が少し強くなる。
ひどく嫌な予感がした。
「“順は器であり、名は後から満ちる”」
「待って」
エナが言った。
「それはつまり」
「俺に聞くなよ。今読む」
最後の列は、ほかより深く壁へ食い込んでいた。
私は息を整え、読み下した。
「“十三が空けば、十四は王である”」
沈黙が落ちた。
階下の冷気が、一気に重くなった気がした。
ネムが最初に口を開いた。
「十三が空く、とは」
「王位の空席」
ハルヴァが答える。
「死、退位、失位、あるいは」
「名の剥奪」
エナが継いだ。
私は壁から少し離れた。
「つまり、関所の記録は間違ってないのか」
ネムが答える。
「第十四位の者が、ある条件下で第十四の王になる」
「その条件が“十三が空く”」
「はい」
「でも第十三の王は生きてるんだろ」
「生きていても空くことはあります」
ハルヴァが静かに言う。
私は頭痛を覚えた。
生きていても王位は空く。
半分死んだ王。先に立つ墓。順が器で、名があとから満ちる。
この国の王制は、人間を中心に組まれていない。席が先にあり、人は後からはめ込まれる。
エナは根を見つめたまま、低く言った。
「師匠の紙にあった。“墓は王を選び直す”」
「……そういうことか」
私は呟く。
ハルヴァは腕を組み、珍しく少しだけ顔をしかめた。
「王宮へ上げる前に、意味を精査しなければ」
「無理でしょう」
ネムが言う。
「もう遅い。地下の根が監査局に出た時点で、噂は回る」
「噂を止めるのも監査局の仕事です」
「止まった試しが?」
「ないですね」
役人らしい会話だった。
だが、私は別のことを考えていた。
村で感じた値踏みの目だ。
人は、よそ者を見たとき、まず何に使えるかを考える。
王都はもっと露骨だ。
王位という“空席”があるなら、そこへ何を押し込むかを考える。人間の事情など二の次で。
私は白い根を睨んだ。
「こいつ、他にも何か言ってるか?」
「どういう意味です」
ハルヴァが問う。
「まだ読んでない部分がある気がする」
根の端、床際の細い枝が別の列を作っている。さっきは脈動が弱くて気づかなかった。
私はしゃがみ込み、その細い列を追った。
意味が浮かぶ。
「“外から来た者は、名のない席を恐れよ”」
今度こそ、誰もすぐには喋らなかった。
名のない席。
外から来た者。
恐れよ。
私は立ち上がった。喉が乾いている。
ハルヴァの目が、初めて少しだけ警戒を帯びた。
「異邦人」
「何だ」
「あなたを地下に連れてきた判断は、やや軽率だったかもしれません」
「今さらだな」
「ええ。ですが、もう遅い」
白い根が、どくりと一度だけ大きく脈打った。
まるでこちらの会話を聞いているみたいだった。




