第11話 白い根の鼓動
監査局の建物は、役所というより霊廟に近かった。
外から見たときにも陰気だと思ったが、中へ入るとその印象はさらに強くなる。廊下は長く、窓は高い位置に小さく切られ、光は床まで届かない。壁は黒ずんだ石で、湿気を吸ったように鈍く光っている。人の気配は多いのに、どの足音も妙に抑えられていて、誰もが建物そのものを刺激しないように歩いている感じがした。
先導してきた女警務は、私たちを二階の一室へ通した。机が三つ、書棚が四つ、壁際に水差し、窓の下に硬い椅子。取り調べ室というほど物々しくはないが、歓迎室でもない。
「ここで待機」
女は言った。
「監査官が来るまで、勝手に出歩かないこと」
「出歩ける感じの雰囲気でもないな」
「理解が早くて助かる」
扉が閉まる。外側から鍵の音がした。
私は椅子へ腰を下ろし、ようやく息をついた。
「やっぱり監禁だな」
「待機です」
エナが淡々と訂正する。
「鍵を掛けられてる」
「王都ではよくあります」
「その常識、嫌いだ」
ネムは書類箱を机へ置き、封書の確認を始めた。指の動きに無駄がない。疲れてはいても、仕事の手は止まらない人間らしい。
「監査局は何をする場所なんだ」
私が尋ねると、ネムは顔を上げずに答えた。
「記録の照合、税の再計算、役職の整序、継承順位の監査、違式の摘発、死者数の再集計」
「最後だけやけに物騒だな」
「王都では数字がそのまま権力ですから」
「死者数も?」
「特に」
私は眉をひそめた。
ネムは封蝋を机の端へ揃えながら続ける。
「死者が多い土地は、配給が増えることがあります。兵の補充も変わる。墓所の拡張、埋葬官の再配置、祈祷院への割当、税の減免、逆に処罰。死者数は予算です」
「最悪の予算項目だな」
「ええ。でも最も争われる数字でもあります」
「だから監査局」
「そうです」
エナが記録帳を机に置いた。
「写しを先に作ります」
「手伝う」
「読めるなら、確認だけしてください」
彼女は帳面を開き、薄い羊皮紙へ昨夜の記録を書き写し始めた。筆圧は一定で、字も整っている。見習いと言われても、仕事はすでに一人前に見えた。
私はぼんやりその手元を見ていた。
すると、床の下からかすかな音がした。
ごく低い、湿った脈動のような音。
どく、どく、と一定ではない間隔で打っている。
「……聞こえるか」
私が言うと、ネムは顔を上げた。
「何が」
「下から。脈みたいな」
エナの筆が止まった。
「どこから聞こえますか」
「床の下。いや、建物全体かも」
「ずっと?」
「今、初めて気づいた」
ネムは少しだけ表情を変えたが、すぐ平静を取り戻した。
「監査局の地下には古い根があります」
「根?」
「王都の建物のいくつかは、地下の白い根に触れています」
私は足元を見た。石床の継ぎ目は黒い。だが耳を澄ますと確かに、何か生きたものがそこを這っているような気配がある。
「森で見たやつか」
「たぶん」
エナが言った。
「あれは王都の地下にもあります」
「何なんだ、結局」
「諸説あります」
ネムが答える。
「王墓から伸びた根、死者の名の残滓、空を支える骨魚の逆根、建国時の供犠の名残」
「どれも嫌だな」
「王都では嫌な説ほど人気があります」
私は椅子から少し身を乗り出し、床へ手をかざした。
熱はない。だが生きている感じだけはある。
不意に、森で頬に触れた白い根の感触が蘇った。土の冷たさと、脈のぬめり。あれはたぶん、ただの植物ではなかった。
「読めるかもしれません」
エナがぽつりと言った。
「何を」
「根を」
私は顔を上げた。
「墓みたいに?」
「わかりません。でも、あなたは墓標の文字を読んだ。記録帳の意味も取れる」
「根に文字はないだろ」
「文字がなくても、意味はあるかもしれません」
そこまで言ったところで、廊下に足音が近づいた。三人分。止まる。鍵が回る。
扉が開き、黒衣ではなく濃紺の上衣を着た男女が入ってきた。先頭は細面の男で、年齢は四十前後。髪に白いものが混じり、目だけがいやに澄んでいる。後ろには書記二名。
「お待たせしました」
男は丁寧に会釈した。
「監査局第二監査室、室長代行のハルヴァと申します」
代行。
その肩書きの微妙さに、私は少しだけ現実味を覚えた。どこの組織にも、正式ではない責任者がいる。
「事情は概ね聞いています」
ハルヴァは続けた。
「異邦人、墓標読解、第十四位に関する記録差異、村付き埋葬官の原記録」
「差異、で済ませるんだな」
私が言うと、彼は薄く笑った。
「済ませる言葉を持つのが監査局の仕事です」
「頼もしくない」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ハルヴァは机の前に立ち、エナへ目を向けた。
「原記録の提出を」
「写しを作成中です」
「急いで」
「精度を落とすと監査局で困るのでは?」
「……困りますね」
ハルヴァは一瞬だけ黙り、それから頷いた。
「よろしい。では異邦人、あなたには別件を」
「別件?」
「ええ。今、地下で少し妙なことが起きていまして」
私は嫌な予感しかしなかった。
「断れるか」
「王都に入ったばかりで?」
「だろうな」
ハルヴァは親切そうな声で言った。
「白い根が、一部の壁から出ています」
「……それの何が」
「文字のように並んでいるのです」
室内の空気がわずかに変わった。
エナがはっきりと顔を上げる。ネムも書類から手を止めた。
「まさか」
エナが言う。
「これまでそんな報告は」
「私も初めてです」
ハルヴァが答える。
「そして、監査局の誰にも読めない」
彼の視線が私へ来た。
「読めるかもしれない人間が、ちょうど到着した」
私は額を押さえたくなった。
王都に着いて一時間も経たず、すでに地下の怪異に呼ばれている。
歓迎が率直すぎる。




