第10話 灰色の天井の下で
王都が近づくにつれ、街道は混み始めた。
行商の荷車、徴発されたらしい農民の列、修道院へ向かう黒衣の女たち、兵士の隊列、棺を運ぶ葬送車。どの一団も口数が少ない。人が多いのに、ざわめきより車輪の音と蹄の音ばかりが耳に残る。都市へ向かうというより、大きな機械の口へ呑まれにいく感じがした。
王都の外縁には、城壁の手前に広大な空き地が広がっていた。市場にも野営地にも見える。実際、その両方なのだろう。そこには数え切れないほどの天幕が張られ、薪の煙が上がり、人々が列を作っていた。炊き出しのような鍋も見えるし、簡易の祭壇らしきものもある。
都市へ入る前に、人も荷も、一度ここで選別されるのだ。
「外待ち場です」
ネムが言った。
「入都許可、検疫、納税、徴発、配給、葬送の中継、だいたい何でもここで止まります」
「地獄の受付だな」
「ええ。よく回っているほうです」
馬車は列へ並んだ。進みは遅い。灰色の空の下、人と荷車が蟻のようにじわじわ動いている。私は幌の隙間から外を見ていた。
近くの列では、若い母親が子どもを抱き、兵士に何かを訴えている。別の場所では、修道士が遺体の数を確認している。布をかけられた小さな塊が三つ並んでいるのが見えた。見ないふりはできなかった。
「ここ、死の匂いが濃いな」
私が呟くと、エナが頷いた。
「入れない死者が溜まります」
「入都できない死者?」
「墓所の順番待ちです」
「順番待ち……」
私は言葉を失った。
死者にすら順番がある。
この国では、死ぬことそのものより、どの順で死を処理するかのほうが重要なのかもしれない。
やがて、私たちの馬車の前に検分役の兵が来た。兜の下の顔は若いが、目つきだけがひどく疲れている。荷台をのぞき込み、ネムの書類箱、エナの黒衣、そして私を見る。
「照会案件、異邦人一名、埋葬官見習い一名、監査局補佐書記一名」
ネムが封書を差し出す。
「関所第六より急送」
「……確認」
兵は封蝋を見て、少し顔色を変えた。
「少々お待ちを」
待たされる、ということは面倒が増えたということだ。
案の定、ほどなくして別の役人が二人来た。片方は白手袋の細身の男、もう片方は女で、短く切った髪を兜の下へ押し込んでいる。兵士というより、宮廷の警務だろうか。
「異邦人はどちら」
女が問う。
「俺です」
「降りて」
「足がまだ少し」
「降りて」
有無を言わせぬ調子だった。私は従うしかない。地面へ降りると、白手袋の男がこちらをまじまじと観察した。品定めに近い目だ。
「真柴遼」
「その名前も伝わってるのか」
「一応は」
「一応」
「この国では、名はすぐ薄れますので」
またその理屈だ。
白手袋の男は小さな板札を取り出し、何かを書きつける。
「墓を読んだ?」
「読めた」
「意図して?」
「違う」
「第十三王墓を?」
「そうだ」
「ほかには」
「まだない」
問答は短く、乾いていた。
私は白手袋の男の背後を見た。外待ち場の奥、王都の城壁は想像以上に圧迫感がある。黒ずんだ石が積み重ねられ、門は高いというより深い。口を開いた洞穴みたいだった。門の上には巨大な王章――割れた王冠と墓標――が掲げられている。
「入都は許可されます」
女が言った。
「ただし自由行動は禁止。監査局預かりののち、宮廷埋葬部へ引き渡し」
「引き渡し」
「あなたは今、物証に近い扱いです」
「最低だな」
「異論は?」
「あるけど通らないだろ」
「賢明」
エナが降りてきて私の隣へ立った。
「私は同行します」
「埋葬官見習いエナ。村付の記録保持者として、同行は認める」
白手袋の男が答える。
「ただし記録帳は提出対象」
「写しを作る権利があります」
「王都で」
「今です」
珍しくエナが譲らない声を出した。
白手袋の男は少し眉を上げる。ネムが間に入った。
「その要求は妥当です。原記録の即時回収は、照合作業の透明性を損なう」
「監査局補佐風情が」
「補佐だからこそ、形式にうるさいのです」
空気が少し張った。
女のほうが先に折れる。
「写しは作らせる。その後提出」
「承知しました」
エナが言う。
私はその横顔を見た。
静かな顔だ。だが意外と強い。
向いていると言われるまま引き受けるだけの人間ではないのかもしれない、と少し思った。
入都の列が進む。
私たちは王都の門へ向かって歩き始めた。馬車は別の導線へ回されるらしい。徒歩のほうが監視しやすいからだろう。
門の下はひどく冷えていた。石壁が昼の熱を持たず、薄暗い通路に湿気がこもっている。左右の壁龕には、首を抱いた王の小像が等間隔に並んでいた。守護神というより、監視装置だ。
「歓迎されてる感じが一切しない」
私が言うと、ネムが淡く笑った。
「入都で歓迎される者は、たいてい危険です」
「王族とか」
「凱旋将軍とか」
「どっちも嫌だな」
通路の途中、壁へ刻まれた文字が目に入った。
また読める。
――灰色の天井の下、王都に入る者は己の終わりを忘るべからず。
――名は預けよ、順を守れ、死に遅れることなかれ。
私は立ち止まりかけた。
「“死に遅れることなかれ”って」
「王都の古い戒文です」
ネムが言う。
「死を恐れて秩序を乱すな、という意味かと」
「意味かと、って」
「学者によっては、もっと直接的に解釈します」
「つまり?」
「役目に応じて死ね、と」
私は門の石壁を見上げた。
圧迫感の正体が少しわかった気がした。
この都は、人を生かすための場所ではなく、役割ごとに整列させるための器なのだ。
生者も死者も、その順番のために詰め込まれている。
門を抜けた瞬間、王都の内側が開けた。
道は広い。だが上へ伸びる建物は少ない。石造りの低い家々が重なり、そのあいだを無数の路地が走っている。屋根の色は暗く、窓は小さく、どこか息を潜めているような街だった。遠くに見える宮城らしき建物は、塔ではなく巨大な塊だ。空に届こうとはせず、低い天井を支えるために横へ太っている。
そして人が多い。
だが、笑い声はほとんどない。
皆、急いでいるわけでもないのに足が速い。
見上げない。立ち止まらない。自分の用がある場所と、その次の場所だけを見て歩いている。
まるで、都全体が巨大な書類棚の中身になってしまったみたいだった。
「……すごいな」
私は言った。
「何が」
エナが問う。
「生きてる人間がたくさんいるのに、全部記録の中みたいだ」
ネムが横で静かに頷いた。
「正確な感想です」
「褒められてる気がしない」
「王都で褒め言葉は、たいてい慰めになりません」
私たちは警務の先導で大通りを進んだ。道の脇には露店が並び、祈祷札、パン、干魚、葬花、骨の装飾品、薬草、黒い布、さまざまなものが売られている。生のための市場と死のための市場が区別なく混じっている。
ふと、道の反対側で、小さな葬列が見えた。子どもの棺だ。白い花がひどく多い。
その列が、王都の日常の流れをまったく止めないことに私は息苦しさを覚えた。
悲劇は都市の機能を止めない。
止めたほうが困るからだ。
先導の女が振り返り、短く告げた。
「監査局は近い。無駄口はここまで」
「今までのは無駄口じゃないのか」
「あなたの理解の遅さを補う業務連絡です」
「きついな」
「王都ですから」
その返しに、私は苦笑すらできなかった。
灰色の空は、城壁の内側でいっそう低く見えた。
骨魚の影が都の上を横切るたび、建物の屋根が一瞬だけ暗くなる。誰も見上げない。
見上げれば、自分がどれだけ小さな順番のひとつに過ぎないかを思い出してしまうからかもしれなかった。
私は歩きながら、自分の胸の中に薄い予感が育つのを感じていた。
ここへ来た以上、もうただ巻き込まれるだけでは済まない。
この都は、人を分類し、記録し、役割を与え、その役割にふさわしい死へ寄せていく。
ならば私は、いずれどこかの欄へ押し込まれる。
異邦人。墓読み。物証。あるいは――。
王に向いている男。
私はその言葉を頭の中から追い出すように、視線を前へ向けた。
警務が立ち止まり、重い扉の前で告げる。
「ここから先、監査局預かりです」
扉の上には、黒く塗られた文字があった。
また、読める。
――誤りはここで数えられる。
私は小さく息を吐いた。
どうやら王都の最初の歓迎は、思った以上に率直らしかった。




