第41話「慣れという名の異常」
平穏な日々ほど、見えないものが増えていく。
護衛任務が始まって、十日が経った。
朝、王宮の門前に集合する。
リーダーが点呼を取り、配置を告げる。
俺は後方。それは変わらない。
「今日は庭園の視察だ」
リーダーの声は、いつも通り淡々としていた。
王女エリシアが姿を現す。
俺たちは歩き始める。
庭園には、季節外れの花が咲いていた。
魔法で維持された空間だと、誰かが言っていた。
俺は後方から、全体を見渡す。
『周囲の魔力反応、通常範囲内』
異常は、ない。
十日間、何も起きていなかった。
暗殺者は捕まっていない。
だが、襲撃もない。
護衛チームの空気は、明らかに緩んでいた。
「最近は平和だな」
隣の護衛が、小声で呟く。
「あの日は肝が冷えたが、あれっきりだ」
俺は、曖昧に頷いた。
『過去十日間の異常報告件数、ゼロ。警戒レベルは初日比で低下傾向』
数字として見れば、確かに平和だった。
だが、俺の中の違和感は消えない。
暗殺者は、逃げたまま。
捕まっていないということは、まだどこかにいるということ。
なのに、王宮は何事もなかったかのように動いている。
『情報不足。判断材料なし』
分かっている。
だが、この「何も起きない」こと自体が、不自然に思えた。
庭園の視察が終わり、王宮内に戻る。
廊下を歩きながら、俺は周囲を観察した。
護衛の配置。
魔道具の位置。
使用人の動線。
十日も経てば、だいたいのパターンは把握できる。
『王宮内の警備体制を記録中。顕著な変更点なし』
変更点がない。
暗殺未遂があったのに、警備は強化されていない。
いや、表向きは強化されたことになっている。
だが、実際の配置は、ほとんど変わっていなかった。
これは何を意味するのか。
『複数の解釈が可能。一、既に対策済み。二、対策の必要なし。三、対策を取る意図なし』
どれも確証はない。
昼食の時間になった。
護衛たちは交代で休憩を取る。
俺も、控え室で支給された食事を口にする。
パンと干し肉。質素だが、村にいた頃を思えば贅沢だった。
他の護衛たちは、雑談をしている。
「今日の晩飯は何にするか」
「給料日が近いからな、少し奮発するか」
日常の会話だった。
十日前に暗殺者がいたことなど、もう忘れたかのように。
俺は黙って食べた。
午後、再び護衛任務が始まる。
今度は、来客との会談だった。
内容は、俺たちには知らされない。
護衛は、扉の外で待機するだけ。
『会談の内容は不明。参加者の身元確認は別部署の管轄』
俺にできることは、見ることだけだった。
扉の向こうから、かすかに声が聞こえる。
何を話しているかは分からない。
時間だけが、静かに過ぎていく。
会談が終わり、来客が去る。
王女が扉から出てくる。
一瞬、こちらを見たような気がした。
だが、すぐに視線は逸れた。
「戻ります」
短い言葉。
俺たちは、また歩き始める。
夕方、護衛任務が終わる。
「明日も同じ時間だ」
リーダーの言葉を聞き、俺は王宮を後にした。
宿に戻る道すがら、考えていた。
十日間で分かったこと。
警備体制。人員配置。王女の日課。
だが、肝心なことは何も分からなかった。
暗殺者の正体。
襲撃の目的。
五年前との関連。
『情報収集を継続。現時点で結論は不可能』
分かっている。
宿に着くと、また便箋が目に入った。
リリアへの返事は、まだ書けていない。
十日も経ってしまった。
さすがに、何か書かなければ。
机に向かい、ペンを取る。
『カイトより
元気にしています。
危ないことは……』
ペンが止まる。
危ないことは、していない。
そう書くことはできる。
嘘ではない。今は、何も起きていないから。
だが、十日前のことを隠したまま書くことに、引っかかりがあった。
『返信内容の選択は、ユーザーの判断に委ねる』
俺は、便箋をそのままにして、ペンを置いた。
窓の外、王都の灯りが揺れている。
何も起きない日々。
それが続いている。
だが、俺は慣れきれなかった。
他の護衛たちは、もう日常に戻っている。
暗殺者のことなど、過去の話として処理している。
俺だけが、まだ引きずっているのか。
『感情の評価は不可能。客観的事実として、警戒状態の維持は継続中』
そうだ。俺がやることは変わらない。
見続ける。
記録し続ける。
慣れないまま、観察を続ける。
それが、今の俺にできる唯一のことだった。
明日も、同じ時間に王宮へ行く。
同じように後方に立ち、同じように見続ける。
いつか何かが分かる日が来るのか。
来ないのか。
それは、まだ分からない。
【あとがき】
護衛任務が日常になりつつある中、カイトだけが「慣れ」に抵抗しています。暗殺者は未だ捕まらず、王宮は静かなまま。次回、その静けさに小さな変化が訪れます。




