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変わってしまった関係

 その日、マレーナが帰ってきたのは夕方近く。メイソンがにこやかな笑顔で出むかえた。


「おかえり、マレーナ」

「遅くなってしまってすみません」

「なにを言っているんだ。医者に行くのに時間なんか気にしないで。で、どうだって?」

「順調に回復しているそうよ」

「そうか、それはよかった」


 誰が見ても、マレーナの回復を喜んでいるようにしか見えないメイソンの態度。


 なにも知らずにいれば、マレーナは妻を気遣う優しい夫に愛された幸せな女だった。彼の本性を知らなければ、今ごろ感謝の気持ちを伝えていた。


(なんて怖い男)


 つきあいの長いマレーナや、屋敷の使用人たちに気づかれることもなく、その腹の内を上手に隠していたのだから。いや、それを見ぬけなかったマレーナが間抜けなのか? 

 

(私が間抜けだった、というのは間違いないわ。でも、もうあなたの思いどおりにはさせないから)


 着替えをするために自室に向かうマレーナ。メイソンはマレーナを気遣うように寄りそっている。その後ろにはキャメロン。


「主治医を変えたのがよかったのかしらね」

「ジャクソンは年若くて未熟だったからね」


(よく言う)


 長年主治医を務めてくれていたマルコスが引退をするとき、後任として紹介してくれたのがジャクソンだった。しかし、彼はいつのまにかメイソンに掌握されていて、まともに診察も治療もしてくれてはいなかった。


(医師が人の命を奪う犯罪の片棒を担ぐなんて、世も末ね)


 もちろんジャクソンにもしっかり制裁を受けてもらうつもりだ。 


「マルコス先生によくよく言っておいたわ。使えない人間をよこすなって」

「はは、君は厳しいな」

「本当のことよ。医師がまともな診察もできないなら、医師とは呼べないでしょ? でも不思議よね。あの名医と名高いマルコス先生の推薦なのに、原因も究明できないほどの無能だなんて。それとも……わざと、とか?」

「ははは、なにを言っているんだい。そんなことあるはずがない」

「ふふふ、そうよね」


 メイソンは特に動揺することもなく、いつもと変わらない優しい笑みを浮かべている。


 部屋の前まで着いた。


「それじゃ、私は執務室に戻るよ」

「ええ、私もあとで行くわ」


 マレーナが出かけている間、メイソンがマレーナの代わりに仕事をしてくれているのだが、まだ仕事が終わっていないとか。


 部屋に入ると、昼間の緊張から解放されてマレーナがホッと息を吐いた。とはいえ、まだ気を緩めるわけにはいかないのだけど。


 着替えをすませたマレーナにキャメロンが聞く。


「マレーナ様、お茶をご用意しましょうか?」

「ありがとう、キャメロン。執務室に持ってきてちょうだい」

「かしこまりました」


 キャメロンは頭を下げると厨房にお湯を取りに向かい、マレーナは執務室に向かった。


 執務室に入ると、書類に目を落としていたメイソンが顔を上げて、マレーナに笑みを見せる。デスクには作業の途中と思われる数枚の書類と、まとめられた書類が雑に積みあがっていた。


「……メイソン、どういうつもり?」


 一つの書類の束を手にしたマレーナが眉根を寄せる。それに対してメイソンは柔和な笑みを見せた。


「もう一度検討してくれないか? きっと、いい結果になると思うんだ」


 最近、隣接するウェストモント領とリンガー領をまたいで、南北に鉄道の線路を敷く事業の話が持ちあがっている。


 王都とその次に栄えているマグノリア領をつなぐための線路で、それが完成すれば人の往来にかかる時間や労力を節約することができるし、物を早く大量に運搬することも可能になる。将来的には国中に線路を伸ばすことも検討されている、国を挙げての一大事業だ。


 しかし、駅をどこに作るかで揉めていて話が一向に進んでいない。


 マレーナとしては正直、駅などなくてもいいと思っている。たとえ駅ができても、ウェストモント領には途中下車するほど魅力的な観光地があるわけではないし、農作物を列車で運ぶとしても、運んでいるあいだに野菜の鮮度が落ちることや、傷がついたり傷んだりすることを考えると、いい案とは思えない。


 それに、王都とマグノリア領に駅を作る際に発生する工事費は、国と鉄道会社が折半するのに対して、それ以外の領地に駅を作る際の工事費は、鉄道会社と駅を作る領地で折半することになるという。


 それなら駅の建設は隣のリンガー領にお任せして、そこから人を誘致するほうがいい。


 しかしメイソンはそうではなく、駅を作ることで観光や新事業の可能性が広がり、結果として領地が恩恵を受けることになる、と言う。もちろんそれも一理ある。農業だけに頼らない領地を作ることができれば、それほど心強いものはない。


 しかし今は、農地の開拓と野菜の品種改良に力を入れているため、新規の事業に着手する余裕がないのだ。


「メイソン、何度も話をしたでしょう? 今の私たちには駅を作る余力がないのよ。品種改良もようやくモノになりそうなところまで来ているし、今回は諦めてほしいの」

「でも、駅の建設に次はないだろう?」


 駅は、こちらが作りたいと言えば作れるものではない。


「そうね。でも、資金をかき集めて駅を作ってそのあとは? 線路だって簡単にはできないのよ? 時間がかかればかかるだけお金もかかるの」

「わかっているよ。だから、資金援助をしてくれる人をこうして見つけて――」

「あなたの実家のハンティクトン伯爵家?」

「……そうだよ」


 どうやら鉄道の話に彼の両親はかなり乗り気のようだ。


「うちに資金援助をして、恩を売るつもりなのかしら?」

「マレーナ、そんなに悪いふうに考えないで」

「メイソン。私は領地にとって最善と思うことをしようと思っているの」

「だからこそ――」

「領主は私よ」

「……もちろん、わかっているよ」

「この話は終わりにしてちょうだい」

「……わかったよ。すまなかった」


 メイソンはマレーナが差しだした書類を受けとると、席を立ち、執務室を出ていった。


 すると入れかわるように、ポットやカップののったワゴンを押しながらキャメロンが執務室に入ってきた。メイソンと話をしている間、廊下で待っていたのだろう。


「あの……駅は作らないんですか?」

「……あなたは駅があったほうがいいと思うの?」

「はい! 駅ができれば絶対に領地に活気が出ると思います!」


 キャメロンが瞳を輝かせた。


「どうして?」

「ウェストモント領の主な収入源は農業だけど、これからの時代、それだけでは生きのこれませんから。それならそれ以外の事業、例えば観光業とかで新しい収入源を作ったほうがいいし、そうなると駅が必要になるじゃないですか」


 メイソンの受け売りだろうが、一応聞いてみる。


「メイソンから聞いたの?」

「はい! メイソン様は領地のことを真剣に考えていらっしゃいます。私はメイソン様のお考えに賛成です」

「そう」


 マレーナは鍵付きの棚から茶葉を選び、ポットに入れてお湯を注ぎ、少し待ってからカップにお茶を注いだ。


 その様子を見ながらキャメロンがおずおずと口を開く。


「……マレーナ様は……メイソン様に対してちょっと冷たいと思います」

「あら、どうして?」

「だって、メイソン様はマレーナ様と領地のことを一生懸命考えているのに、あんなふうに否定するなんて……」


 これまで、仕事のことでぶつかることがあっても、キャメロンがそれについてなにかを言うことはなかったのに。というより、侍女にそれが許されるはずがないことくらいわかっているはずなのに。


(あからさまにメイソンの肩を持つのね)


 もしかしたら、これまでもそうだったかもしれない。マレーナがそれに気がついていなかっただけなのかもしれない。そんなことを考えると、ちょっと笑えてくる。


 さて、どうしようか。……うん、聞きながそう。


「キャメロンはここに勤めて何年になるかしら?」


 マレーナは、話題をすっかり変えてしまうことにした。


「え? あ……はい、早いものでもう三年になります」

「そう」

「マレーナ様のおかげで、我が家も持ちなおしましたし、私にまで身に余る教育を施していただいて、感謝しかありません」


 彼女の腹の中を知ってしまう前だったら、この言葉を素直に受けとることができたのに、今ではどう頑張っても鼻で笑うことしかできない。


「あなたのお父様のおかげで、野菜の品種改良が進んでいるんだもの。それくらい当然よ」


 それまで大きな成果を上げることができなかった品種改良が、サイレスの協力を得たことにより飛躍的に進み、すでに量産に向けて準備が進んでいる。彼の協力なくしては成しえなかったことだ。


 サイレスはマレーナのことを恩人だと言うが、マレーナにしたらサイレスこそが恩人。だからこそ、彼の娘であるキャメロンを大事にしたし、幸せな人生を歩ませてあげたかった。


 そんな気持ちはすっかり潰えてしまったけど。


「キャメロンもそろそろ、結婚を考えないといけないわね?」

「そ、そうですね」

「サイレス様に確認したら、いくつかいいお話をいただいていると聞いたわ」

「え? 父に?」

「あなたにも伝えていると聞いたけど」

「は、はい……聞いています」

「のんびりしていてはいいご縁をなくしてしまうわ。そろそろあなたの幸せについて考えないとね」

「……はい、そうですね」


 キャメロンの声に心なしか元気がなくなった。


「誰か、心に思う人がいるの?」

「い、いえ」

「そう、それならいいけど」


 キャメロンの顔が少し曇る。さすがに、焦ったのかもしれない。


「そろそろ仕事を始めるわ」

「はい、では、外に控えていますので」

「ええ、用があったら声をかけるわ」


 キャメロンが静かに部屋を出ていくと、それを確認したマレーナが大きな溜息を吐いた。


「疲れた……」


 心にもない言葉に、思ってもいない言葉で返す。なんてばかばかしいやりとりだろう。でも、追いだすのは簡単だがそうはしないと決めたから仕方ない。とはいえ、やはり心が休まらない今の状況はストレスがたまるし、かなり苦痛だ。


 いっそのことバッサリと切りすてて終わりにしたい。こんなくだらないことに時間を使うより、なにもかも忘れて新しい生活を始めたほうが、よほど建設的だ。


 いや、彼らにも少しくらい痛い思いをさせないと、愛情を注いできた自分がばかみたいじゃないか。少しどころが、自分と同じくらいの苦痛と恐怖を味わってもらわないと割が合わない。


 そんな忙しい感情がマレーナの中で渦巻いて、はたと我に返って大きな溜息を吐き、それから自己嫌悪がやってくる。これのくり返し。


「人って思うように美しくは生きられないのね」


 緻密な戦略で速やかに事にあたり、感情に左右されず、目的のためには黒にも白にもなる賢智の士、ゴードン・ウェストモント。


 そんな理想には程遠い自分。


「ゴードンは私にとって、神様よりも遠い存在だわ」


 今のマレーナは、メイソンとキャメロンが絶望することを望み、赤の他人の子どもを望む、嫉妬に駆られた惨めで陰湿な女だ。


「私は神様の元にも行けないわね」


 マレーナは寂しそうに呟いた。


読んでくださりありがとうございます。

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