ルイスという男
マレーナが出ていった部屋で、ルイスは大きく息を吐き、首を振る。
「……とんでもない依頼を引きうけたな」
今までルイスに結婚を迫る、もしくは結婚を依頼してくる女性は何人もいた。薬を盛られ危うく既成事実を作られそうになったこともある。
しかし、今回の依頼はそれとはまったく違う、下手をすれば依頼人が不利益を被るだけの、本来であれば受けるべきではない依頼だ。普段であれば間違いなく断っていた。
「なんなんだ、あの人……」
マレーナはずいぶんと緊張していた。それでも、依頼を取りけさなかったということは、それだけ意志が固いということなのだろうが。
「あんなとんでもない依頼、うち以外の所に持っていけば、大変なことになっていたかもしれないぞ」
いくら仕事でも、貴族の、しかもあんなに美しい女性を相手にすれば、よからぬことを考える者が出てくる可能性は十分ある。それを想定していないわけではないだろうが、悪いことを考える人間は、一般的な感覚を持つ人間が想像するものよりはるか上を行く悪巧みを考えるもの。
もしそんな人間につかまれば、彼女は無傷ではいられないはずだ。
(本当に危なっかしい女性だ)
マレーナの依頼を受けたことが正しかったのかはわからない。できることなら好きな男と再婚をし、愛のある家庭で子供を育てたほうがいい。当然だ。
それでも彼女がそれを選択しなかったのは――。
「相手の単なる浮気ではなかったのかもしれないな」
貴族が愛人を囲うことは珍しいことではないし、体裁を考えれば、離婚なんてしないほうがいいに決まっている。それでも離婚という道を選んだのだから、浮気だけが原因ではないだろう。
夫が暴力を振るうとか、多額の借金を抱えていたとか、隠し子が十人くらいいたとか――。
「そんなことを想像しても意味はないか……」
裏切られた彼女が、男性を簡単に信用できなくなっていることは理解できる。それも自分が信頼しきっていた夫となれば、そのダメージは相当なものだったはずだ。当然、次の結婚を考えることは難しいだろう。
それなら養子をもらうことを考えるだろうが、それを拒むのが青みがかった黒い瞳の呪縛だ。ゴードンの色を残すという責任を一身に背負っている彼女に、子を産まないという選択肢はない。その呪縛がなければ、こんな無茶な依頼をすることはなかったかもしれないのに。
マレーナの芯の強そうな表情とは裏腹に、小さく震えていた手を思いだす。
あの不安そうで頼りなげな顔を見ていたら、誰かに任せるわけにはいかないと思ってしまった。「私では、どうでしょう?」と、言わずにはいられなかった。でも――。
「だめだな」
依頼人に余計な感情を抱いてはいけない。ギルドの基本ルールだ。
「俺がそれを破ったらだめだろう……」
反省だ。
でも、この依頼は自分が受けるべきだと思った。彼女が守りたいと思う名誉や誇り、矜持を理解することができるのは自分だろう、と。それに――彼女がかなしむ顔を見たくない、と思ってしまったのだ。
ルイスはパシェット男爵家の三男として生まれた。ルイスの母親は後妻で、先妻が亡くなって三年が過ぎたころに父親と再婚した。母親は、父親より十歳以上も若く、とても美しかった。
先妻の子どもである二人の兄たちは後妻の母親にとても懐いていて、ルイスが生まれたときもとても喜んでいた。
しかし、ルイスが成長するに従って、兄たちはルイスを避けるようになった。
ルイスが勉強や剣の鍛錬を始めたばかりのころは、幼い末の弟が頑張っている姿を、微笑ましげに見ていた二人の兄。しかし気がつけば、ルイスは二人の兄よりずっと早いペースで勉強を進め、師範と剣の手合わせをすれば、数回に一回は勝てるほどの腕前となっていた。
いずれ自分たちを追いぬいていくかもしれない。
そう思うと、可愛い弟であると同時に、憎らしくもあった。
だんだん兄弟の関係がギクシャクとしだし、ルイスは幼心に自分はこの家にいないほうがいいのかもしれない、と思うようになった。兄たちが大好きだからこそ、ギクシャクとした関係がつらかったのだ。
兄たちの視界に入らない所に行こう、と決めたのは学生のころ。
騎士や文官だと、兄たちと顔を合わせることがあるかもしれない。それはだめだ。そう考えた末に選んだのが平民になること。そのためには生活ができるくらいの収入を得られるようにならなくてはいけない。
悩んだルイスは、髪を黒く染め、眼鏡をかけ、少しでも家に繋がるものを隠し、領内で一番大きなギルドの門を叩いた。ギルドで仕事をする人間には訳ありが多いため、他人に干渉しないことが暗黙のルール。それがルイスには都合がよかったのだ。
当時、学生だったルイスは寮生活をしていたため、時間を見つけては寮を抜けだし、依頼を受けて場数を踏んだ。
学業が本分の学生が自由に動ける時間は少なかったが、長期休暇ともなれば、普段受けることができない護衛の仕事や、ほかの人が嫌がるような仕事も引きうけた。
そんなルイスをギルドマスターは可愛がっていた。というより、ギルドマスターにとってルイスは、依頼を断らない使い勝手のいいギルド員だった、というのが正しい。
でも、自由な時間があまりとれないルイスに、マスターが自腹で給金を払って、書類の整理や職員の給料計算を手伝わせるなど、融通を利かせてくれることもあった。要は、互いに利用しあういい関係だったということだ。
そしてそれをきっかけに、ルイスはギルドの経営に興味を持つようになった。学園を卒業すると同時に家を出たルイスは、遠く離れたウェストモント領へ行き、小さな部屋を借りてギルドを立ちあげた。
家を出たとき、ルイスを見おくったのは両親だけ。二人の兄は王都で働いているから、と自分に言い訳をして、家を出ていくことは両親から伝えてもらった。
自分の口から兄たちに伝えられなかった弱い自分が情けない。自分が言ったら兄たちはどんな顔をしただろうか? 寂しがってくれるか? それとも喜んだか?
それを知ることはできないし、知ることが怖い。
結局逃げるように家を出てから、一度も帰っていない――。
「……仕事をしよう」
とりあえずは依頼の品を用意することからだ。
(媚薬、か……。なにを言っているんだ、あの人は。いや、別に自分に使うとも言っていないか。……余計なことを考えるべきじゃないな)
ルイスは一度大きく息を吐いてから、なじみの男の所へと向かった。
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