後悔させてあげる
屋敷の西側にある客用寝室の一室。
今日はメイソンとキャメロンの逢瀬の日。
ヨハンは厳しい顔をして、扉の向こう側の二人の会話に聞き耳を立てる。
「どうするのよ。あの人、元気になってきちゃったわ」
一糸まとわぬ姿でベッドに横たわり、メイソンの腕に頭をのせ、可愛らしく唇を尖らせるキャメロン。メイソンは天井をじっと見つめている。
「わかっている。しかし、焦りは禁物だ。強引に事を進めれば怪しまれるからな。今は、少し様子を見よう」
「私、いつまでも待たないわよ」
「わかってるよ」
メイソンの煮えきらない態度が気に入らないキャメロンは、ベッドに手を突いて体を起こし、メイソンを見おろして遠回しに催促をする。
「このままじゃ婚期を逃しちゃうわ」
「おいおい、ほかの男と結婚するつもりか?」
「あの人がいなくならないと、私たち結婚できないでしょ?」
「わかってるよ。今考えているから」
「本当に?」
キャメロンは甘えるようにメイソンに体をあずけ、メイソンは自身の胸に顔を押しあてた愛らしいキャメロンの髪をなでた。
「当たり前だろう? マレーナを消す方法なんていくらでもある」
「どんな方法?」
「そうだなぁ、脱輪して馬車が横転するっていういのはどうだ?」
「ふふ、悪い顔」
「好きだろう?」
「嫌いじゃないわ」
二人は楽しそうに笑いながらくちづけをかわし、再び熱い時間が始まった。
「……」
なんて下劣で情けない男だ。あんな男が我が主の夫だなんて虫唾が走る。それにあのキャメロンの気持ちの悪い声。あの声を聞くたびに全身に鳥肌が立って仕方がない。
「今すぐにでも排除したいところだ」
使用人たちを呼びあつめ、最高のタイミングでドアを勢いよく開けて部屋に乗りこみ、メイソンのまぬけな顔を殴りつけ、二人して地面に額をこすりつけさせてマレーナに謝らせたい。いや、そんなのは生温い。いっそのこと馬車に括りつけて――。
そんな恐ろしい妄想で怒りを少し発散し、発散しきれない怒りには重いふたをして、ヨハンはその場をあとにした。
「変なことを頼んでごめんなさいね、ヨハン」
ここ数週間、ヨハンに二人の動向を確認してもらい、彼らの逢瀬の日と時間を調べてもらった。
「いえ、こんなことをマレーナ様にやらせるわけにはいきませんからな」
「本当に助かるわ。それにしても、週に四回も……。ずいぶんとお盛んね」
メイソンの草食男子のような見かけからは想像できない旺盛な性欲に、呆れを通りこして感心してしまった。だって週に四回だ。しかも、二人の夜はかなり長いらしい……。ヨハンにとっては、とても苦痛な時間だったことだろう。心から申し訳ないと思う。
「それにしても……キャメロンは、いつから私のことが嫌いだったのかしら?」
いつも考える。自分はキャメロンを傷つけるようなことをしてしまったのだろうか? 待遇に不満があったのだろうか? ただ純粋に、メイソンのことを好きになってしまったのだろうか?
「最初からあのような醜悪な感情があったとは思えません。彼女がここへ来た当初は、ひたすら感謝を伝えていました。あのときのキャメロンは純粋にマレーナ様に仕えようと思っていたはずです。ただ、彼女は精神的に幼い部分がありましたので、メイソン様はそこにうまくつけ入ったのでしょう」
「ほとんど私と一緒にいたのに、いつそんな時間があったのかしら?」
「恋愛感情が生まれるきっかけなんて些細なものです。人と信頼関係を築くより恋人関係を築くほうが簡単という人もいますし」
その恋愛感情を悪だくみに利用しようとする人もいる。二人の関係がそうだとは言わないが。
「メイソン様は人の心をつかむ術に長けているということでしょう。彼は、表面上はとても紳士的で口も達者ですし」
「……それは……ええ、そのとおりね」
マレーナもメイソンの優しい言葉に励まされてきたのだ。でも、彼の言葉を思いだしてみると、それほど特別なことを言っているわけではないし、どちらかといえば薄っぺらい。
「定期的に花を贈ってくれたし、プレゼントもくれた。でも……そういえば、彼から愛しているなんて言われたことがあったかしら?」
じっくり記憶をたどってみたが、まったく思いだせない。
それでもあのころのマレーナは、彼が労わってくれる言葉に愛を感じていた。優しくて優秀な夫を誇りに思っていたのだ。
「確かにメイソンは人の心をつかむ術に長けているわね。愛をささやかずに、愛されていると勘違いさせることができるんだから」
「彼にも見ならうところがある、ということですね」
「悔しいけど、そういうことね」
マレーナは小さく息を吐いて首をすくめた。
「それで、二人の様子は?」
「やはり、二人は確実に避妊をしています。マレーナ様を亡き者にするまでは我慢すると言っておりました」
「それはそうよね。不倫で妊娠なんて、人に知られればただじゃすまないもの」
そうやって時期をうかがっていればいい。その間に、こちらは着々と準備を進めていくだけだ。
「明日、ギルドに行くわ」
「……やはり、その決心は覆りませんか?」
「当然よ」
マレーナの言葉に、不本意であることを明確に表情で示したヨハンだったが、すでに諦めているのか小さく息を吐いてうなずいた。
「わかりました。その代わり、マレーナ様になにかあれば、私は死ぬつもりでいることをお忘れくださいますな」
「わかっているわ」
ヨハンの過激な言葉にマレーナがクスリと笑う。
「それでは、ずいぶん遅くなりましたので私は失礼します」
「遅くまでありがとう」
「とんでもない。マレーナ様もゆっくりお休みくださいませ」
「そうするわ」
そうは言ったものの、明日のことを考えると不安と緊張で眠れる気がしなかった。メイソンとキャメロンが熱い夜を過ごしていることなどまったく気にもならないどころか、せいぜい楽しんでおけばいい、と鼻で笑ってしまいそうなくらいだ。
まさかマレーナが子種をもらうために、ギルドに依頼をしに行こうとしているなんて誰が想像するだろう。
もし両親が健在だったら間違いなく止められる。激情型の母なら、マレーナが外出することを許さず、監禁することもいとわないはずだ。いやその前に、メイソンとキャメロンがただではすまないだろう。
「そもそも、もし両親が健在だったら、メイソンを信じて目を曇らせることはなかったかもしれないわね」
そうしたら、優しいメイソンがときおり見せる冷めた瞳の意味を、考えることができたかもしれない。優しい言葉が妙に空々しく感じた瞬間に、ちょっと立ちどまったかもしれない。
しかし、領地と領民を守る責任はとても重く、その責任の一端を担い、マレーナを支えてくれるメイソンを信じ、頼りにしていたから、疑うなんてありえなかった。
だからこそ、裏切られた傷は深い。
「後悔させてあげる。二人にはしっかり償ってもらうわ」
読んでくださりありがとうございます。