サイレス・ザイオン男爵
キャメロンの父親であるサイレス・ザイオン男爵がやってきたのは雲一つない青空が広がる日の午後。
彼はいくつかの野菜が入った麻袋を抱えるように持ち、反対の手には、それより少し小さい持ち手のついた麻袋を提げている。
自分の好きなことに集中すると周りが見えなくなるサイレスは、マイペースで貴族らしくない変わり者として有名だ。
領地経営は長男と家令に任せ、自身は領民の畑を見てまわってはアドバイスをしたり、植物の研究をしたり、趣味でいろいろな花を育てたりしている。
そんな、自由気ままで領主としては頼りないサイレスだが、不思議と家族からも領民からも慕われている。彼の穏やかな人柄がそうさせるのだろう。
「サイレス様、お久しぶりですね」
「ご無沙汰しています。マレーナ様からご連絡がいただけて安堵いたしました」
マレーナが病に伏せってからは、こうして顔を合わせることもできず、お見舞いの手紙を送っても、返事を書くこともままならなかったマレーナに代わって、メイソンが書いた手紙が送られてきていた。
そこにはマレーナの体調が思わしくなく、いい治療法も見つかっていないとあり、とても心配をしていたのだ。
「ご心配をおかけしましたが、このとおり元気になりましたのでご安心ください」
マレーナはそう言って、サイレスに座るよう促す。サイレスはニコニコしながらそれに従ってソファーに座った。
そして、大事そうに抱えてきた麻袋の中からいくつかの野菜を取りだして、テーブルに並べた。
実はサイレスが治めるザイオン領が、度重なる天候不良で甚大な被害を受けたとき、マレーナが支援をした縁で、マレーナとサイレスは野菜の品種改良を行う共同事業を行っている。
野菜の品種改良の研究は主にサイレスが行い、マレーナは土地や種の提供や販路の開拓など、諸々を担当しているのだ。
「これが新しい野菜なのね」
「はい」
形はキャベツに似ているが、葉は薄くて柔らかく、色は黄緑。
「この野菜は火を通さずに食べることができます。クセがないので子どもでも食べられると思います。注目すべき点は、うまく栽培すれば年に二回収穫することが可能だということです」
「それはいいわね」
マレーナが葉を千切って口に放りこんだ。
「とてもシャキシャキしていて瑞々しいわ。……確かにあまりクセがないわね」
これは売れる! と確信するマレーナ。
サイレスはそのほかに新種のジャガイモと、ちょっと変わった形をしたトマトを並べてそれぞれ説明し、マレーナは熱心にサイレスの説明を聞いた。
ジャガイモは腹に溜まりやすいことから、先の災害のような食糧難に陥ったときのために、長く保存できるよう、更なる改良を進めるつもりだという。
「ジャガイモは厳しい環境でも育ちやすいし、収穫量も多いから、今後のことを考えて、いろいろな調理法を試してみるのもいいかもしれないわね」
「なるほど。このジャガイモは在来品種より水分が多いので、これまでとは違った調理法のほうが合うかもしれませんね」
マレーナのアイディアにサイレスは納得したようにうなずく。
二人は次々に意見を出しあい、しばらく話しあいを続けた。そして、最後にサイラスがおずおずと出してきたのは、持ち手のついた袋に入っていた小さな鉢。そこに咲いているのは、花びらの全体が黄色で、先端が紫色のかわいらしい花。
「それは?」
「シルフィと言います」
「シルフィ? 聞いたことがあるわ。たしか、絶滅した幻の花ではなかったかしら?」
「そのとおりです」
国の固有種だったが、先人が乱獲しかなり前に絶滅した花だ。
「それが、この花だというの?」
「はい」
「でも、絶滅したのよね?」
「ええ、そうです。そのため、私も最初はなんの花だかわからず、文献を読みあさってようやくシルフィにたどりつきまして」
シルフィを見つけたのは本当に偶然で、研究のためにウェストモント領にあるイリーカ山の土を持ちかえり、別の植物を育てていたところ、シルフィが咲いたという。
サイレスは持ってきた古い本を開いてマレーナに見せながら説明をする。マレーナは絵と目の前の花を見くらべながら何度もうなずいた。
「イリーカ山の土にシルフィの種が混ざっていた、ということで間違いはない?」
「はい、間違いありません」
「つまり、イリーカ山にはまだシルフィが咲いているかもしれないの?」
「その可能性は十分にあります」
イリーカ山とはウェストモント領の南にそびえる緑豊かな山だが、人の手が加えられていないうえに、中腹部より上は傾斜が急なため、めったに人が足を踏みいれることのない山だ。
サイレスはそのめったに人が足を踏みいれない山に入り、土を持ちかえって野菜を栽培しようとしたところ、シルフィが咲いたというわけだ。
「これはすばらしい発見よ」
「はい」
普段謙虚なサイレスが、わずかに胸を張る。
「本を読む限り、特徴が一致しているし、専門家であるあなたが言うんだから間違いないわ」
マレーナの言葉を聞いてサイレスがますますうれしそうな顔をする。
「まずは、この花を枯らすことのないように細心の注意をして。イリーカ山を調べる必要もあるわね。ああ、なんてことでしょう」
マレーナが興奮気味に瞳を輝かせた。
シルフィは花ではなく花びらが散ったあとに残る果実に有用性がある。果実液は鎮痛薬や鎮咳薬として利用し、果実の中にある種子は香水や香辛料、食用としても使える。
もし、シルフィの栽培に成功しその数を増やすことができれば、大きな利益を上げることができるし、研究をすればさらなる用途が広がるかもしれない。
「サイレス様、すばらしい発見ですね。おめでとうございます」
「マレーナ様のおかげです。ぜひ、ウェストモント領の発展にお役立てください」
「なにを言っているのです。これはサイレス様の発見なんだから、所有権はサイレス様にあるわ」
「いえ、ウェストモント領の土ですから、間違いなくマレーナ様に所有権があります」
「でも――」
「私は花の研究さえさせていただければいいんです」
サイレスは本気で言っているようだ。
「あなたは本当にまじめな方ね」
マレーナに報告せずに花を育てればサイレスのものとなったのに、きまじめにマレーナに報告をした。せめて自分の領地で採れたと言えばいいのにそれもしない正直者のサイレス。
そんな人柄だから信じられるし、互いに助けあう関係でありたいと思えるのだ。
「あなたがパートナーで本当に良かったわ」
「私こそ、領地を助けていただいたうえにこうして協力関係を築くことができて、感謝しかありません」
野菜の品種改良に最初に着手したのはマレーナだったが、なかなかいい結果が出なかった。そのため農作物の育成に深い知識を持つサイレスにアドバイスを求めたところ、協力関係が生まれたのだが、その結果、こんなとんでもないおまけがついてくるとは思いもしなかった。
人生、なにがあるかわからないものだ。
「ときに、キャメロンはしっかりやっておりますでしょうか」
サイレスはおっとりとした笑顔で、娘の様子を聞く。いつもなら、答えに詰まって言葉が出ないなんてありえないのだが、今のマレーナには気の利いた言葉がすぐに出てこない。
「……マレーナ様?」
「……ええ、もちろん……頑張ってくれているわ」
マレーナは笑顔を張りつけうなずいた。
「とても……頑張ってくれていますから、心配なさらないでください」
マレーナの言葉に、サイレスはうれしそうに笑った。
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