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キングストンは早く十歳になりたい②

 マレーナの執務室を出たキングストンは、自室に戻ってイスに座ると、窓の向こうの雲ひとつない青い空を見あげた。普段なら、こんな天気のいい日はピクニックでもしたいと思うところだが、今のキングストンにはピクニックより気になることがある。


「ルイス、かぁ……」


 マレーナの口からこの名前を聞いたのは二回目。前に聞いたときもやはり昼寝をしていて、でもそのときは寝言だった。でも、今日はキングストンを見てそう言った。それはつまり、キングストンをルイスという人と見間違えた可能性があるということだ。


 もしかして父親のことか? とも思ったが、どんなに頑張ってもメイソンをルイスと読むことはできなかった。


 でも、実はキングストンは薄々気がついているのだ。メイソンという人が自分の父親ではないということを。


 なぜなら学友が、キングストンはメイソンにまったく似ていない、と両親が話しているのを聞いた、と言っていたから。それに、メイソンの実家であるハンティクトン伯爵家の人々も、キングストンとはまったく容姿が違うから。


「いったい、ルイスとは誰だろう……? やっぱり僕の父様、なのかな……?」


 実は、そのことが気になって、ヨハンに頼んで入手した最新の貴族名鑑から、ルイスの名を持つ人や、愛称でルイスと呼ばれる可能性がある人を調べたことがある。


 年齢的に可能性がない人を除外した結果、自分の父親かもしれないと思う人を三人に絞ったが、そのうちの二人は、自分が探しているルイスではない、ということはわかっている。


 なぜなら、彼らの子どもがキングストンと同じ学園に通っているから。


 キングストンは探偵さながらに物陰に隠れ、彼らのことをじっと観察した。上下左右前後ろ、頭の先から足の先まで、むらなくくまなく念入りに。でも、彼らは銀髪ではないし、顔もまったくキングストンに似ていない。そして確信した。間違っても異母兄弟ではないだろう、と。


 唯一残ったルイス・パシェットという男は、すでに市井に下っているが、彼の父親やルイスの兄弟は美しい銀髪らしい。


「平民かぁ……」


 平民となったルイス・パシェットを探すのは難しい、というか無理だろう。平民は貴族よりずっと多いし、貴族名鑑のように、所在や系譜を記したものがあるわけではない。ファミリーネームもないから、どこのルイスなのかもわからない。


「でも……ヨハンなら知っているかもしれない」


 ヨハンはウェストモント伯爵邸に長年勤めてくれている家令で、キングストンが聞けばなんでも教えてくれる物知り爺さんだ。


「よし、ヨハンに聞きに行こう」


 興奮気味にイスから立ちあがり、早足で部屋を出ようとしたが、ふと足を止める。


 はたして、ヨハンが教えてくれるだろうか? マレーナが言わないことをヨハンが言うだろうか?


「いや……聞いてみるだけ聞いてみよう。そうだよ、まずは聞いてみないと! よしっ!」


 気合いを入れて、元気よくヨハンの執務室に向かったキングストン。


 ヨハンの執務室のドアをノックすると、ヨハンの声が聞こえた。キングストンがドアを開けると、中ではヨハンが机に向かって、使用人の給金の計算をしていた。


「いかがされましたかな、坊ちゃん」


 ヨハンは少し疲れた顔をして、キングストンに聞く。


「あー……うん」


 そういえば月末は、使用人の給金以外にもまとめなくてはならない書類があるため、ヨハンはいつもにも増して忙しくなるのだった、と思いだす。


「なんだかタイミングの悪いときに来ちゃったね」

「ははは、なんの。忙しいのはいつものことですから問題ありませんよ」

「でも……やっぱり、また今度にする」

「珍しいですな、坊ちゃんが遠慮するなんて」


 するとキングストンが少し頬を膨らませる。


「僕は、空気の読める男だよ。忙しい家令の邪魔をするような子どもじゃないんだ」

「ははは、そうでしたね。ですが、私も少し休憩をしたいと思っていたところでした。実は、街で人気のチョコレートがあるのですが、一緒に食べませんか?」

「え! チョコレート?」


 チョコレートはなかなか食べられない高級品だし、虫歯を気にしてあまり甘いものを食べさせてもらえないキングストンには、とても魅力的なお誘いだ。


「じゃ、ちょっとだけ」


 キングストンはニコニコしながら、小さなテーブルを挟んで置かれているソファーのひとつに腰を下ろした。


「では、少々お待ちください」


 そう言うとヨハンは部屋を出ていき、しばらくして戻ってくると、その手にはホットミルクが入ったカップがふたつ。そのひとつをキングストンの前に置いて、もうひとつはその向かいのソファーの前に。それから壁際の棚から、いかにも高級そうな箱を手にして戻ってきた。


 ヨハンが箱のふたを開けると、中にはきれいに並んだ四角いチョコレート。


 甘いチョコレートの匂いがふわっとキングストンの鼻をかすめて、思わずスーッと吸いこんだ。


(匂いさえもおいしいなんて……。チョコレート、君はやっぱりとんでもないやつだな)


 キングストンはまるで宝物を見つめるかのような熱い視線を四角いチョコレートに注ぎ、それからヨハンを見る。


「どうぞ、遠慮せず召しあがってください」


 キングストンの顔がぱぁっと輝いた。


 ニコニコしながらひと粒つまみ、口へ放りこむ。歯茎が染みるくらい甘いチョコレートを、舌で転がしながら溶かし、十分に堪能してからホットミルクで流しこんだ。


「……最高だ……」


 チョコレートとミルクが混ざって程よい甘さになる瞬間がたまらない。


「チョコレートにホットミルクは最高の組み合わせだよ!」


 満足そうな顔をしてもうひと粒口に放る。今度はゆっくりとかみ砕いて、チョコレートの香りを十分に楽しんでから、再びホットミルクで流しこむ。


「チョコレートが栄養満点の料理だったら、僕は絶対これだけを食べつづけると思うよ!」


 甘すぎて喉が渇くと、今度は冷たいミルクをごくごくと飲みたくなる。それなのに、もうひと粒口に入れたくなってしまうのだから、チョコレートの魅力ときたら。


「罪なやつだな……」


 キングストンが渋めに呟いて、瞳を輝かせながらもうひと粒。そんなキングストンの微笑ましい様子を見ていたヨハンが口を開く。


「それで、坊ちゃんの用はなんでしたかな?」

「んんっ……!」 


(そうだった。ついつい魅惑的なコイツのせいで、本来の目的を忘れてしまうところだったよ)


 慌ててチョコレートをもぐもぐと咀嚼して、ホットミルクで流しこんだ。


 もっとゆっくり堪能したかったが、残念な気持ちはひとまず置いておいて、まずはここに来た目的を果たさなくては。


「僕の父様について聞きたいんだ」

「お父様ですか」


 ヨハンがピクッと片眉を上げる。


「僕はもう十歳になるんだ。そろそろ、大人の事情について知ってもいい歳だと思う」

「なるほど」


 ヨハンは、真っ白な顎髭をなでながら数回うなずいた。


「知ってどうなさいます?」

「会いに行ってみるよ」

「ほほう、それで?」

「それは……わからない」


 そこまで考えていたわけではないから。ただ、マレーナがルイスという名前を口にしたから気になるだけ。


(でも、もし父様に会ったら、僕はどうしたらいいんだろう?)


 ホットミルクのカップを見つめながら考えてみたが、なにも浮かばない。


「理由がないのなら、お会いにならないほうがいいでしょう」

「それは困る!」


 キングストンが勢いよく顔を上げた。


「なぜですか?」

「母様が好きな人だから」

「……マレーナ様がそうおっしゃいましたか?」

「べつに言ってないけど……」


 マレーナが決して口にしないのは大人の事情があるからだ。


「マレーナ様がそれを望んでいないのなら、余計なことはしないほうが賢明です」


 ヨハンの言葉に黙りこむキングストン。


(それはわかっているんだ。だけど……)


「マレーナ様が、という理由なら教えるわけにはいきません」

「え……?」


 それは、つまり――。


「……僕が会ってみたいんだ」

「うむ」


 真剣な眼差しでヨハンも見つめると、ヨハンがニヤッと笑った。


「よろしい。それでしたら、街最大のギルドを訪ねるといいでしょう」

「ギルド?」

「そうです」

「そこに父様が?」

「どうでしょうな」


 キングストンの顔が太陽より眩しく輝く。だって、ヨハンが適当なことを言うはずがない。


「わかった、行ってみるよ!」

「必ず護衛をお連れください」

「もちろん! でも、僕に教えちゃってよかったの?」


 ヨハンがマレーナに怒られるようなことになったら。


「ははは、いいのではないですか。私もそろそろのんびりしたいと思っておりましたから」


 年々忙しくなるため、なかなか引退することができないヨハン。後任も育ってきているし、そろそろゆっくりしていいとマレーナは言ってくれているが、実際にヨハンが引退をしたら、マレーナにかかる負担がますます大きくなることはわかりきっているため、なかなか踏みきれないのが現状だ。


「それなら、あと八年頑張って。それまでには僕も十桁の暗算くらいはできるようになっていると思うんだ」

「ほほほ、十桁の暗算とはなかなかですな」

「そうでしょ? できるだけ早く大人になるからさ」


 そう言うと、キングストンはお行儀悪くひと粒チョコレートを口に放りこんで立ちあがり、満足そうな笑みを見せて、元気に執務室を出ていった。


「楽しみですな……。しかし、あと八年は……」


 ヨハン、御年七十六歳。そろそろ体力も限界だ。




読んでくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
チョコレートの魅力の虜なキングストンが可愛いのはもちろんですが、要所要所で光る活躍をしてくれるスーパー忠臣おじいちゃんヨハンさんもとても好きなキャラです〜!
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