断罪のあとに残るもの②
マレーナに突きつけられた言葉に感情を昂らせ、目を血走らせながら暴れるメイソン。その姿には狂気さえ感じる。
「……やっぱりだめね。こんな危険な人、野放しにはできないわ。ヨハン、リドルド侯爵をお呼びして」
マレーナがそう言うと、心得たようにヨハンが部屋を出ていった。
「リドルド侯爵、だと……?」
その名前を耳にしたとたん、メイソンは先ほどまでの勢いを失い暴れるのをやめた。
メイソンは伯父であるリドルド侯爵のことが苦手、というより恐れていた。あの、こちらを見すかしたような目や、威圧的な佇まい。マレーナには優しい口調も、メイソンに対してはどこか冷たい。そんな彼を前にすると反射的に委縮してしまい、目を合わせることもできなくなってしまうのだ。
しばらくすると別室で待機していたリドルド侯爵がやってきた。
「わざわざ、ご足労くださりありがとうございます」
マレーナがそう言うと、リドルド侯爵は楽しそうに笑う。
「いつお呼びがかかるかと思って、楽しみに待っていたよ。私の甥がしでかした責任は私がとらねばならないからね」
「ふふ。それなら、彼の父親であるハンティクトン伯爵こそ責任をとるべきですのにね」
「私があいつを嫌っているのはそういうところさ。手柄を立てたくて騒ぐクセに後始末はしない。いつも私に丸投げだ。何度あいつの尻拭いをしてきたかわからないくらいだよ」
リドルド侯爵はそう言ってメイソンを見て、首を振りながら嘆息した。
「メイソンはあいつの息子の中ではまともなほうだと思っていたんだけどな。おおかた、お前が伯爵位を継ぐはずだった、とでも言われていたのだろうが。まったく、不相応な欲を持つものじゃないな」
リドルド侯爵の顔は笑顔だが、その瞳には侮蔑が見える。
「こんなことなら、アルフレッドを無理やりにでも君に押しつけておくんだったよ」
「まぁ、押しつけるなんて。アルフレッド様はこんな年上の女なんてお断りでしょう」
「いや、あいつは君に気があったんだ。だけどあいつこそ年齢差を気にしていた。子どもって言われるからな」
アルフレッドは現在十九歳。二十五歳のマレーナとは六歳の年の差だ。その年齢差も今ならそれほど気にならないが、マレーナが結婚をしたときアルフレッドは十四歳。気にするなと言っても無理な話だ。
リドルド侯爵は、床にうつ伏せに押さえつけられているメイソンを見おろして、フンと鼻を鳴らした。
「バカなことをしたもんだな。お前にはもったいない女性だったのに」
「……うるさい……うるさい! うるさい!」
メイソンが突然声を荒らげる。
「ふざけるな! なにがもったいないだ! マレーナのせいだ! 俺が、爵位を継ぐはずだった! 俺がウェストモント伯爵になるはずだったんだ! それを、その女が奪ったんだ。だから取りかえそうとしただけだ。それのなにが悪い! 悪いのはその女だ!」
メイソンはずっとそんなことを考えながら結婚生活を送っていたのか。マレーナは、そんな男に愛されていると勘違いをしながら五年間も結婚生活を送っていたのか。
(私が間抜けだったことは間違いないけど、彼の執念もなかなかのものね)
きっとメイソンは結婚するより前から、ウェストモント伯爵になることを望んでいたはず。
でも、身勝手な主張をくり返し、自分以外の誰かを悪者にすることで自分のすべてを正当化する、そんな理不尽を、甘んじて受けいれる気はない。
「メイソン。あなたにはウェストモントの誇りを継ぐことはできない。もとよりあなたのものではないし、あなたはその器ではない。もういい加減にそれを理解してちょうだい。あなたは、ウェストモント伯爵にはなれない」
「ふざけるなー! 俺のだ! 俺がウェストモント伯爵だ!」
顔を紅潮させ唾を飛ばしながら叫ぶその姿は、いっそ憐れだ。
マレーナは大きく息を吐いて、首を振る。なにを言っても受けいれる気もない彼を相手にしても時間の無駄。
「ばかなやつだ。もういい。さっさと連れていけ」
リドルド侯爵がそう言うと、二人の騎士がメイソンの両脇に立って、メイソンの脇を持って強引に立たせ、外へ連れていこうとする。
「ま、待ってくれ。いやだ……だめだ……俺は、俺は――!」
メイソンは体をよじって騎士たちの手をふり払い、床に膝を突いてリドルド侯爵の足に縋りつく。
「ま、待って! 待ってください、伯父上! 俺はマレーナの腹の子の父親です。まさか、子どもから父親を奪う気ですか!」
今度は情に訴えるつもりなのか、瞳に涙を浮かべている。
「もし俺がいなくなればマレーナは醜聞の的になります! そんな姿を子どもに見せてもいいのですか! そんなのかわいそうです。俺は子どもにそんな思いをさせたくありません」
「……」
リドルド侯爵は大きな溜息を吐いて首を振る。なにをわけのわからないことを言っているのだ、と。
「マ、マレーナ、君はいいのか? 夫がいなくなれば変な噂がたつぞ。それでもいいのか?」
「……」
マレーナは無表情でメイソンを見つめ、それからクスリと笑う。
「まったく問題ないわ。むしろ、同情してもらえるんじゃないかしら? 知らないの? 夫の浮気に辟易しているご婦人は多いの。お茶会でも開いたら、皆さん、大喜びで夫の悪口を言うと思うわ」
「な……!」
「だから、私と子どものことは心配しなくていいわ。最後にあなたの本当の顔を見ることができてよかった。おかげで罪悪感なんて微塵も抱かずにすむもの。さようなら、メイソン」
マレーナはとても満足そうな顔をしてメイソンに手を振った。
「な……! マレーナ、お前――!」
「おい! もういいだろう。早く連れだせ」
メイソンの言葉を遮ったリドルド侯爵の言葉に従って、騎士が無理やりメイソンを引っぱり、ドアへと向かう。メイソンは必死の抵抗も空しく、引きずられながら部屋を出ていった。
「二度と君の目の前に現れることはないから、安心してくれ」
「ありがとうございます」
「今度は、もっと楽しい話をしよう」
「ええ、いつでもお声がけください」
メイソンはリドルド領内の、重犯罪者が集められた鉱山に送られ、そこで一生を過ごすことになるだろう。
「本当にばかな人……」
メイソンとリドルド侯爵を乗せた馬車を見おくるマレーナは、なんとも言えない気持ちを抱えたまましばらくその場に立ちつくしていた。
実際のところ、アルフレッドとキャメロンの婚約の話はない。リドルド侯爵に事情を話し、ひと芝居打ってもらったのだ。ハンティクトン伯爵はそれを知らずに婚約の話を仲介した。要は二人にうまく使われたということだ。
「キャメロン」
スカート部分を握りしめうつむくキャメロンの前に立ち、静かに声をかけたマレーナ。
キャメロンはビクッと肩を震わせ、さらに強くスカート部分を握りしめる。
「私は、あなたのことを妹のように思っていたの……大切にしてきたつもり」
「……」
「なぜ……こんなことをしたの?」
「……」
しかしキャメロンはうつむいたまま、口を開こうとしない。キャメロンの答えを待って沈黙していた空気がやがて諦めへと変わり、サイレスと目が合ってマレーナは寂しそうに微笑んだ。サイレスは厳しい表情のまま頭を下げ、キャメロンと共に屋敷をあとにした。
キャメロンは領地に帰り、出産をしたのち修道院に送られた。戒律が厳しいことで知られる修道院だが、キャメロンは大人しく従いそこで一生を終えることになる。
生まれてきた子どもは赤い髪の可愛らしい男の子で、キャメロンの兄が引きとり育てることになった。
もし、メイソンとキャメロンが純粋に愛しあうだけの関係だったなら。そうであったなら、かなしくても苦しくても二人を認めていた。もし、愛を貫くためにメイソンが離婚を申しでてきたら、どんなにつらくても笑顔で書類にサインをした。
でも、二人は不貞を働き、マレーナの死を望み、身勝手な願望を手に入れることを選んだ。
もしかしたら、最初は純粋に愛しあっていただけかもしれない。少なくともキャメロンは、メイソンを愛していた。その愛は徐々に形を変えて、純粋な気持ちだけではなくなってしまったかもしれないけど、それでも彼女はメイソンとの幸せな未来を願っていたはずだ。
(……でも……だからといって同情はしないわ。結局はただの裏切りだもの)
メイソンとキャメロンは、マレーナに謝罪し許しを乞おうとはしなかった。マレーナにしても謝罪など望んでいない。だって、もし彼らが心から謝罪をすれば、許してしまうかもしれない。だから謝罪をされなかったことがうれしい。彼らを許さずにすむから。
(絶対に許せるはずがない。私は死を覚悟するほどの恐怖を味わわされたんだもの。二人にも同じ思いをさせるって決めたんだもの。でも……)
でも、二人の不貞や、マレーナを殺害しようとしていたことを知ったときの、怒りやかなしみをずっと持続させることはできなかった。復讐を誓ったときの、黒く渦巻いた感情が、さらに黒くなることもなかった。
ただ彼らに復讐をすると決めて、計画を淡々と実行して。
計画が進んでいくたびに彼らが追いつめられていくのに、その様子を見ても気分は晴れなかった。それどころか、虚しさが膨らんでいくばかり。
そうやって虚しさだけを抱えて二人と対峙し、追いつめ、断罪までしたけれど、マレーナの心に残ったのは結局虚しさだけ。達成感や満足感なんて欠片も感じない。
ばかなことに自分を費やしてしまった。こんなことをしても誰も幸せになんてなれないのに。
果たしてこんな形で断罪を行う必要があったのかと考えると、大切な人達を巻きこみ、傷つけてしまったという後悔が襲う。
感情に任せて幼稚に仕返しをした自分に、果たして罪はないのか? では、どうすればよかった? 見ないふり? 大人しく殺される? そんなことできるはずがない。
では、自分の本当の母親を知らずに育つことになるキャメロンの子どもは? 子どもに罪はあるのか?
メイソンはマレーナが産まれなければ、ウェストモント伯爵家の当主として生きていたはずだ。その欲望を植えつけたのは、彼の父親であるハンティクトン伯爵。それなら、メイソンにも救いが必要だったのでは?
考えれば考えるほど、マレーナのしたことに正しいことなんてひとつもなかったように思えてしまう。
「……」
いろいろな思いをふり払うように少し大きく息を吐く。
「後悔なんてなんの意味もないわ。……私はこれ以上、浅はかで醜い人間にはなりたくない」
自分に残ったのは腹に宿した命だけ。せめて、この子に恥じないように生きていきたい。
それから数か月の後、マレーナは銀色の髪に、青みのかかった黒い瞳の美しい男の子を出産した。
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