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幸せとは

 今日はマレーナとルイスが逢瀬を約束した日。つまり、子種をもらう日だ。


 マレーナがルイスに指定されたのは、街の中心街から少し離れた場所にある、建築彫刻が施された建物。宿屋というわけでもなさそうだし、アパートメントというわけでもなさそうだ。


 部屋の扉の前に立ち、緊張と恐怖を少しでも和らげようと深く呼吸をして、行くわよ、と意を決したマレーナが静かに扉を開けると、すでにルイスがいた。


「遅かったかしら?」

「いいえ、私が早かったのです」


 ルイスは常に約束の時間より早く現場に着くことにしている。


「この部屋は?」

「私の秘密の部屋、ということにしておきましょう」

「そう」

「誰も来ませんし、秘密が漏れることもありませんので心配しないでください」

「そう」

「迷われましたか?」

「そう」

「……?」


 マレーナはルイスの言葉を半分も理解していなかった。


 そう、彼女はかなり緊張していた。メイソン以外の男と肌を合わせたことなどないのだから、こんな状況で緊張をするなというほうが無理な話だ。


「は、早く始めましょ!」


 顔を強張らせ、声を上擦らせたマレーナ。これでは緊張していることが丸わかりだ。ルイスはその様子を見てクスリと笑う。


「積極的なことが悪いとは言いませんが、少し緊張しすぎていますね」

「そ、そうかしら?」

「少し、お酒でも飲みましょう?」

「い、いただくわ」


 そう言ってマレーナがグラスに注がれたワインを一気に飲みほすと、ルイスは驚いて目を見はり、そして笑った。


「なぜ笑うの?」

「いや、すみません。ただ」

「ただ?」

「あなたは初心で純粋すぎる」

「……」

「私に任せてください。心配しないで」


 そう言って頬に触れたルイスの手にマレーナの心臓は跳ねあがり、顔を真っ赤に染めた。不安もあるがそれよりもマレーナの心を占めるのは、ルイスの優しく大きな手の温もりと安心感。


 ベッドに身を投げだし緊張するマレーナの身体をルイスがとかしていく。ゆっくりとていねいに扱われると、強張ったマレーナの体から少しずつ力が抜けて、気がつけばわずかに快楽を感じた。


 メイソンのように、自分の目的を果たすために強引にマレーナの体を開くことをせず、ただ、マレーナが快感を得られるようになるまで、じっくりとルイスの温もりを沁みこませていく。


 今まで苦痛でしかなかった行為なのに、蕩けきったマレーナの体は触れられることを求め、夢中でルイスにしがみついていた。


 マレーナは気がついていない。何度も切なげにルイスの名を呼んでいたことを。そしてそのたびに、ルイスとの繋がりが深くなることを。


 何度も果てた二人だが、くちづけだけはしなかった。




 ルイスと一夜を過ごし、太陽が昇る前に屋敷に帰ってきて、そっと自室に入っていったマレーナ。しかしほとんど眠っていないというのに、気分が高揚して眠れなさそうだ。


 初めて知った女の喜びは、マレーナの全身を少しの隙間もなく幸福感で満たした。何度も頭の中で先ほどまでの出来事を思いだし、身を捩りながら枕を思いきり抱きしめる。


 そして、ふと我に返る――。


 あの行為はあくまでも子種をもらうための作業。まったく深い意味はなく、彼は依頼を遂行し、マレーナも欲したものを受けとった。ただそれだけだ。


 そうはわかっていても、この満たされた感覚はなんなのか。初めてのことに理解が追いつかいない。


(優しい目をした美しく魅力的な人……。彼を怖いとは思わなかった。数回しか会ったことのない人だというのに)


 快感に震えるマレーナの髪を、優しくなでてくれた。それだけなのに。


「ルイス……」


 いつしかマレーナは深い眠り落ちていった。


 ◆◆◆


 受付の横にある専用のイスに座り、大きな欠伸をしたルイスに、ギルドに立ちあげ当初から在籍している古株のアントンが声をかけた。


「眠そうだな、ルイス。お楽しみだったのかい?」

「ははは、そんなんじゃないよ。仕事だ」

「珍しいな、あんたが依頼を受けるなんて」

「ちょっとな」

「ふーん」


 余計なことは聞かない。仕事は秘密厳守のものも多い。ただ、今日のルイスは機嫌がいいとアントンは感じている。


 冷静で初めて会う人には冷たく感じるところがあるルイスだが、実際には陽気で情に厚く人好きのする男だ。


 噂ではどこかいいところのお坊ちゃんらしいが、ルイスが自分のことを話すことはめったにないため、実際のところはわからない。


 でもアントンにはそんなことどうでもいい。ルイスが苦労してここまでギルドを大きくして、自分はその恩恵に与かり金を稼がせてもらっている。それだけだ。


 それなのに、ルイスの様子を見るとどうしても興味が湧く。


 ルイス目当てに依頼をしてくる女たちに辟易していたルイスは、いつしか依頼を受けなくなった。そんなルイスが久しぶりに依頼を受けたのだ。


「ま、余計な詮索はしねぇよ」

「ん? なんか言ったか?」

「なんでもねぇ。仕事行ってくるわ」

「おう、よろしく」


 何人かのギルド員を送りだして静かになると、ルイスは自身の執務室に戻り、イスに座って大きな溜息を吐いた。


(俺は思春期まっさかりのガキか?)


 自分が浮かれていることは自覚している。マレーナの細い身体が、潤んだ瞳が、自分の名を呼ぶ彼女の声が頭から離れない。今までに感じたことのない気持ちが、仕事であることを忘れさせてしまう。


(あれは仕事だ)


 どんなにそう頭の中でくり返しても、それを否定するかのように昨晩のことを思いだす。そして今夜も彼女と会うわけだが――。


「これはまずい……。これは、本当にまずい」


 仕事とはまったく関係ない感情があることには、絶対に気がついてはならない。


「これは下心だ、そうだな、俺だって男だ。下心くらいある。問題ない、下心だ、そうだ。……はぁ。……なにが下心だ。ばかだな、俺は」


 ルイスは一日に何度も下心と呟き、溜息を吐いていた。


 ◆◆◆


 その日の夜、マレーナは昨日より早く屋敷を出た。なぜなら準備が早く終わってしまったから――ということにしておこう。


 ソワソワと落ちつかず、昨日より多くミスをくり返したことを理由に、今日は早めに休む、と仕事を早々に切りあげたマレーナ。


 メイソンが「ゆっくり休んで」と言ってくれた言葉が、今日ほどありがたかったことはない。心からお礼を言ってしまったことに気がつき、思わず笑ってしまった。


 キャメロンを下がらせると、少ししてヨハンが迎えに来た。父のように思っているヨハンに、これから自分がすることを知られていると思うといたたまれないが、平然としていることでどうにか恥ずかしい気持ちを押しころした。


 ヨハンはわかっていた。マレーナが早く彼に会いたいと思っていることを。ずっと成長を見まもってきたのだ。自分の子どものように思ってきたマレーナが、恋する少女のように頬を染めれば、苦しい胸の内を隠し、無事に戻ってくることを願って送りだすことしかできない。それが悔やまれてならない。


(マレーナ様がこんな顔をする相手が夫であれば、なんの問題もなかったのに)


 せめて、マレーナにとっていい思い出にでもなってくれれば、そして無事に子種を授かれれば少しは報われる。


「お気をつけて」

「ありがとう。あとをよろしくね」

「お任せください」


 そう言って馬車に乗りこんだマレーナを確認すると、ヨハンは屋敷へと戻った。




 マレーナが昨日と同じ部屋の扉を開けると、昨日と同じようにルイスがいた。


 その姿を確認したマレーナは、吸いよせられるようにルイスに近づき、二人でベッドに倒れこむと、言葉もなく夢中になって温もりを交わした。


 一日しか交わっていない二人なのに、覚えたての肌は何度も触れあったかのようになじみ、その熱と吐息がますます二人を夢中にさせ、我を忘れるほど求めあう。


 何度果てても足りずに求めあう二人は、夫婦でも恋人でもない。


 満たされたマレーナが我に返ったときに襲われる虚無感は、後悔へと変わる寸前で排除する。依頼という言葉では終わらせられない気持ちを、依頼という言葉で終わらせなくてはならない切なさは、マレーナだけが抱える感情だろうか。


 知らずに流れる涙をルイスが優しく拭ったとき、言ってはいけない言葉がマレーナの唇から零れおちた。


「くちづけを」


 ルイスは一瞬驚いたように動きを止め、それから優しく微笑み、マレーナに触れた。一度触れてしまえば止めることはできず、次第に深くなるくちづけ。


 この時間が永遠に続けばいいのに。


 そう願わずにはいられなかった。






 マレーナの月のものが止まった。それは、妊娠を意味し、ルイスと会う理由がなくなったことを意味する。


「妊娠、かぁ」


 一人きりの部屋でマレーナはポツリと呟いた。


 ヨハンがギルドに懐妊の知らせと、依頼完了の後金を払いに行き、すべてが終わった。


 マレーナが自らギルドに行くことはできなかった。顔を見れば未練がましく余計なことを口走りそうで怖かったから。


「素敵な思い出をもらえただけでも感謝すべきね」


 そう言って、まったく膨らみのない自身の腹をさする。


「あなたは私が、なにがなんでも守りぬくわ。絶対に、守りぬいてみせる」





読んでくださりありがとうございます。

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