マレーナとメイソンとワイン①
ルイスから連絡を受けたマレーナが再びギルドに行くと、前と同じように奥の部屋に通された。マレーナの目の前に座るルイスの髪は変わらず黒く、その姿は凛々しく美しい。
「こちらがご所望の品です」
テーブルに置かれたのは、白い粉末と液体が入った数本の小さな瓶と茶葉。
「粉末は治療の際に使用される睡眠薬で、即効性はありませんが、常人なら十分から二十分くらいで効果が表れます。無味無臭なので気がつかれる心配はありません。それから、こちらの瓶が媚薬です」
そう言ってルイスが指ししめしたのは、表面が細かくダイヤ柄にカットされた、丸みのある特徴的な形状の瓶。中に入っている液体は薄いピンク色。
「体に害はありません。強力なものではなく、貴族の間でも普通に使われているものです。まぁ、裏のルートで手に入れるものではありますが」
「それって違法では?」
マレーナが聞くとルイスが笑った。
「違法ではないのですが、媚薬ですから。表立って手に入れるのが憚られるというだけです」
「なるほど」
マレーナが納得をしたようにうなずく。
「先ほども言いましたが、媚薬といっても特別強力ではありません。ただ、媚薬を飲んだと思うことでさらに気分が高まると言われています」
「つまり、あえて媚薬だと伝えれば、気持ち的にも盛りあがるということ?」
「そういうことです。こういうのは、本人の気持ちもかなり作用するんです」
「病は気から、に通ずるものがあるわね」
マレーナは笑った。
「妊娠を促す薬は茶葉ですが、飲みつづけることで体のバランスを整えて、着床しやすくなります」
「そんな茶葉があるの?」
「いえ、茶葉だけでは体調を整えるだけですが、妊娠を促す薬が混ざっています。そのため、飲んでいる間は妊娠しやすい状態を維持することができるのです」
「なるほど」
遥か東にある国で作られている薬だそうだ。匂いを嗅ぐと、甘い桃のような香りがする。
「最後に確認しますが、この依頼をやめる気はないですか?」
「ないわ」
「後悔することになるかもしれませんよ?」
「かまわない。それに、後悔なんてするはずがないもの。あなたは引きうけて後悔しているの?」
「いいえ、仕事ですから」
「それなら問題はないわね」
マレーナの眼差しから強い決意を感じる。やり遂げると決めた彼女を見れば、ルイスにはなにも言うことはない。ルイスも同じく、道徳に反する行為に加担することを決意した。
その日から、マレーナはルイスから受けとった妊娠しやすくなるお茶を飲みはじめた。
キャメロンは甘い香りのするこのお茶に興味があるようだ。
「そうなの。体調を整えるんですって。それにね」
マレーナは少し声をひそめ、キャメロンに顔を寄せる。
「これを飲んでいる間は、妊娠しやすくなるんですって」
「え? 妊娠しやすく?」
「ええ。そろそろ私も、真剣にそれについて考えないといけないしね」
「そうですけど」
「それに……内緒よ」
そう言って、もったいつけて出したのは、薄いピンク色の液体が入ったガラスのカットが特徴的な瓶。
「それはなんですか?」
「媚薬よ」
「媚薬?」
キャメロンが驚いたように目を見ひらいた。
「そんなすごいものじゃないわ。でも、貴族の間では普通に使われているの。これを飲むとすごく、盛りあがるんですって」
マレーナは少し恥ずかしそうに笑う。
「へぇ……」
キャメロンは興味があるか、まじまじと媚薬の入った瓶を見つめる。
(ばかね。普通、あなたの歳の未婚令嬢は、こんな話を聞けば恥ずかしがるものなのよ。すっかり慣れてしまって、恥じらうことも忘れてしまったのね)
マレーナは心の中で溜息を吐いた。
「気になる?」
「い、いえ……」
キャメロンが慌てて首を振る。マレーナは瓶を一本キャメロンに差しだした。
「あげるわ。キャメロンが素敵な方と結婚したときに使いなさい」
「え? そんな、私なんて、そんな……」
そう言いつつも、キャメロンは媚薬を受けとり、わずかに頬を緩めた。
(メイソンと使えばいいわ。まぁ、二人にはそんなもの必要ないでしょうけど)
キャメロンが制服のポケットに媚薬をしまったのを確認して、マレーナが小さく笑った。
数日たった日の夜、マレーナはメイソンの寝室へ向かっていた。メイソンはマレーナの突然の訪問に驚いた顔をした、というより困惑、いや、迷惑した顔、と言ったほうが正しい。その証拠にマレーナを廊下に立たせたまま、部屋に招きいれようともしない。
「珍しいね。君が、来るなんて」
「迷惑だったかしら?」
「そんなことないよ」
「前に、鉄道の話を頭ごなしに否定してしまったでしょ。私、反省しているの」
鉄道の話をした日、メイソンの部屋の花瓶が割れたと家政婦長から報告を受けた。
メイソンの部屋から大きな音がしたため、たまたま近くにいた家政婦長がドア越しに声をかけたが、メイソンは家政婦長を部屋には入れず、キャメロンを呼んでくるように指示をしたとか。
家政婦長は、メイソンの指示に従ってキャメロンを呼び、部屋の片づけをさせたが、花瓶の水と割れた破片で片づけに手間取ったようで、キャメロンは機嫌の悪そうな顔をしていたらしい。もしかしたら、メイソンに八つ当たりをされたのかもしれない。
後日、家政婦長がメイソンの部屋を確認したところ、見なれないタペストリーが掛けられていて、それをずらすと壁に大きなへこみを見つけた。つまり、感情的になったメイソンが、花瓶を壁に投げつけた、ということだ。
「僕も、立場も弁えずに勝手なことをしてしまったと反省しているんだ」
「じゃあ、仲直りしましょう」
「喧嘩はしていないだろう?」
「仲直りは口実よ」
そう言ってマレーナがメイソンに見せたのは、ヴィンテージ物のワイン二本。
「それは、いい口実だね」
メイソンがうれしそうな笑顔を見せた。
今日はキャメロンとの逢瀬の日。そのため早くマレーナを追いかえしたいと思っていたメイソンだが、めったにお目にかかることができない貴重なワインを見れば、その魅力に勝てるはずがない。メイソンはワインに目がないのだ。
マレーナを部屋に招きいれ、座り心地のいいふわふわのソファーに座らせ、いそいそとグラスを用意する。
ていねいにコルクを抜き、その香りを堪能してからコルクをテーブルに置いた。瓶を傾けグラスに少しワインを注ぐと、ワインの芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、メイソンの頬が緩む。それを口に含んで味を確認すると、マレーナに満面の笑みを見せた。
どうやら、お気に召したらしい。
しばらくおとなしく飲んでいたメイソンだったが、二本目を飲みはじめるころには気分がよくなったのか、どうでもいいワイン談義を始めた。
マレーナがニコニコしながら相槌を打つと、メイソンはさらにいい気分になって饒舌になる。あっという間に二本目のワインを空にしたメイソンは、満足そうな顔をして眠ってしまった。
「やっと薬が効いたのね」
二本目のワインには睡眠薬を入れておいた。酔っていなければ、わずかに開いたコルクの穴に気がついたかもしれない。睡眠薬を溶かし入れた水が混ざったワインの、わずかな味の違いにも気がついたかもしれない。だが、ほとんど一人でワインを飲んでしまったメイソンには気がつけなかった。
「睡眠薬なんていらなかったかもしれないわね」
メイソンの気持ちのよさそうな顔を見てクスリと笑う。
マレーナはイスから立ちあがると部屋のドアを開けた。そこに控えていたヨハンと二人でメイソンの服を脱がし、情事のあとを装う。
「マレーナ様」
「大丈夫よ。うまくやるわ」
「では、わたくしは控えていますので、なにかありましたら」
「ヨハン、大丈夫よ。私たちは夫婦なの」
「……かしこまりました。では、これを」
そう言ってヨハンがマレーナに渡したのは、媚薬が入っていた空の瓶。瓶の底にはわずかにピンク色の液体が残っている。
「ありがとう」
ヨハンは静かに部屋を出ていった。
マレーナは空の瓶をベッドの近くのごみ箱に入れた。紙の音がして慌ててメイソンを見たが、まったく起きる気配がなくてホッとする。
それからマレーナは服を脱ぎ、下着だけになってベッドに潜りこんだ。
(キャメロンは、イライラしているかしら? メイソンの部屋を訪ねてくる? そんなばかじゃないわよね)
メイソンの隣に横たわり、嫌悪感に耐えながら目を瞑る。
隣で眠っているメイソンがモゾモゾと動き、寝返りを打って手や足が触れるたびに、マレーナはビクッと体を強張らせた。
そして、一睡もできないまま朝を迎えた。
読んでくださりありがとうございます。








