エピローグ4 マティアスの帰還
エピローグという名の後日談その4
例によって、挿絵は生成AIを使用しておりますので、参考程度にお願いします。
――――コンコン
ジュリア農場の執務室(兼会議室)で神殿建設の決裁書類を眺めていた私は、ノックの音を聞いて、素早く身なりをチェックする。キティス子爵夫人―――エーデルさまから借りたドレスはよし、ショールもよし、包みもよし。髪はさっき整えて貰ったから大丈夫。心の準備....よし。
「どうぞ」
「失礼します」
木製のドアを開けて入ってきたのは、クルス山脈を越えて、偵察に出たマティアスだった。
少し痩せたかしら?。革の鎧に傷はついていなくてホッとする。ひと月に渡る緊張のせいか、マティアスの目は戦場返りのように険しかった。
そのマティアスの目が、私を見ると少し驚いて、やがて安らいだように生気が戻った。
「おかえりなさい、私の騎士」
「ただいま戻りました。我が主」
そういって一礼するマティアス。
私が着ているのは、梳いた木綿を薄く編んで、明るい黄緑色に染色した生地を重ねたデイ・ドレス。ライン状にリボンの花が飾ってあって、まるで草原に咲く花のよう。魔導国産だから胸元があいていて、それはそれで可愛いんだけど、騎士国では虹神教の教えで、肌を濫りに見せてはいけないので、首元には乳白色のショールを巻いている。靴は革靴だけどね。
マティアスがこういう服を着た女性が好みなことは知っている。騎士として姫を守るシチュエーションが好きなのかもしれない。
「お似合いでいらっしゃいます」
「ありがとう」
照れたように、はにかんで、そう言う。
胸が高鳴っている。ここはなんとしてでも切り抜けないと!
「疲れているでしょう?。かけて」
円卓の私の隣の席に座るように促す。腰掛けるマティアス。
「それで、ヘリエスタはどうだったかしら?」
マティアスは、顔を引き締めると報告を始めた。
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「生き残り?」
「はい。ヘリエスタ辺境伯領に人影がなかったため、ガゼイン男爵領、サンクローデ伯爵領、トダルフ子爵領と周り、カドラウシュ伯爵領を偵察しているときに遭遇しました」
マティアスが挙げた領は、いわゆるヘリエスタ地方閥に属する領で、ヘリエスタ辺境伯をその盟主としていた。
カドラウシュ伯爵領は、騎士国と魔導国を南北に隔てる峻険なクルス山脈の中で、唯一、人の往来が可能なアルザトリヒ辺境伯領に至る街道に位置する。交通の要衝だ。
北西の雄がヘリエスタ辺境伯領なら、南西の雄がアルザトリヒ辺境伯領。ともに毒牙草の汚染が少なく、戦端の開かれた東部から遠いこともあり、予備戦力が温存されていて、一時は、連合を組み、タシュル騎馬国にあたった。
「タシュルの2回目の総攻撃を耐えたあと、救援に行ったわね。その時にはもう....」
ヘリエスタ・アルザトリヒ連合軍をイメル河畔の戦いで破り、お父さまを負傷させたタシュル騎馬国の英雄“金狐将”タヴィランは、沿岸部を平定しつつ、アルザトリヒ辺境伯領を1万騎で主攻。ヘリエスタ・アルザトリヒ間の連絡を断つため、カドラウシュ伯爵領に5千騎。負傷したお父さまを追撃するため、3千騎をヘリエスタに差し向けた。
私がヘリエスタの全権を握って、2回の総攻撃を耐えきり、カドラウシュ伯爵領に駆けつけた時には、領都は放棄されていて、領軍が立て籠った古代の山城も落ちていた。
私達にできたのは、略奪で浮かれる敵兵に坂落としで奇襲をかけて、領都略奪で貯めた物資を焼き、生き残りをヘリエスタに連れて帰ったぐらいだった。
「はい。我らの奇襲の混乱で、山狩りを免れた領民がいたようです。タシュルは我らを追うのに、躍起でしたから」
「そう。少しでも生き残りがいるなら、あの戦いにも意味はあったのね」
「間違いなく。その者達が、領都ヘリスヴァイン陥落後に、南へ移送されるヘリエスタの領民を見たようです」
「移送....。略奪で奪うものがなくなったら、次は人を、ということね」
「中央や沿岸部、東部と異なり、西部は毒牙草の駆逐に成功しておりましたゆえ」
「奴隷としての価値があったのでしょうね」
西部は、お父さまとアルザトリヒ辺境伯が協同で、派閥に属さない領との間に壁を作り、徹底的に派閥に属する領から毒牙草を駆逐していた。相当苛烈だったと聞く。そう言ったことが10年以上続き、半独立状態だったらしい。そういう状況で、なぜ、お父さまが私を王都に出したのかは、ついぞ分からなかった。
「次の目標が決まったわね」
「お供いたします」
「私はまだ何も言ってないわよ?」
「言わずとも分かるものです」
「そう」
田舎住まいの私達には、限界がある。国レベルの諜報能力が必要だった。それができる男が一人いる。あの白金色の髪を思い出すだけで、イライラするけど。
でも、それをマティアスに言うと私が詰む。.....話題を変えよう。
「他には?」
「はい。その者達によると、王都セイローザは、砂漠に戻ったとのことです。確かに、今まで見たことがない砂ぼこりが舞っておりました」
「コルリウスさまが人間の時にかけた緑色の魔法が力を失ったのね」
「そのようです」
伝説によれば、もともとサイヴァルドの大地は、風害により砂漠化していた。そこを人が住める環境にしたのが、虹神に遣わされた“緑の騎士”コルリウスだった。
コルリウスさまの行使した緑色の魔法は、荒ぶる風を鎮め、草木を茂らせた。だけど、風という大陸規模で起こる現象を、人間の魔力で継続的に鎮めることは難しく。そのためコルリウスさまは、“剣の天使”になることで、継続的に風を鎮めたと伝えられている。
「その生き残りの人たちは、どうしてるの?」
「山に集落を作り、そこで狩猟採集をして暮らしております。貧しい生活ですが、故郷が近いので、このまま土になるとのことでした」
「そう。山中で狩猟採集生活って、古代の民みたいな話ね」
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「ご苦労さま、マティアス。あなたに渡したいものがあるの」
「なんでしょう?」
話が終わったところで、そう切り出す。私は、キョトンとするマティアスに、紙で包まれたプレゼントを渡した。
「開けてみて」
ガサガサと紙をめくるマティアスは、中から白い布を取り出した。布を広げて、持ち上げてみるマティアス。
「これは....!」
マティアスが広げたそれは、白いシャツだった。作りは、私が騎乗する時に着てるシャツと同じ。ボタンはちゃんと右前になっている。
「あなたが出かけている間に、婦人会のみんなで騎士用のシャツを作ったの。あなたの分はもちろん私が縫ったわ。胸にはあなたの紋章が刺繍してあるのよ」
「見事な刺繍です」
「ありがとう」
左胸の部分には、盾に鞘におさめられた剣が描かれた紋章が縫ってある。
嬉しそうに刺繍を指でなぞるマティアス。言葉少なだが、喜んでくれているようだ。
「ちょっと、着てみてよ。サイズが合ってるか不安だから」
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渋るマティアスを脱がして、ボタンをはめていく。マティアスが着ている黒い下着はピッチリしていて、筋肉がすごかった。
家政科を卒業した女の子なら赤面するんだろうけど。私は騎士学校の普通科に在籍していた。12歳から15歳の男の子達は、よく上半身裸になっていたし。加護を得て騎士になった男の人も、戦争中はよく上着を脱いでいた。きっと、男の人は上半身を裸にしたい習性があるのでしょう。もう見慣れている。
「うん、ぴったりね」
筋骨隆々としたマティアスがシャツを着ると、暴力的な力を理性で制御しているようで、とてもマティアスに似合っていた。
「とても似合っているわ、マティアス。私の騎士としてどこに出しても恥ずかしくないくらい。公式な場では、これを着るといいわ」
「ありがたく存じます、ジュリアさま」
機嫌良く、私の騎士を眺めていると、マティアスは恥ずかしそうに口を開く。
「ぴったりなのは、とても嬉しいのですが....なぜ私のサイズを知っているのですか?」
「え?見てたら分からないかしら?」
「....他の者のサイズも分かるのですか?」
「いつも見ているわけでもないし、分からないわよ。ご夫人に聞けば良いし」
「そうですよね」
嬉しそうにするマティアス。どうしたのかしら?
自分の騎士の服のサイズぐらい把握しておくものじゃないの?
私が答えを得られないでいると、マティアスは穏やかな顔をして言う。
「ありがとう存じます。大切に使わせていただきます」
その顔は、子供の頃のマティアスのようで、なぜか胸がチクりとした。
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穏やかな時間をすごして、そろそろだな、と思う。
ここまでは、我ながらベストな振る舞いだと思う。まるで恋人、ううん、夫婦のようだ。笑顔もいつもの2倍マシ。社交界の華の面目躍如だ。
トドメだ、とそう思う。
騎士が最後まで油断せずに敵を仕留めるように。私も最後まで油断しない。いくわよ!
「お疲れ様、マティアス。疲れているでしょう?。今日はゆっくり休んでね」
慈悲深い笑みをお見舞いする。フランツ王子にすら、したことのない笑みだ。
これでマティアスもイチコロ。
機嫌良く帰って、寝てくれるでしょう。
でも、私はこの時、そこまで深く考えていなかった。
私がマティアスを見ているということは、マティアスも私を見ているということを!
「それで、ジュリアさま」
はて?
ここは、朗らかに笑って別れるところじゃないかしら?。なによ、それで、って!
「魔導国と問題を起こした件について、話していただきたいのですが」
ギクゥ!
おそるおそるマティアスを見ると、穏やかな笑顔をしたマティアスの目は、全然笑っていなかった。
思わず、後ずさる。
「や、あ。なんのことかなぁ、って」
一歩踏み込むマティアス。
「先程、ハンスから聞きました」
あいつ、意趣返しのつもりね!!
「や、問題は問題じゃないというか、もう解決したというか....」
再び、一歩、後ずさる。
「リンデンベルク家にお住まいだったのに、農場の方に住まいを移していらっしゃいますね」
さらに、踏み込むマティアス。
「あー、あの方針の違いというかー、その」
再び、一歩後ずさる。背中が壁にあたる。
マティアスの左手が私の頭の上を通りすぎて、トン、と壁にあたる。そのまま私を逃がさないように身体を寄せてきた。ソ、ソフトな壁ドンは、さすが騎士だなぁ、って。
「懐かしいですね、城でイタズラをしたあなたを、こうして追いつめるのは、私の役目でした」
「あ、あはは....」
「誤魔化そうとする時の振る舞いも、あの頃から変わっていませんね」
ああ、初めから、初めから分かっていたんだ!
初めから分かっているのに、たっぷり、楽しんで、そして!
左頬に暖かい感触、マティアスの右手が添えられていた。
「捕まえましたよ」
ああ、やっぱり、マティアスからは逃げられない....。
どうしてあなたは、あのとき....。
「さあ、話して楽におなりなさい。私のお姫さま」
そう耳元で囁くマティアスの落ち着いた低い声が、耳に心地よくて。
胸は、痛くて。
そのどちらともつかない状態から逃れたくて。
私は口を開いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。これで、投稿予定の話は全て投稿しました。
さてさて、この物語はどうなるのでしょうか?
続きを書くかは、評価ポイントで決めます。
仮の評価でも構いませんので、よろしくお願いします。