エピローグ1 神へと至る道
エピローグという名の後日談その1。
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――――シャコ、シャコ、シャコ
鏡の前で歯磨き。
この世界には、まだ歯ブラシがないのよね。普通は、木を噛んで繊維状にした歯木で歯を磨く、裕福な人だと香辛料と塩でできた歯磨き粉を使ったりするんだけど、香辛料は高級品で、塩も高いから、毎食後使えるものじゃない。どちらかというと、香料での匂い消しがメイン。そういう状況なのに、ケーキやクッキーはあるから、虫歯になる人があとを立たない。あの王子の口の中もヌメヌメしていたし。
私は動物の骨に馬の毛を刺した歯ブラシを使ってる。ヘリエスタにいる時に、お父さまにお願いして、職人さんに作ってもらった。
水差しの水を口に含む。
――――グジュグジュグジュ
口を濯いで、含んだ水を壺に捨てる。
別の小さい壺から棒で純度100%の蜂蜜をすくって歯に塗る。むし歯予防の効果があるって、古文書に書いてあったので、取り入れている。おかげで私は、むし歯になったことがなかった。
「おねえさま」
鏡を見ると妹が映っていたので振り返る。子ども用のシュミーズを着た妹がいた。
「シャル、どうしたの?」
起こしちゃったかな?。
ジークくんと一緒に寝てるように見えたけど。
「おねえさま、だいじょーぶ?」
「どうして?」
「だって、はをみがくの、もう3かいめだよ」
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燭台を備えつけの台に置いて、ベットに座ると、妹も隣に座った。後ろのベットでは、ジークくんが静かに寝息をたてている。
「なにがあったの?」
そう言う妹は、私のことをジッと見ていて、心配してくれているのが分かった。純粋無垢な妹に、私のしたことを話すのは、罪の告白に等しくて、でも、嘘をつくには、もう私の心はグヂャグヂャで、妹を裏切るようで、それもできなかった。
「好きじゃない人に、はじめてのキスをしたの」
妹はクリクリしたお目々で私を見ると、首を傾げて言う。
「あのオージさまに?」
「そう」
「どうして?」
「王子は、シャルやジークくんを私達から奪うだけじゃなくて、たくさんの子どもを、大切な人のもとから、奪おうとしていたの」
「そーなんだ。やっつけないの?」
「あの王子じゃないと、私達の昔の家や大切な人達を壊した、もっと悪い人たちをやっつけられないのよ」
「おねえさまのほーが、つよいよ」
「一人でできることは限界があるの。私やマティアスもいたけど、負けちゃったもの。もっと、たくさんの、一緒に戦ってくれる仲間が必要だったの」
「オージさまは、おねえさまよりよわいけど、ナカマがおおい」
「そう」
「こまっちゃうね」
「困ったから、魔法を使ったの」
「わたしたちを、まもるために?」
「そう」
人間の内面を魔法で恒常的に変えるのは、至難の技だ。自然現象とは異なり、人間の心は小さな宇宙のようで、要・不要の基準をどこに引けばいいかわからない。
だから、事前に契約を結び、キスを儀式として行うことで、魔力を付与し、契約に沿った要・不要の基準をはっきり分かるようにして、契約に反する部分を不要として切除した。
相手の協力があってこそで、強引にしたら、あの王子は廃人になっていたでしょう。
「だから、キスしたんだ」
「そうよ」
「ありがとー、ジュリアおねえさま」
そういって私に寄りかかってくる妹。
「はじめてのキスは、どーだった?」
「王子の口の中がヌメヌメしていて、気持ち悪かった」
「はみがき、してないんだね。わるいこ」
「ほんとにね。魔法を使ったあとに変なこと言っちゃったのも嫌で」
魔法を使った時のトランス状態で、変なことを言ったのを思い出して、嫌な気分になった。
んー、と聞こえて見ると、妹は考えごとをしているようだった。
「そうだ!。ジュリアおねえさま、目をつむって」
「なにするの?」
「ないしょ」
なんだろう?。そう思って目を閉じる。妹が乳飲み子のように小さかった頃は、変顔をしたりして、よく笑わせたっけ。あっぷっぷって。時々真似するのよね。それかしら?。でも、それなら、顔隠せば良いものね。楽しみ。
――――ちゅ
唇に触れる柔らかい感触で、驚いて目を開けると、そこには妹の顔があった。いたずらに成功した、というような顔だった。
「シャル。何をしているの?」
「キス」
や。それは分かるんだけど。
「軽々しく人にキスをしちゃダメよ。特に唇は、結ばれた人のためにとっておくものなの。あと、女同士はノーカン....数に入れないのよ」
姉として妹を教育する。ふしだらな子に育ったらいけないわ。気持ちは嬉しいけど。
私に怒られて、しゅーんとした妹が口を開く。
「ごめんなさい」
「よろしい。今後は軽々しくキスをしないこと」
魔素があるこの世界では、キスは特別な意味を持つ。人間が想いを込める行為には、魔素が集まりやすいからだ。
キスという想いを伝える行為は、想いに感応した魔素―――魔力を相手に与える行為だ。
特に口へのキスは、虹神教がみだりに行わないよう戒めている。
「....ねぇ、なんでキスをしたの?」
今後の教育のために理由を問うと、妹は、はにかんで答えた。
「おねえさまは、わたしのために、はじめてのキスをしたんだから、わたしのはじめてのキスを、おねえさまにあげたかったの」
じわり、と心があたたまるのを感じる。
好きじゃない人とキスをした罪悪感も、自分の身体を、みんなを守るための道具のように使った嫌悪感も、どうして私だけが、と自分を惨めに思う心も、なくなっていた。
「シャル」
妹を抱きしめる。妹も私を受け入れてくれた。妹の、子ども特有の高い体温がじんわりと、私の身体をあたためる。妹の想いがあたたかさとともに、私に伝わっているようだった。
姉として妹をもっと慎みを持つように叱るべきだ、という教会の戒めは、次第に溶けていった。
「ありがとう、シャル」
「ん」
妹と一緒なら、私は神へと堕ちていけるのかもしれない。そう思った。
(続く)
むし歯予防で蜂蜜を使うのはローマ時代に遡るそう。蜂蜜は純度100%で非加熱のものに限るそうで、むし歯の原因菌をやっつける過酸化水素を作る物資がたくさん含まれているそうです。歯木は抗菌性のある木なら、効果はあるそうです。近代的な歯ブラシが普及するのは20世紀に入ってから。
異世界転生したら、『本好きの下剋上』のヴァッシェンのお口版がないと割と厳しそうですね....。