表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

文字の断片

死神

作者: 子柄 文字


ある夜の晩、首を括って死んでしまおうと、大きな山に生えた立派な松の木の元まで、僕は足を動かしていた。今僕が目指している松の木とやらは、それこそ絵に描いたような松の木の形状をしていて、ずっしりと太い幹を成しては腰を据えて、両手を広げるかのように枝分かれし、先端からはふさふさと葉っぱが生い茂っている。


つい先月、台風がこの町を直撃し、大きな山も多大な影響を受けたにも関わらず、その松の木だけは何事もなかったかのように地面に根を下ろし、雄大に立ち誇っていた。今にして思えば、きっとあの松の木には何らかの存在が、宿主が住み着いていたに違いなかったのだろう……。


裏山の松の木に辿り着いた。遠目で見るよりも数倍は大きい。松の木の腰にあたるであろう幹の部分は、想像していたよりも滑らかに曲がっていて、ちょっと頑張れば腰掛けるにも厭わない。そんなことを思いながら、誰かに見つかる前に、とっとと事を済ませようとしていた。


松の木によじ登り、どの枝に縄をかけるか選別する。松の木から落ちないようバランスをとりつつも、上の枝部分を優しくも豪快に揺らす。みしりみしりと枝が緩やかにしなり、連動して葉っぱも心地よいリズムを奏でる。うん、とても頼もしい。どの枝を揺らしてみても、申し分なく生命力に溢れている。


そうやって人目を気にしつつも音を立て確認していると、ボトりと、葉っぱの中から何かが転げ落ちた。無視してしまおうか迷ったが、鳥の巣だったりしたら流石に後味が悪い。枝から降りて転げ落ちたブツを確認しにいく。鳥の巣か、否か。


答えは否だ。赤い紐で固く閉じられた長方形型の木製の木箱だった。一体なぜそんな物が葉っぱの上に引っ掛かっていたのかは分からない。だが好奇心からか、はたまた死ぬ前の思い出作りか、とりあえず箱の中身を見てみようと赤い紐をほどき木箱の蓋を開けた。


中には長めの縄が一本、束となってすっぽりと収まっていた。種類はなんだろうか。取り出して手触りさら匂いやらを確かめる。このざらつき具合を見るに麻縄だろうか。なんだか生きた若々しい匂いもすることから、最近作られたような気もする。


なんだか奇妙な縁を感じてしまった僕は、リュックにしまったロープではなくこの木箱に入った麻縄で首を吊ってしまおうか……なんて地べたに座り込みながらぼんやりと考え込んでいた。だけれども、地面から匂ってくる腐葉土の独特なあの土臭い臭いに、思わず我に返る。


立ち上がった。けれどもバランスを崩し、柔らかい土の上で尻餅をつく。それと同時に、月夜に照らされる雄大な松の木を、もう一度まじまじと見つめる形となった。脳の海馬の底からドクンと、魚が水面へと駆け上がるように、鮮明な既視感が僕の脳内に響く。おかしい……すっかり忘れているが……僕は確かにこの月夜の松の木をこの目で見ている……。


腐葉土の臭いが鼻腔を通じて脳を刺激する……臭いに付随した記憶がするすると走馬灯のように流れ始めた。ちょうど一年ほど前、小雨が降り注ぐ夜だったと思う。現実が有する不安や恐怖から身を逃れるように、僕は布団に横たわっていた。


眠ることはそんなに好きじゃない。ただ、僕が生きている中で得られる休息とやらは睡眠でしか得られないだけだ。だけども、目をつむれど仰向けになれど、一向に睡魔が襲ってくることはなかった。それどころか、小雨が窓を叩く音に耳が鋭敏になって、窓がカタカタと揺れる度に、意識がそっちに追いやられて、ますます眠りにつけなくなる始末だった。


窓が揺れる音に耳が注目する中、不意に窓を殴りつけるような音が響いた。雨が窓を穿つ音ではない。明らかに何かが窓を殴った音だ。布団から飛び起きては、一心にカーテンのかかった窓を見つめた。体全体を心臓の鼓動が圧迫する。体を硬直させたまま幾ばくか過ぎると、僕は何事もなかったかのようにまた布団へ横倒れた。より寝付けなくなったのは、言わなくてもいいだろう。


気がつけば朝日が昇っていた。眠った感覚も薄いなら、目覚めたという感覚も薄い。体を起こす気力も湧かないまま、ぼんやりと天井を見つめる。ああそうだ、窓のあれは、一体何だったのだろうか。太陽の力とは不思議に雄大で、ベランダを覗く勇気が、かすかに僕の心の中で芽生えていた。


勢いよくカーテンを開けた。ベランダで、ハトが死んでいた。


昨夜の音の正体が分かったと共に、肩の力が抜け落ちてしまった。幽霊の正体見たりなんとやらだ。窓の鍵を捻り、動かなくなったハトのそばへと近寄る。窓ガラスの部分には血のような液体はついていなかったが、ハトの体から、血と油が混じった虹彩を放つ液体が、たらたらと排水口へ滴り落ちている。


ハトに限らず、死体には雑菌が繫殖しているであろうことは雰囲気で察していたし、そっと使い捨ての手袋をはめてハトの死体を抱きかかえる。なるほど、体温がない……それに体も硬直している……死体がいかに死んでいるのか、肌で実感する。


実感する度に、昨夜窓を隔てた向こう側で、一つの命が消えた事実が、両手に重くのしかかってくる。このハトはどんな死に方をしたのだろうか。ハトの死体の細部をまじまじと眺める。片方の羽は閉じ、もう片方の羽は開ききっている。随分といびつな形で硬直しきっている。羽のツヤはまだ健在している。目は……瞳孔が開いているのか……ちょっと分からない。


昨夜の音の正体が分かった所で、また一つ新たな疑問が浮かび上がる。このハトの死体はどう処分すればいいのだろう? 色々と検索して調べてみれば、どうやら団体や地域の場所で差はあれど、普通に可燃ゴミとして出して処分していいらしい。


そう、可燃ゴミとして処分していいらしい。可燃ゴミとして。可燃ゴミという響きが僕の心をくぐもらせる。たとえ命が消失した死体だとしても、ほんの少し前までは健気に生きていたはずの生き物だというのに……可燃ゴミへと成り下がるのが、なんだか不愉快に思える自分がいた。


別に山に埋めたってわけはないだろう。公園の砂場のような人工物じゃない、自然の場所に。還すべきである、そんな考えがよぎった。だがそんな思いやりも、一過性のものに過ぎなかった。わざわざ山にまで出向いて埋めるというのも、なんとなく億劫ではある。かといって可燃ゴミとして処理するのも忌避したがる。うだうだしてる間に、はや二週間近く経ってしまった。


冷たい風が吹く夜、いい加減にハトを処理せねばと、ずっと締め切っていた窓を開ける。どことない、不快感を呼び起こす腐敗臭が、僕の鼻腔を刺激する。下に目を向ければ、ハトは既に腐りかけていて、くすんだみすぼらしい姿になっていた。


ああ……これは確かに可燃ゴミだ。


僕は本格的に悩み始めた。可燃ゴミの日まで、後二日はある。その日が来るまで、ハトの腐敗を我慢するべきかいなか……あるいは夜遅くはあるがきちんと山に埋めにいってしまうか……。僕はハトをビニール袋の中に入れ、さらに紙袋で包み込む。そうして深夜の丑三つ時、ハトの死体を埋めに山へ赴いた。


次々と鮮明に思い出す。山へ向かう道中の、あの形容しがたい罪悪感を。人気のない山林を一人で歩む孤独を。紙袋では隠し切れない不快感を抱きかかえる恐怖を。松の木の下の地面を掘り進めている時、風が吹いては松の葉が揺れる音が聞こえるたびに、誰かに見られている意識が常に揺さぶられた。


僕の罪とモラルを土の下に覆い隠す様を、誰かがコソコソと見つめているような心持ちがして、焦燥感に駆られ、土を掘る速度が自然と早まっていく。そうしてハトの死体を掘った穴に放り投げては、さっさと土を覆いかぶせて、松の木のそばを後にした。帰り際、松の木を直視することは出来なかった。


そうだ。どうしてこの出来事を忘れていたのだろう。この松の木だ。ここで僕はハトの死体を埋めたんだ。再び訪れたこの奇妙な縁に僕は思わず後ずさりしてしまった。冷たい風が吹く。松の木が雄大にしなる。待ちくたびれたぞと言わんばかりにどっしりと腰を据えている。


松の木の葉が揺れる。ようやくここで首を括りに来たのか。随分と遅かったじゃあないか。君がこの場所にハトの死体をうずめたように、私もまた君をこの場所にうずめる気なのだ。


死を患いかけた僕に対して、松の木は優しくすることもなく、堂々と背筋を伸ばしてそびえたっている。その圧倒的な存在感を前に、思わず僕が首を括りに来たのではなく、僕は松の木のために首を括られに来たんじゃないだろうか? そんな倒錯的思考が僕の頭をよぎる。


ふと、僕が足をつけているこの地面の下に、ハトの死体が埋まっている心地がした。閉じていた目でまっすぐに僕を睨み付けている。お帰りなさい。あなたも、私と同じくこの土の中に身をうずめるために、わざわざここへ訪れたのでしょう?


ありもしない考えが、幻聴に近い妄想が、僕の耳に入ってくる。ああ、これはだめだ、真に受けたらいけないやつだ。僕は恐怖に身を任せた。たまらなくなって逃げ出してしまった。


家に帰るなり、松の木で感じた恐怖はすっかり消え去っていた。冷静に考えたら、松の木や埋まったハトが話しかけてくるわけがない。やはりあの異様な雰囲気に僕は呑まれていただけに過ぎないのだろう。それどころか、自殺願望や自殺欲求のような感情もどこか和らいでいた。


きっかけは不明だが、ハトの死体と同じく、もしかしたら死の感情とやらを僕は松の木に埋めてしまったのかもしれない。あるいは、死にたがっている理由を、松の木に押し付けたからかもしれない。とにかく、自殺願望はあの山に捨てられたのだ。そうだろう。そう思い込むことにしよう。窓からは綺麗な満月が夜空を優しく照らしている。ああ、今日はよく眠れそうな夜だ。



こんな夢を見た。


気付けば僕は松の木の枝に吊るされた縄で、まんまと首を吊っていた。どういうことかは理解できない。ただ、必死になって僕は首の縄をほどこうとやたらめったらに首をかきむしった。僕がもがけばもがくたびに、木の枝がミシミシと揺れ首の縄の締まりをきつくする。


地面まで足を伸ばそうとしても無駄であった。身をよじり上下に木の枝を揺らせど、一向に足と地面の隙間には踏み台が一つ挟まりそうなほど空いていた。意識が遠のき始める。死という生物として本能的な恐怖が、脳裏に浮かぶ。目が点滅し、両手も動かなくなる。し……


縄が千切れた。盛大に落ち葉まみれの柔らかい地面へと全身が投げ出される。横に倒れこんだまま、呼吸が出来る喜びを嚙みしめ、何度も何度も息を整える。首に巻き付いている縄にふと目を向け、手触りを確かめると、あの麻縄とすごく手触りが似ている。


冷たい風が吹く。風の冷たさ……腐葉土の臭い……麻縄の感触とのどの痛み……。到底夢とは思えない程僕は五感をフルに活用している。まだ頭は危険信号を鳴らしている。足はふらついて使い物にならない。それでも僕は地べたを這うようにほふく前進して松の木から遠ざかろうとする。


首に巻き付いていた麻縄が、再び僕の首に強く巻き付く。かと思うと僕の体は大きく後ろへとのけぞり、後ろにいる何かにもたれかかった。間違いない。何者かが、僕の首を絞めている。


僕の真後ろに佇む存在を、僕は当然知るはずもない。だが、死を司る、根源的な恐怖の塊だというのは、身に染みて感じ取れる。間違いない。人間じゃない。何だか分からない。僕が後ろの存在を考察する間にも、容赦なく首を締め上げ殺しにかかる。


首を締め上げる力はますます強くなる。力を込めすぎる余り、もはや縄が引きちぎれるんじゃないかと思うほどに。僕の両手は虚しく宙を舞う。意味もなく腕をかき回し、少しでも首の力を弱めようともがき苦しむ。まずい、死ぬ!! 死んでしまう!! 嫌だ!! 殺されるのだけは嫌だ!!


目に涙が浮かび、空に浮遊するお月様に手を伸ばしては命乞いをする。だが命乞いの手を振り払うかの如く、雲の中に隠れてしまった。ああ、畜生!! 何がいけなかったんだ!? ハトを松の木の下に埋めたからか!? 松の木で首を括ろうとしたからか!? それとも死ぬことにびびって家に帰ったからなのか!?


死が面前に迫る。

僕の命が燃え尽きるほんの数秒前、後ろで黙って首を絞め続けていた何かがぼそりと呟いた。


「心配すんなよ。きちんと土に埋めてやるからさ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ