第八二話 二人の妊娠
▽一五七一年四月、澄隆(一六歳)鳥羽城
大和国での謀反を防いでから、領内では幸い、何事も起こらずに月日は流れ、俺は一六歳になった。
織田家が南伊勢に攻めてくることもなく、九鬼家は平穏無事な毎日が送れている。
ただ、九鬼家の周りは、あちこちで火の手が上がっている。
石山本願寺と織田家の戦いは、拡大の一途を辿り、史実通り、北伊勢の門徒が一揆を起こした。
有名な、長島一向一揆だ。
光俊に探ってもらったところ、長島で一斉に蜂起した門徒に呼応して、北伊勢の豪族の一部も織田家に反旗を翻していた。
一揆の数は二万をこえ、信長の実弟の織田信興が討ち取られたらしい。
どうも俺が知っている前世の史実以上に、長島の一揆勢が暴れ回っているようで、北伊勢にある織田家の城が次々と落とされている。
前世の史実では、北伊勢には滝川一益がいた。
この時代では、左近が既に一益を討ち取っているし、一益がいない影響も大きいのかもしれない。
また、長島以外にも、織田家は朝倉家や浅井家とも、この半年で数回戦っていて、最近は、義昭の仲介でお互いに矛を収めている状態だ。
織田家が慌ただしいのは良いことだ。
俺が、織田家のチート武将たちと戦わなくてすむ。
この間に、領内の統治を進め、常備兵を増やすことに腐心した。
……そしてまた、桜の花で山が桃色になる季節になった。
俺は、桜が見れるこの季節が一番好きだ。
麗らかな春の一日、満開の桜が咲き誇っている。
今日は、慌しい中ではあるが、奈々と妙と一緒に、田城城の近くにある桜の名所に、お花見に行くことにした。
奈々と妙が、侍女たちと一緒にお弁当を作ってくれると言うので、近郷や宗政や光俊、左近などの主だった家臣たちも連れて、お花見をする。
澄み酒も用意した。
▽
俺は、満開の桜の下で寛いでいる。
隣では、奈々と妙が甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
いつも悪いな。
俺は、家臣たちに声をかけた。
「皆、今年も無事に春を迎えることができた。皆のおかげだ。礼を言う。ただ、九鬼家の周辺は戦だらけだ。今年も戦をすることになるだろう。皆の奮闘を期待しているぞ」
「「「ははっ!!!」」」
俺は、満足そうに頷き、奈々と妙が作ってくれたお弁当を見る。
お、魚の煮付けが入っている。
奈々の好物だな。
「今年は、どういう年になりますかな?」
俺が煮付けを口に入れようとしたところで、近郷が話しかけてきた。
また、タイミングの悪い。
俺は、煮付けを口に放り込むと、味わいながら、ゆっくりと近郷の方を向く。
「石山本願寺と織田家の戦いは長引く。織田家から攻められる可能性は低い。九鬼家はこの隙に、力を蓄える年になるだろう」
澄み酒をチビチビと飲んでいる宗政を呼ぶ。
「宗政! 宗政は街道の整備を急いでくれ。いかんせん、鳥羽城と大和国とは交通の便が悪い。俺は大和国まで出来るだけ早く移動できる道がほしい」
「は、はい」
慌てて頷く宗政を見ながら、近郷がまた口出しする。
「なるほど、今年は軍の整備と内政の年ですかな? 出費が嵩みますな……。そんなにお金をかけて大丈夫ですかな」
「ああ、領地も増えて税収も上がった。澄み酒などの特産品も順調に売れている。それに、寺社等の関所がなくなり、商人たちが動きやすくなったことで鳥羽港に物が集まってきている。これから、鳥羽港には、もっとお金や物が集まるだろう。出費は問題ないだろ? ここはパァッと使うぞ」
「畏まりました……。そういえば、領内では飢えて冬を越せない民が、今年は出なかったそうですな!」
本当に近郷は声が大きいな。
皆が、俺と近郷に注目している。
「ああ、それは何よりだ。もし、腹が減った民がいれば、これからも積極的に街道整備の人夫に雇って良いぞ。食事と銭を出す」
大和国で仕官した柳生宗厳が思わず感嘆の声を出した。
「澄隆様が支配した領内の各村は、どこも、銭を使う機会が増え、以前の暮らしより楽になったと言っております。さすが、鬼神様ですな……」
だから、俺は神様じゃないぞ。
前世の感覚で進めているだけだ。
俺は、話を切り上げることにした。
「宗厳、みんな! 澄み酒はたくさんある。今日は、桜の花を愛でながら飲もう」
「ははっ!」
家臣たちは、澄み酒を喜び勇んで、飲み始める。
だから、皆、飲むペースが早いって。
大丈夫か?
俺が皆を呆れた視線で見ていると、奈々と妙が俺にお酒を注ぎながら、恥ずかしそうにしている。
どうした?
「そ、それで、澄隆様、私たちからもお話があります」
奈々と妙はお酒を飲んでいないが、頬を赤らめている。
奈々は、しっとりと色香を含んだ唇を震わしながら、小さい声で話し出した。
「わ、私も妙も妊娠したようです」
妊娠したと言った奈々と妙は、俺を見詰めて、俺の喜ぶ姿を期待して待っている。
しかし、俺の胸には、チクリと針に刺されたような痛みがあった。
「そ、そうか」
俺は『そうか』なんて、気のきかない言葉しか出てこない。
「き、今日は、花見に来て、大丈夫だったのか?」
「は、はい、年配の侍女に聞いたところ、今の時期は、出産の体力を付けるためにも、無理しない範囲で歩いた方が良いと」
「二人とも、体調にはくれぐれも気を付けてくれ」
「は、はい……」
二人の顔を見ると、少し寂しそうな顔をしている。
俺が、もっと喜ぶと思っていたのだろう。
俺が親になってしまうのか。
奈々と妙の子供だ。
嬉しいはずなのに、言いようのない不安が募る。
俺は、澄隆に憑依してから、十一年。
いつ憑依が解けて、消えるか分からない俺。
そんな俺が、親になっていいのだろうか……。
憑依が解けたら、澄隆に身体を返しても良いやと簡単に考えていた俺。
そんな俺が結婚してしまった。
そして、今度は子供だ。
嬉しいが、心苦しくもある、複雑な感情が溢れる。
色々な気持ちが錯綜し、心が乱れる。
「奈々、妙、は、初めての妊娠だ。無理はしないようにな。二人には侍女を増やす。何でも遠慮なく頼んで良い」
俺の妊娠という言葉を聞き付けた近郷が、少し酔っ払った赤い顔で大声を張り上げる。
「二人とも、妊娠したのかぁ! それは目出度い! 今日は、お祝いですな!」
そう言うと、手に持っていた盃に入っていたお酒を一気にあおった。
だから、近郷、飲みすぎるなよ。
近郷の大声で、皆が気づき、一気に色めき立つ。
口々におめでとうございますと言ってくる。
「「「澄隆様、これは目出度い! おめでとうございまするっ!」」」
控えている光俊を見ると、いつもの渋い顔のまま、目に涙が浮かんでいる。
「ああ、皆、ありがとう。今日は無礼講だ。ただ、飲みすぎるなよ」
家臣たちは、歓声をあげながら、明るい顔で、喜びあっている。
……俺だけが、人に言えない不安を感じている。
俺をじっと見ていた奈々と妙が、そっと近くに寄ってくる。
「澄隆様、何か心配事でもあるのですか?」
「……いや、何でもない。奈々、妙、俺は生まれてくる子供たちのためにも、俺はもっと頑張らないとな」
騒いでいる家臣たちは、俺と奈々の声は聞こえていない。
「澄隆様、くれぐれもご無理はなされないように……」
「ああ、奈々、妙、ありがとう……」
俺が笑顔を向けると、二人はどこか寂しそうに微笑した。
奈々と妙の後ろには、風にさらわれた桜の花びらが美しく舞っている。
瞬きを忘れるほど美しいが、どこか哀愁が漂っているように感じられた。
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