第六二話 伊賀国
▽一五七〇年九月、澄隆(十五歳)鳥羽城
南伊勢を支配するようになってから、九鬼家の支配する領地と接する国が増えた。
その一つが伊賀国だ。
さあ、伊賀国、そして伊賀忍者にも対処しておかないとな……。
まず、甲賀忍者と伊賀忍者には、大きな違いがある。
甲賀忍者は、一人の当主に忠義を尽くすのに対し、伊賀忍者は金銭による契約以上の関わりを当主との間に持たないと言われている。
前世に読んだ書物にもそう書いてあったし、この時代の澄隆に憑依して、伊賀忍者のことを知っても、その通りだった。
伊賀忍者は、傭兵集団のように、二つの勢力が敵対状態であっても、どちらの勢力からもお金で仕事を請け負う。
つまり、同じ伊賀忍者たち同士が、仕事で敵対して戦闘になる場合もあるらしい。
伊賀忍者たちは、例え、幼馴染でも、仕事で敵対すれば、迷いなく即座に殺害できる精神力を持ち合わせていると言われている。
それは、凄いことだが、お金を積めば、昨日まで仲間でも平気で裏切るってことだ。
俺は、裏切られるのは嫌いだ。
だから、お金で動く伊賀忍者ではなく、仁義で動く甲賀忍者である多羅尾一族を家臣にできて、本当に良かったと思う。
例えば、甲賀忍者の光俊にお願いをすると、答えは基本ハイかイエスだ!
ノーがない!
光俊は、他国からいくらお金を積まれても、裏切らないだろう。
それで、甲賀忍者に比べ、印象が良くない伊賀忍者だが、南伊勢と伊賀国が接しているため、今のところ伊賀国の伊賀忍者ともある程度、繋がりは欲しいと考えてる。
そこでだ!
宗政に伊賀国に行って、九鬼家の味方になるよう、繋ぎをつけてもらおう。
宗政を早速、呼んだ。
「宗政……また、すまないが、今度は伊賀国だ。伊賀国に行って、伊賀国の有力者と渡りをつけてほしい」
伊賀忍者に詳しい光俊に確認すると、合議制で支配している伊賀国の中で、伊賀忍者の上忍である百地家が最も力が強く、百地家の意見で伊賀国が動くことが多いとのこと。
俺は、宗政に、百地家に行ってもらうことにした。
光俊も、百地家に同行したいというので認めた。
ちなみに、この前、奈々に縁談を持ち込んだのが、百地家の嫡男らしい。
宗政、光俊、よろしく頼む。
▽
「はぁはぁ……」
私、田中宗政は、光俊殿の案内で伊賀国に入り、百地家の屋敷へと向かう。
澄隆様の急な指示での遠出には慣れたが、伊賀国に入ると、道は険しく細く曲りくねっていて、息が切れる。
この道は、通商用の道で、光俊殿からは、この道だけは安全に通れるとのこと。
この道を外れると、どこに罠が仕掛けられているか分からないらしい。
所々、砦のような小山や穴蔵があり、守りを考えて作っていると思われる。
こんな所を見てしまって、無事に帰れるのだろうか?
ゾクッと寒気がする。
光俊殿が事前に百地家に伝えているから、大丈夫な気もするが、私だけなら伊賀国から出られそうもない。
貯金は志摩国に置いてきた。
できれば、死なずに帰りたい。
伊賀国に入ってから三日目の昼前、百地家の屋敷の前に着いた。
屋敷の周りには土塁が巡らされており、ここも守りを考えて作られているようだ。
その屋敷の前には、丸々太った一人の男が待ち構えていた。
「九鬼家の田中宗政と申します。事前にお伝えしましたが、百地家の当主にお会いしたい」
「ふんっ! 何の用だ? 後ろにいるのは多羅尾光俊だな。九鬼家の犬が何しに来たっ?」
なんと無礼な……。
私はともかく、光俊殿まで犬と言って馬鹿にするとは。
光俊殿が顔色も変えることなく前に出て、頭を下げる。
「百地丹波殿ですな。我が娘、奈々との縁談の件は、お断りして申し訳ありませんでした。百地正永殿にお会いしたく、お取り次ぎをお願いしたい」
「けっ! 父上は忙しい。すぐには無理だな。呼んでやるから、外で待っているんだな」
百地丹波に、冷たくあしらわれた。
私は、苛立ちを抑えつつ、光俊殿と、屋敷前の木陰で、呼ばれるのを待つ。
なんと、二刻ほど待たされた。
屋敷内の部屋に案内されると、五十代ぐらいの男と百地丹波が座っていた。
「いやいや、長らくお待たせして申し訳ありません。儂は百地正永。田中宗政殿と多羅尾光俊殿ですな」
百地正永は、額の真ん中に小さなイボのある壮年の男だった。
満面の笑顔だが、どことなく胡散臭そうな顔つきだ。
心がざわつく。
私が挨拶をすると、光俊殿は、改めて正永にも縁談を断った謝罪をした。
「いーやいや、縁談は、光俊殿を通して九鬼家と繋がりが欲しかっただけですから、もういいですわい」
「そ、それは、どういう意味ですか?」
私が驚いて問い質すと、正永は、手をふりながら、さらに笑顔になって答える。
「つい先日、織田信忠様から、織田家に味方になるよう、大量の金品を頂戴したばかりでしてな。信忠様の使者には、了解と伝えてしまいましたわ」
そう言って得意げになって笑う正永に、澄隆様のお考えを伝える。
「九鬼家としても、伊賀国と繋がりを得たいと考えております。拙者、そのために、ここまでまいりました」
それを聞くと正永は、ペチっと自分の額を叩いて、悲しそうな顔をして言う。
「それはそれは、難題ですな……。織田家と繋がった今、それ相応の金額を出して頂かないと、皆を説得できませんわい」
正永は、首を傾げて考えると、手を叩いて、わざとらしく提案してきた。
「おお、そう言えば、この前、九鬼家では武将の一人に、褒美として、五百貫をポンと渡したとお聞きしましたぞ。まず、それくらい頂きたいところですな」
ニヤニヤと笑う正永。
正永の後ろに座っている丹波も正永と同じ顔でニヤついている。
さすが、伊賀忍者か。
情報を仕入れるのが早い。
私は、表情に出さず、答える。
「さすがにその金額だと、拙者の一存では決められません。一度、戻って澄隆様に相談致します」
「いやいーや、わざわざ来て頂いたのに、すみませんな。澄隆殿にもよろしく伝えてくだされ」
ニヤニヤした顔のまま、正永は手をモミモミと合わせる。
私は、とりあえず、何も決めずに、退出することにした。
何とか無事に帰れそうだが、これは、もう一度、ここに来ることになりそうだ。
思わずため息が出そうになるのを抑えるのに苦労した。
▽
宗政と光俊が、無事に帰ってきた。
正式な使者だし、大丈夫だと思いながらも伊賀忍者の悪いイメージから、俺は心配していた。
良かった良かった。
……ただ、百地正永との話し合いの結果を聞いたら、良くなかった。
「う、うん?」
思わず、そんな声が口から出た。
伊賀忍者は織田家と繋がったらしい。
五百貫が欲しいとは、百地正永は、ずいぶんと俺の足元を見てきたな。
正直、気分が悪い。
奈々に縁談を持ち込んだ百地丹波という男も、随分横柄な男らしい。
九鬼家との繋がりを得るために、奈々を利用しようとしていたらしく、この時代の常識かもしれないが、それも気分が悪くなった。
「光俊、織田家は伊賀国に何百貫も出したと思うか?」
「はい……恐れながら、普通に考えて、織田家がそれほどの金額を出す訳がございません。どんなに出したとしても、数十貫程度かと」
俺は、目を瞑って考えをまとめる。
「手付金として、言われた一割の五十貫を渡すことを伝えてくれ。味方として成果を出したら、その都度、金子を渡すことで、正永を説得してほしい……。ただ、この様子だと、味方としては、期待ができないだろう。近い将来、伊賀国が敵になることも視野に入れて対応策を練っていくぞ」
宗政と光俊は頷く。
伊賀国は、予想以上に、面倒くさい国だな。
織田家と戦う時には、伊賀国にも気を付けよう。
………………
後日、宗政が再度、百地正永のところまで伺い、俺の提案を伝えると、正永はしぶしぶ了承したらしい。
ただ、その時の態度はふてぶてしく、正直、信用が置けないとのこと。
俺は、伊賀国に期待をしないで、戦略を練ることにした。
拙作の感想、応援、ありがとうございます。
次回から、澄隆は戦の準備を始めます。
題名『大和国』、お楽しみに!




