第四〇話 焙烙火箭大作戦 その二
▽一五六九年十月、九鬼嘉隆(二七歳)海戦中 安宅船上
ボォォォオォォ!
矢倉の一部が燃え盛る中。
「早く火を消せぇぇぇ!」
「嘉隆様、額に傷が……」
「そんなことより、お前も早く火を消しに行かんかぁっ!」
矢が破裂した時に、嘉隆は、破片で額を切っていた。
頬にまで、血が滴り落ちる嘉隆は、消火作業を目を血走らせながら一瞥すると、船長を任せている家臣を睨み付ける。
「被害はどうだっ!?」
「はっ! 本船は、矢倉の一部が燃えていますが、消火はできますっ! ただ、他の船は……」
嘉隆は、船長の言葉に促されるように周りの船を見ると、十艘近くが炎上していた。
「く、くそが……」
嘉隆は、自分の目に映った光景を信じられなかった。
織田家が誇る最新鋭の船団。
この艦隊が炎に包まれている。
嘉隆は、船団から視線を外し、足元に落ちている太い矢の破片を殺気漲る目で睨みつける。
この太い矢は何だ?
物の怪の鬼火が、太い矢に宿り、燃え上がったのか……。
そう思えるほど、超常的な現象に思える。
……いや、これは違う。
これは火薬だ。
火薬を太い矢に目一杯詰め込んで、撃ってきやがった。
この海戦のために準備をしたのだろう。
予想していなかった兵器だ。
「ちくしょうがぁっ!」
嘉隆は、ギりっと歯ぎしりをした。
「船を早く漕げぇぇぇ! 何をやってる!」
嘉隆は怒鳴りながらも、頭の隅で対策を考えていた。
澄隆がわざと鶴翼の陣にして、動かなかったのは、織田水軍に魚鱗の陣を敷かせ、密集したところを、燃える太い矢で一網打尽に叩く作戦だからだろう。
「くそがっ!」
嘉隆は握りしめた采配棒をへし折った。
こうなってくると、密集した魚鱗の陣が裏目になってきた。
密集陣形が良いマトになっているため、飛んでくる大きな矢は、海面に落ちるものは少なく、八十艘の船団に、的確に突き刺さっている。
……ならば、やることは決まっている。
「魚鱗の陣を解けぇぇ! 各船、バラバラで良い! 突撃しろ!」
嘉隆の命令で、各自突撃の合図の太鼓が鳴り響く。
とにかく、敵船を早く大砲や火縄銃の射程距離内に入れる必要がある。
船をバラバラに突撃すれば、マトは絞りづらくなる。
近づきさえすれば、各船の火縄銃で攻撃も可能となり、あの燃える太い矢も発射できなくなるだろう。
嘉隆は、折った采配棒を捨てて、刀を抜くと、その刀を家臣達に向けながら、指示を出す。
「飲み水樽を持ってこい! 矢倉の上に撒け! 早くしろ!」
家臣達は、延焼防止の撒き水を慌ただしく始めた。
嘉隆は、水夫達を睨みつけながら、操船の指示を出した。
「お前らは、儂の指示通りに船を動かせっ! 動きの遅い者は叩っ斬るぞっ!」
嘉隆は、潮流や風を読みながら、櫓を漕ぐ水夫達に的確に指示を飛ばし、飛んでくる太い矢を全てではないが上手く避け、突き進んでいく。
嘉隆の視線の先には、刻々と近づく澄隆達の船が見えた。
▽
「装填よろし!」
「よーし! 発射!」
火箭筒から、次々と焙烙火箭が飛んでいく。
装填、照準、発射を担当する三人一組の訓練を繰り返してきたおかげで、焙烙火箭が織田水軍に数多く突き刺さっていく。
心配だった火箭筒の耐久性も、鍛治職人の理右衛門の腕で、何とか大丈夫そうだ。
敵の陣形を見ていると、密集していた船団が、急にバラけた。
その動きは素早く、感心するほどだ。
「澄隆様の事前の想定通り、バラけましたぞ!」
三浦新助が叫ぶ。
嘉隆の命令で、魚鱗の陣を解いたのだろう。
この状況なら魚鱗の陣を解くしかないよな……。
波濤を砕き、敵船が突っ込んできた。
敵船には、火縄銃が沢山あるかもしれない。
近づけたくはない。
俺は、ゴクリと唾を飲み込むと、声を張り上げた。
「よーし! 手旗信号で狙いの変更を指示だっ! 近づいてきた船を優先的に狙えっ!」
俺は、予め用意していた、変更指示を出した。
海戦の途中での狙いの変更は、指示してから全船に伝わるのに時間がかかる。
そこで、俺は、戦闘開始前に予め作戦を用意して、手旗信号でその作戦を伝えられるように人員を各船に配置していた。
そのおかげもあってか、上手く全船に伝わったようで、五十門の火箭筒は、足が遅い安宅船に比べ、距離が縮まってきた足が速い小型船から重点的に狙いを付け始めた。
火箭が当たった関船、小早船は、船全体に燃え広がった。
船からは、炎を避けるために、足軽や水夫が水面に落ちているのが見える。
それでも、突撃を止めない敵船。
近づくにつれて、敵船から銃声が轟き、運悪く弾に当たった多羅尾一族や水夫達が海に落ちていく。
俺は、肺の中の空気を一気に吐き出すほどの声で命令を発する。
「撃ちまくるよう指示を出せっ! 敵を近づけるな!」
「ははっ!」
火を吹く火箭筒。
冷や汗をかきながら近づいてきた敵船を見ていると、先端部から黒煙が上がり、そのまま炎に包まれる。
このあとも近づいてくる敵船はあるが、次々と炎上していく。
ふう……。
本当に際どいタイミングだったが、足が速い小型船に狙いを絞ったおかげで、被害は相当出たが、何とか迎撃が間に合った。
ただ、後から進んでくる三艘の安宅船は、波を切りながら突き進んでくる。
安宅船は大きく、固い木材で船を覆っているからか、焙烙火箭が突き刺さっても、一部しか燃えていない。
特に、大型の安宅船は、信じられないような操船技術で、飛んでいる焙烙火箭を上手く避けながら、俺たちに向かってくる。
「焙烙火箭が当たらん……」
近郷の唖然とした声が聞こえた。
まるで、曲芸のようだ。
あの船が敵の旗船だろう。
嘉隆が乗っているのか……。
三艘の安宅船が近づいてくるが、織田水軍を包囲殲滅するには、鶴翼の陣を崩すわけにはいかない。
このままの陣形で、織田水軍と対峙する。
「安宅船との距離、五町になりましたぁ!」
三浦新助が絶叫の声をあげた。
俺は、握りしめている手にぎゅっと力を込めた。
………………
織田水軍の三艘の安宅船から、大砲が火を吹いた。
大砲を撃った砲身から、真っ黒い煙の花が上空に咲いていく。
バウッッンッッ!!!
刹那、腹の底まで響くような衝撃音。
雷が落ちたのかと思うほどの衝撃が、俺のいる安宅船を襲った。
発射された鉛弾が、船に直撃したようだ。
嵐の中で波に浚われたように、船が左右に大きく揺れる。
「ひ、被害は!?」
俺がよろめきながら叫ぶと、直撃した右舷が削られ、船底まで弾が貫通したとの報告を受けた。
この一撃で安宅船が沈む訳ではないが、貫通した場所から海水が浸水してきていた。
「これは……。信じられん……」
近郷が、目を丸くし、驚愕した顔になりながら、震えた声で呟いている。
大砲の威力、分かったろう?
怖いんだよ。
直撃したら、人なんて簡単に潰されて、苺ジャムと化す。
直撃して死ぬかもしれない……。
俺は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「澄隆様! 的矢殿が乗っている関船に直撃しましたぞ!」
島左近が指差した方を見ると、関船の真ん中に運悪く当たったのか、ゆっくりと沈んでいく。
何人が死んだのか……。
安宅船はまだしも、関船や小早船は、一発でも直撃したら無事では済まない。
大砲の弾が容赦なく襲い掛かってきた。
俺は、歯を食い縛りながら、クソっと思い、気持ちを奮い立たせる。
俺たちの焙烙火箭は、織田水軍を火だるまにしている。
威力は相手が上だが、手数は俺たちが上だ。
ここまで来れば、我慢比べだ。
「陣形そのまま! 攻撃しろ!」
俺は、家臣たち、そして自分自身を鼓舞しながら、攻撃の継続を指示する。
敵のフランキ砲からは、定期的に火が吹き、俺たちの船団に、致命的な一撃が加えられる。
死神に魅いられた船は、粉砕され、俺の目の前で沈んでいく。
俺たちの火箭筒からも、数多くの焙烙火箭が飛び、敵船を真っ赤に染めあげていく。
………………
俺がいる安宅船の直近に、バシャンバシャンと巨大な水柱が出現する。
徐々に水柱が崩れていく中、大量の飛散した海水が俺の顔に当たった。
「澄隆様ぁ! 浸水は激しいが、まだ大丈夫だぞー!」
渡辺勘兵衛が血だらけになりながら、ぶっきらぼうな報告をしに来た。
何で血だらけ?
勘兵衛に、新しい傷がたくさん増えている。
今の攻撃は運良く外れたが、俺が乗っている安宅船はフランキ砲の鉛弾に何度か撃ち抜かれた。
お互いに撃ち合うこと小半刻……。
敵の三艘の安宅船のうち、中型の二艘は紅蓮の炎に包まれ、大砲の音も止んだ。
だが、大型の安宅船は、距離が近くなるにつれて焙烙火箭は当たるようにはなったが、未だに大砲の音を響かせながら突き進んでくる。
「澄隆様! 敵の安宅船との距離一町をきりましたぁ!」
三浦新助が、叫ぶように報告してくる。
俺は覚悟を決めた。
「隼人! この船がバラバラになる前に突撃! 敵の安宅船に近づけ!」
俺は、声を張り上げると、口の中がカラカラに乾いているのに気が付いた。
▽
火の粉が舞い上がる矢倉上。
その中にいる嘉隆は、刀を支えにして、辛うじて立っていた。
その嘉隆の周りは一面、火の海になっている。
目の前の光景が、まるで現実感の無い、悪い夢のように感じられる。
船の外を呆然と見渡すと、味方のほとんどの船が燃え、濃密な黒煙を上げながら漂っている。
隣の安宅船には、与力の生熊長勝が乗っていたはずだが、燃え上がる矢倉上には、誰も立っていない。
きらびやかに輝いていた船団が、今は見るも無惨な状態になっていた。
「て、敵、突っ込んできますっ!」
安宅船が突っ込んでくるのが見えた。
澄隆の小型の安宅船は、古くさく、ちっぽけに見える。
大砲で撃ち抜かれて、ボロボロだ。
他の船も、よく見ると、どれも使い古しで傷だらけで汚い。
こんな船団に、ここまでやられたのが信じられない。
嘉隆は、近づいてきた安宅船から、人の頭ぐらいの大きさの物体が投げられたのを目撃した。
嘉隆は、その物体が矢倉上に落ちるのを、茫然と見つめる。
時間の経過がゆっくりと感じられた。
「ありえぬっ! ありえぬっ!! ありえぬわぁっ!!!」
嘉隆は、発狂したような叫び声を上げた。
嘉隆の脳裏に、澄隆の顔が浮かぶ。
女みたいな軟弱な顔をして、うつけだと馬鹿にしていた澄隆。
その澄隆に海戦で完璧に負ける。
こんなことが起こる訳がない。
信じられない。
「ぬあぁぁぁぁぁぁ!!!」
嘉隆の怒りの咆哮が、戦場で空しく響き渡った。
嘉隆が叫ぶ中、人の頭ぐらいの物体が嘉隆の目の前に落ちる。
すると、勢いよく爆発し、橙色の牡丹のような炎が美しく花開いた。
嘉隆が見た最後の光景だった。
▽
敵の安宅船の矢倉上が、焙烙玉の炎で燃え盛っている。
「澄隆様! 敵からの攻撃がなくなりましたぞ!」
炮烙玉を敵の安宅船に、プロ野球選手のように豪快に投げ入れた島左近が、笑顔で報告してきた。
「フゥゥ〜」
俺は肺の中に固まっていた息をゆっくりと吐いた。
「何とか海水を掻き出すんだ!」
近郷が焦って、まくし立てているのが聞こえた。
俺は、ゆっくりと周りを眺める。
西から照り付ける陽光は、強さを増し、海面が眩しいほど輝いている。
その輝きと対象的な黒煙が織田の船から何本も立ち上っている。
嘉隆達の三艘の安宅船も赤々とした血のような色の猛火と黒煙に包まれていた。
海面までも赤く染まっている。
「勝てたのか……」
俺は、ザラザラとした乾いた声が出た。
息を吸い込むと、辺りに漂う硝煙の臭いはどす黒く、思わずゴホッと咳き込む。
俺たちは、ボロボロになりながらも、なんとか、嘉隆率いる織田水軍に勝利した。
お読みいただき、ありがとうございます。
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