第一八話 危機一髪
▽一五六七年九月、九鬼嘉隆(二五歳)波切城
嘉隆は、波切城の評定部屋で、澄み酒を飲んでいると、足軽頭の川面光清から、探っている田城城の定期報告があった。
「へへっ、嘉隆様、お耳に入れたいことが……」
澄隆の所にいる田中宗政という切れ者の男が、開発した澄み酒や干しシイタケ、石鹸などを、堺の商人と上手く交渉して売り払い、どのくらいかは分からないが、儲けを出しているようだ。
……運良く、田中宗政という天才を見つけたおかげで、田城城は潤っているな。
「へっへっへ。嘉隆様、放っておいた田城城が、熟れてきているようで。そろそろ、もぎ頃かと」
「光清、澄隆は何歳になった?」
そういえば、澄隆には最近会っていないな。
光清からの報告で、澄隆は相変わらず家中からの評判も悪く、うつけのままだとは聞いているが、そろそろ元服してもいい年齢か……。
「確か十二歳に。生意気にも足軽を増やして鍛える動きもしているようで。そのうつけの澄隆だけならまだしも、近郷もいますので、あまり時間をおくと、戦力が増えて厄介になるかと」
嘉隆は、舌舐めずりをした。
「そうか……。利用価値もあって、まだ早いと思って見逃してきたが、儂が動かせる兵数も増えてきた今なら、田城城を儂の物にしてもいい頃合いだろう……」
「へ、へい」
嘉隆の顔が、まさに鬼のような顔つきに変わる。
「そうだな……田城城を攻め取るより、馬鹿な澄隆を毒殺する方が手っ取り早いな」
嘉隆は、後ろの棚にしまってあった毒薬の袋を取ると、光清に放り投げた。
慌てて、受けとる光清。
「イチロベゴロシだ」
「へ、へえ。これがイチロベゴロシ。初めて見やした」
「ほとんど無味無臭で、口にすると痙攣と呼吸困難になって必ず死ぬ。やり方は任せる。澄隆に飲ませて殺せ……。光清、上手く殺せたら褒美は思いのままだ」
その言葉に光清は、愉悦の笑みを浮かべながら頷く。
「光清よ、定期的に進捗は報告しろ。報告が滞ったら、失敗したとみなして田城城を攻めるからな」
「わ、わかりやした」
嘉隆は、毒を飲んで慌てふためく澄隆の顔を思い浮かべた。
「クククッ」
思わず、仄暗い笑いが出た。
澄隆はこれで終わりだ。
澄隆が死ねば、うるさい近郷なども従うだろう。
従わなければ殺すだけだ。
そして、田城城を無傷で手に入れたら、澄み酒なども、今までよりたくさん手に入る。
光清、上手くやれよ。
▽
俺は、宗政から、内政の進捗状況の報告を聞いた後、時間ができた。
評定部屋で、奈々と二人で白湯を飲むことにした。
たまに出来る、こういう時間は癒されるね。
ただ、今日は人生の一大事件が起こった日だった。
俺が白湯を飲もうとした時だ。
「澄隆様、飲まないで!」
奈々に止められて、白湯を飲む直前でやめた。
「どうした? 奈々」
「失礼します」
奈々は、俺達が飲もうとしていた白湯に鼻を近づけ、臭いを嗅いでいる。
奈々は眉根を寄せる。
「これは、イチロベゴロシです! 猛毒です」
俺は目を見開いて驚く。
なんだとぉ!
イチロベゴロシって、確か、『一郎兵衛殺し』という名前が付いている毒草だろ?
図書館の本で、見たことがあるぞ。
死に至る強い毒性があったはずだ。
俺は首筋に冷や汗を流す。
ヤバかったな……。
下手に口にしていれば、間違いなく死んでいた。
俺も嗅いでみる。
特に気になる臭いはしない。
「俺は、臭いが分からないな。奈々、良く分かったな」
「父上に、毒になる野草は一通り、どういう臭いか厳しく教わりました。イチロベゴロシもほんの微かですが、独特の香りがします。澄隆様が口に入れないで本当に良かったです」
奈々のホッとした顔が上気して赤くなっている。
透き通るような白い肌をしている奈々は、少しでも顔を赤らめるとすぐに分かる。
男の姿をしていても、思わず、見惚れてしまった。
「あ~ゴホン。奈々、ありがとう。ただ、これは、どういうことだろう?」
「すぐに父上に話して、一族総出で調べます。私が戻るまで何も口に入れないでくださいね」
奈々は、そう言うと、急いで部屋を出ていった。
ふ~、奈々がいて助かったな……。
奈々のおかげで、毒殺イベントを回避できた。
前世の記憶だと、澄隆が毒殺されるのは、もう少し先だったはずだ。
油断していた。
俺が色々動いたから、歴史の動きが早まったのか。
これは、十中八九、嘉隆の仕業だろうな。
…………………
光俊と奈々が一緒に慌ただしく部屋に入ってきた。
光俊が平伏して、話し出す。
「まずは、このような事態に事前に気付かず、申し訳ありません」
「それは良い。奈々が気付いてくれたしな。それで、分かったか?」
俺は、護衛を頼んでいる光俊たちを責める気はない。
光俊は、申し訳なさそうに深々と頭を下げると、難しい顔をして答える。
「はい。女中のはつの服に、同じ毒の臭いが微かに付いていたため、問い正したところ、澄隆様に白湯を出す直前に毒を入れたと口を割りました。ただ、どうも、はつの家に強盗が押し入って弟が捕まり、澄隆様に毒を盛るよう強制されたとのこと。いかが致しましょうか?」
おはつの仕業か……。
確か、おはつの武適正の忍士術は参だったな。
忍士術がそれなりに高かったから、危機一髪の状況になったのかもしれない。
光俊の顔が、強張っている。
奈々を見ると、こちらもいつも見せない辛そうな顔をしている。
あ~うん。
こういう時、この時代だと当主の暗殺未遂をしたはつは、問答無用で斬首なんだろう。
そして、強盗退治はするだろうけど、弟は見殺しかな。
ただ、俺は違う。
「光俊……悪いが手勢を集めて、はつの家に行って弟を助けてほしい。そして、今回の首謀者をできれば生きて連れてきてほしい」
「!? はっ! かしこまりました」
光俊は、一礼をするとすぐ飛び出していった。
俺は残った奈々に声をかける。
「奈々……はつは牢屋だよな? 殺すつもりはないから、自害しないように、気を付けて監視してくれ」
「はいっ!」
奈々は勢いよく頷く。
これから、忙しくなるぞ。
▽
緊急事態に寝ないで待つこと数刻。
丑の刻頃に、光俊達が風魔一族の力も借りて、今回の首謀者達を捕まえたという報告が入った。
はつの弟も無事に救出した。
救出できたのは、風魔小太郎とその部下たちが活躍したからだという。
それで、はつの弟は、強盗に捕まってから水さえも飲んでいないらしく、かなり衰弱していた。
はつが俺を毒殺したら、はつと一緒に口封じで殺す気だったんだろうな……。
近郷と宗政と一緒に城内の庭に行くと、首謀者達五人が縛り上げられて、地面に転がしてあった。
その一人は、よく知っているネズミ顔の男だった。
その男は……川面光清だ。
やはり、嘉隆の仕業か。
俺の近くには光俊と奈々も控えている。
小太郎もいつもの不気味な面をして、いつの間にか俺を守るように立っている。
俺は、全員の口を縛っている紐だけを外すよう、兵に指示した。
近郷が、転がっている光清たちを睨みつけながら、肩を怒らせて近付き、すぐに切り出した。
「川面光清! これはどういうことだ?」
怒り心頭の近郷は、まくし立てるように強い口調で話すと、光清が、ひぃぃと言って、身を強ばらせた。
光清達が泣きながら、叫びだす。
「助けてくれ!」
「嘉隆に脅され、仕方なかったんだ! た、助けてくれたら何でもする!」
いきなり命乞いか。
呆れるぐらい、自己中だ。
「神妙にしろ! 俺を殺せと命令したのは嘉隆だな?」
「そ、そうだ! 嘉隆の命令なんだ! あっしらは、ただ従っただけで!」
俺は、ため息混じりの声で近郷に話し掛けた。
「こいつらは、従っただけだと思うか?」
「澄隆様! 光清達は嘉隆の下で、悪逆非道の海賊働きを、嬉々としてやっていた者達ですぞ! 嘉隆の命令だとしても、喜んで従っていたに違いありません……。ここは斬首しかないでしょう」
近郷は、光清達に剣呑な視線を向けている。
「た、助けてくれ!」
「じ、慈悲を!」
命乞いをしている光清達の目には、言葉とは裏腹に、薄暗い殺意が見える。
俺たちが、取り合わないと分かると、光清がギロっと俺を睨んで、悪し様に叫びだした。
「澄隆ぁ! あっしらが戻らないと、嘉隆様はここに攻めてくるぞ! 皆殺しになりたくなければ、嘉隆様に従えぇぇぇ!」
おっと、本音が出たな。
ただ、いきなり毒殺しようとしただろ?
俺は、お人好しを自覚しているが、従えないよ。
まずは、光清達から、波切城のことを上手く聞き出さないとな。
「近郷、こいつらは斬首にして、これから波切城を急襲できないかな?」
近郷が話し出す前に、光清達が声をあげる。
「ぎゃはははっ! あっしらが定期的に報告しないと嘉隆様はここを攻める手筈になっている! お前達は終わりだぁぁ!」
「ヒャヒャヒャッ! 澄隆! うつけのお前にはお似合いの最後だぁ!」
「澄隆、死ね、死ねぇぇ!」
おお、聞かなくても知りたいことを教えてくれた。
急襲は無理か。
もう、聞きたいこともない。
さて、光清達の処遇をどうするか……。
俺を毒殺しようとした者を放っておく訳にもいかないよな。
やりたくはないが、斬首しかないか……。
俺は、近郷に重々しく頷く。
近郷が家来に、光清達を斬首するよう指示を出した。
泣き叫ぶ光清達が、外に引っ立てられていく。
皆の視点が俺に自然と集まる。
「澄隆様を毒殺しようとするなんて、言語道断! 嘉隆めに、目にもの見せてやりましょう!」
怒り全開オーラを顔面から噴出させて、近郷が言い放った。
こういう時は、近郷の力強い声は頼りになる。
そうだな、このままでは終われない。
「近郷! 皆! 家臣達を集めろ! 嘉隆と戦うぞ!」
皆、覚悟を決めた顔で頷いた。
これが俺の初陣になる。
▽▽▽▽▽
それで……。
女中のはつと弟だが、光俊に頼んで、近江甲賀への追放にした。
光俊が、近江国で住めるようにしてくれるそうだ。
この時代では甘い処置だと思うが、近郷や光俊は、俺らしいと認めてくれている。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回、嘉隆を倒すべく、澄隆の初陣が始まります!